東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

日英同盟」日露戦争における決定的「後方支援」

2015-09-11 10:39:13 | 安全保障
三国干渉というのがあった。日清戦争後の講和条約で清国から正式に割譲された遼東半島をシナに返せ、とロシア、ドイツ、フランスが日本に要求した。二度とこういう理不尽な圧力を受けないための方策として、軍事同盟の可能性も模索された。

イギリスは当時世界の超大国であり、三国干渉に関与していない。ロシアのアジアでの南下阻止では日英両国の利害は一致する。かかる背景の元に日露戦争直前に第一次日英同盟が締結された。

日英同盟ではイギリスの参戦はロシア以外の国がロシア側で参戦した場合に限られていた。これがロシア側にフランス、ドイツがついて参戦することを防いだ効果は極めて大きい。三国干渉の徒党ぶりからすると、日英同盟の、この条項がなければドイツやフランスが日本を攻撃した可能性は高い。

こうして独仏の参戦を防いだため、イギリスの協力は今日の言葉でいえば「後方支援」に限定された。よく言われる様にイギリスの後方支援はロシアのバルチック艦隊の極東回航におおきな影響を与えた。欧州から極東の主要な港はみなイギリスの植民地であり、これらの港でのロシア艦隊への石炭、食料、飲料水の積み込みはイギリスによって拒否された。乗組員の上陸(休養のための)も拒否された。

バルチック艦隊は整備も不十分のまま、乗組員の士気も最低の状態でほとんど途中での訓練も出来ずに対馬海峡に現れた。そして日本の海軍によって全滅させられたのである。

大陸での陸軍の勝利には特別にイギリスが関与したということはないし、陸軍の貢献は多大であったが、ロシア海軍の殲滅を決定的にしたイギリスの「後方支援」は49パーセントの勝率を51パーセントにしたという意味では決定的な意味を持っている。しかし、日露戦争後はこの結婚は倦怠期に入ったのである。>>


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