11月23日 新嘗祭
前回お約束した豆スープのお話を一回順送りして、思い出したついでに11年物のはなし。ウイスキーと同じで年代が大きいほど良質である。オイラの知り合いがシベリアに抑留されて昭和31年最後の帰還船で帰国したことは前に書いたが、11年帰還組といえば最後までソ連に妥協しなかった人たちだが、例外もいる。
この間死亡した元伊藤忠商事会長瀬島龍三も昭和31年組である。彼をモデルにした小説があった。たしか、山崎豊子だったかね。文庫で5,6冊になっている。彼女は取材して書くそうだが、他のロングセラーでモデルといわれる人物達を知っているので興味を持って読んだものがあるが、どうもトンチンカンなものだった。
したがって瀬島をモデルにした小説、そうそう「不毛地帯」だったと思い出して本屋で立ち読みをしたが第一巻の400ページあたりまでがシベリア抑留の場面のようだ。石原吉郎の100ページを大きく上回る。内容はそれに見合うかどうか。
もっともお定まりのお断りが巻頭にある。「これは架空の物語である。過去、あるいは現在において、たまたま実在する人物、出来事と類似していても、それは偶然に過ぎないーー遁辞おわり」
かれは終戦の直前に関東軍参謀に赴任した陸軍中佐であった。二重の意味で、あるいはそれ以上の意味で彼には11年ものの価格はつかない。終戦後の東京、極東軍事裁判で瀬島龍三はソ連側証人としてウラジオストックからソ連軍用機で東京に運ばれ証言をした。これが第一点。勿論すぐに、たしかその日のうちにソ連軍用機でシベリアに送り返された。当時は空路東京とウラジオストックを日帰りで往復するのは大変な強行軍だよ。しかも東京裁判で証言をしている。いかにソ連側の重要な証人であったかがわかる。
ソ連は収容所の管理では日本軍の上級将校たちのヒエラルキーを利用した。利口なやりかただ。兵士の性(サガ、ルビをふらないとどう読まれるかわからない)というものは武装解除されて捕虜になったあとでも変らない。将校の号令がないと動かないのだ。
瀬島は牢名主というところであった。したがって最後までソ連に留めておかれたのであり、上級将校としてのそれなりの処遇をソ連から与えられていた。
さて次回はシベリアの豆スープを味わってみますか。
11月24日 分配
昭和20年満州になだれ込んだソ連軍兵士は日本人の民家に「おんな、時計」と怒鳴りながら乱入し、陵辱、略奪を繰り返した。ソ連は極貧国である。兵士は女郎屋や慰安所で女を買う給料をもらっていない。時計をはめている兵士など皆無である。それでオンナ、トケイという二つの日本語はかれらには必須だったのだ。
収容所に大量の日本人捕虜を入れたが、食器などあるはずがない。ソルジェニーツィンが描いた収容所でも事情は同じである。こういう時にどうするか。「イワン・デニーソヴィチ」のいる収容所では食事を何班にも分けて順番に与える。このために自然発生的に出来上がったしきたりのようなものが、その集団現象が詳細に描かれている。また、何回にも分けて与えるために生じる困難も描写される。
石原吉郎のいた捕虜収容所では一つの食器に2人分の食事を入れる。中華料理なら大皿からめいめい料理を取ると言うことがあらーね。これから寒くなるとうまくなる鍋料理もそうだわな。日本人はそういう発想からそんな風になったと考えてはいけない。そんな余裕のある話ではない。わずかな分量のかゆや具のほとんどない熱湯(スープと言う)を一つの皿うから2人の兵士が分け合うのである。悲惨きわまりない話である。。
ようするにいじけて集団を分けて食事をするようにソ連側に要求することが出来なかったのだろう。分配の問題である。2人が一つの食器から食べる。食べる量は平等でなければならない。石原はこの辺のところを珍しく詳しく書いている。
食器の真ん中になにか仕切りを立てる。試行錯誤するがぴったり真ん中にで仕切ることは難しい。かならず苦情が出てもめる。スプーンで交互に一皿ずつすくって食べる。ところがスプーンの規格がバラバラで平等ではない。
じゃ、一つのスプーンを使うか、一人がすくう。スプーンについたわずかの汁も残さないようにしゃぶってから相手にわたす。相手も同じ事をして相手にまたスプーンを返す。これを延々と繰り返す。イチャイチャした新婚夫婦までもここまではしないわね。
最後に落ち着いた方法は缶詰の空き缶を拾ってくる。ソ連はものの乏しい国だから空き缶はみんな同じ大きさらしいんだね。規格にバラエティがないのだ。それに同じようになるようにまず汁を分ける。問題は数個しか入っていない豆などの汁の実である。ひとつ、ふたーつと声をあげてお互いに確認しながら交互に空き缶に入れていく。
実が奇数だったらどうするか、そこまでは書いていない。ニンジンみたいな野菜は切った大きさがだろうが、違う場合はどうするのか。石原は書いていないから分からない。この二つの空き缶に分ける係りも毎回くじで決めると言うのだ。極限状態だね。
コンビニでスナックを買って電車のなかでいぎたなく食っているイモねえちゃんは考えなくてはいけない。
さて食器の足りなさをイワンの収容所では食事をグループに分けてすることで解決したが(もちろんそれに伴う問題も石原方式とは違う問題が生じるのだが)、スープの実の不平等はイワン方式でも解決しない。
イワンには炊事場と食堂の皿の受け渡しが詳細に書かれている。炊事係は囚人のなかから選ばれる。かれらはいろいろ余得があって囚人のなかでの特権階級である。イワン・デニーソヴィチは食堂への受け渡し口から炊事係が皿にスープを入れわけるのを食い入るようにのぞく。
あの皿には上澄みしか入れなかった。あの皿には大きな具がはいった。あの皿には脂身が入ったなど。そういうことをトランプの神経衰弱のように暗記する。そうして何人分かの班の食事を受け取ると食卓に運び実の沢山入った皿が自分の席の前に来るように置くのである。こういうことをしないと収容所では生き残れないのである。つまり配膳係りというか、まとめてそのグループの食事を炊事場から受け取る役割があるのである。
炊事場とのやり取りでは皿数をごまかす場面がある。落語であるべぇ、時蕎麦、だったかな、相手が一文銭を数えている最中に「いま何時?」と言って相手の勘定を狂わせる手、あれと同じ手を使う。
11月25日 道具
人間は言葉をはなす動物である、てなことを言う。マルクスは人間は道具を使う動物である、とどこかで書いている。ドイツ・イデオロギーだったなか。どうせ誰かの文章からの孫引きだろうが。ラマルクあたりかな。
ソ連の収容所では強制労働が課せられる。出来高、仕事量によって食事の量が差別される。ノルマを達成することが収容所で生き延びる道だ。石原吉郎の場合主として土木工事をやらされたらしい。だから道具はつるはしだ。重機なんてかげも形もないシベリアだ。
イワン・デニーソヴィチは石工仕事で小説で描かれている一日はレンガ塀を積み上げる作業だ。工具はモルタルを塗るコテだ。勿論工具は毎朝工具保管所から渡されて作業が終わると返す。まともな工具などないから、割り当てられた工具が少しでもましなのを切望するわけだ。工具のばらつきによって作業の進捗は大幅に違う。
だから、何かの拍子に兵士の目をごまかして工具をちょろまかすと、それが具合のいいやつだと、個人用にと工事現場に見つからないように隠す。工事の時にはこっそりと隠し場所から取り出して使う。たとえ、その工事現場に行くのは一年後になるかもしれなくてもだ。まったく工具のよしあしが囚人の生死に直結しているのだ。