東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

異論の三つのタイプ

2015-09-17 11:38:02 | 安全保障
長い長い議論の過程で有効な反論はなかったと言った。反対には三つのタイプがあるようである。

民主党の議会での振る舞い:
ニュース等を見ていると野党は反対しているのではなくて、法律の条文の細かい質問しかしていない。たとえば、この法律が出来ると自衛隊員の危険がますのかどうか、とか。したがって正面から反論していたとは受け取れない。それが大衆デモが盛り上がると途端に「相乗りだいちゃん」を決め込む。唾棄すべき行動である。

戦争反対を念仏代わりの唱える:
そうするとご利益にありつけると思っている。ほとんど原始宗教のレベルである。
戦争に反対ですか、と単純にきけば100パーセント近くは「反対です」というだろう。分かりきった話だ。自分たちだけの護符だと思うなよ。

世論調査で法案に反対が多数というが、どういう質問の持って行き方をしているのか。電話かなにかで予期していない時に、知らないところからいきなり「戦争に反対ですか」と聞かれればハイと答えるに決まっている。

もっとも、法案が「わかりにくい」というのはハイと答えそうな気がする。わたしも前に書いたがよく分からない、そう言う時には有効な反論が聞ければ法案に反対するだろうね。なければ特に反対することもない。そんなものだよ。世間とは。

それと、憲法第九条の改正が先かどうか、という質問がある。これについて意見が分かれるというのは理解できる。しかし、前にも触れたが憲法とは国内法規の最上位に位置する物であって、外国相手(つまり憲法の規定が及ばない相手)に対して何かの規定を設けることは意味がない。無効である。たとえばチャイナに対して日本は戦争できません、お相手したいけど駄目です、といえば相手は引っこむかね。そうかい、そうかい、とこれ幸いに侵略してくるだろう。

戦争反対、もっと正確に言えば回避したいから今度の法律を作るのだろう。だったら、作った場合と作らない場合を比較しなければならない。その際に前回述べた項目について明確に自説を説明する義務がある。

お前が戦争に行け:
駅前で「安倍が一人で戦争に行け」というプラカードを持っていた女性がいた。反対がこの程度の知的レベルなら怖くもないし、踏みつぶしてもなんら差し支えない。警官はきらいだ、なりたくない、というのはいい。警察はいらないということかな。それなら彼女のなかでは理屈は通っているが、世間では通用しない。

国会周辺のデモ参加者の知的レベルもこの程度であろうから、はやく採決してしまえ、と言っている。

民衆の責任と政治家の責任:
民衆と政治家では責任がまるで違う。個人が無抵抗主義だからと戦争に反対したり、徴兵を拒否する(こう言うことは今の日本ではないだろうが)ことは個人の責任で行うならあり得る。クエーカー教徒なんかの例で主義を貫き主義に準じて懲役に行くとかね。尊敬される場合もあるだろう。個人としてはあり得る。
政治家の責務は国民(つまり政治家にとっては他人)の生命と財産を守ることである。これを放棄して個人の「無抵抗主義」という「崇高な信念」で国民の生命財産を危うくすることは絶対に許すことが出来ない。無抵抗主義で国民の生命と財産を守れるという理性的な根拠を国民の前に提示しないかぎり、政治家には許されないことである。

無抵抗主義の大衆諸君、君個人の意見を他人に押し付けてはいけない。みていると、運動のリーダーは大衆を支配したいというあまり感心しない欲望を満たしているだけのように見える。


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