昨日はリチウムの資源としての問題を取り上げた。今日は、リチウムがどうしてしてそれほどの意味を持つのか考えたい。この数十年間、電池を巡って先端技術はしのぎを削っている。様々なIC機器が開発されて小さくなっても、相変わらず電池はそのままである。
レコーダーや音楽再生装置や携帯電話の電池も、出力が高く小さなものを求めてきた。これまで多少の曲折があったが、ここに来てリチウムイオン電池が他を引き離したようである。
ここで一番この電池の開発によって変わるのが車である。すでにエンジンのない車として、日本では2車種がことし一般販売された。車産業は日本最大の産業である。この心臓を形作っているのがエンジンである。
電気自動車(EV)にはそのエンジンがないのである。エンジンは車の心臓であるだけではなく、車産業の心臓でもある。内燃機関の部品は、2~3万点ある。車会社が作るのはこの3割程度だと言われている。残りは、サブプライヤーと呼ばれる関連会社が製作している。しかも、車会社はエンジン部分以外はほとんど、外部発注である。極端に言えば、車会社は組み立てているだけといえる。
EVは動力部分は極端に表現すると一つである。ラジエーターやスロットルやミッションなどがいらない。周辺のものを入れても、エンジンの10分の1程度もない。それもほとんどモーター制作会社で作られる可能性が高い。
エンジンがなくなれば、傘下にある中小企業はほとんど仕事がなくなる。エンジンを持たない車、EVは日本が高度成長社会で築き上げてきた、産業構造を大きく変えるのである。車会社をトップにしたピラミッド構造が崩れるのである。EVは町工場でも簡単に作ることができる。エンジンのない車、EVは電気製品といった方が適切である。
デジタルカメラが普及するにつれて、カメラやレンズ会社よりも独創的な電機会社が参入して来ている。それに似た構図になるようである。誰でもが簡単に車を作ることができるのである。EVは重厚長大産業からの大きな転換になると思われる。リチウム電池が、出力を上げ重量を下げ安価になるのが目前に迫っている。