政府の事業仕分け作業がいろんな論議を呼んでいる。賛否両論は個別の事業内容の評価を巡ることが多いように見受けられる。仕分け人個人への攻撃も少なくない。あるいは財務省主導ではないかとかの疑義もなくはない。
個別の事業内容については、恩恵に浴して甘い汁を受けている団体や立場の人間が必ず存在する。彼らが抵抗する意見や資料を引き合いに出すのは、しごく当然のことである。それらをいちいち検討したり立場に対する理解を持つ必要などない。公開で討論したり、部外者が理解できないとズっパリ切る、そうした作業そのものは大いに評価されてしかるべきである。
しかしながら、他国の予算執行や補助事業については評価するほどの知識はないが、この国のそれらは一般社会とは異質なものである。
例えば、必要な事業として1億円が計上されたとする。現場では8千万で事業が終わろうとした時に、この国の官僚やそれのおこぼれを受ける団体は、残りの2千万円を消化するために動くのである。あるいは当初から1億円全額を見越して、事業内容を膨らましながら執行するのである。
ある乳牛にかかわる事業あがった。半額補助の牛を囲い込む施設の補助事業であるが、私が数か所アドバイスをした。かなりその部分で安価ないなるはずである。その一つとして、柱を半分にするようにした。事業が終わるころ見ると、確かに柱は半分になってはいたが、代わりに柱が倍以上の太いものになっていたのである。親父の説明は、予算額が決まっているのでこうなったというのである。
予算額内で事業が完了できるなら、一般社会なら予算や補助金を返上するか次年度への持ち越すか、黒字として計上するはずである。国家には返上は不正以外ではほとんどあり得ない。国家の予算内容については、無謬性は残ったままである。
事業仕分けが大きなところから切り崩す意義はこの辺りあるとのではないか。黙って5~10%程度は、担当者の意見を聴くことなく切り取っていいものである。事業そのものが無駄なことが圧倒的に多く、受益者よりも事業を請け負う立場の業者や団体が潤い続けることが現実である。