「直ちに影響のないレベルである」と、放射能レベルにコメントする学者がテレビ画面に登場する。直ちには影響がないが、後ほど影響があるということである。もっとひどい評論家は、「レントゲン撮影と同じレベルです」と、コメント評価する。一瞬の被曝量と、長時間被曝の可能性を同レベルで評価する。
一般の人はそれを受け入れて安堵する。過小評価に躍起になる東電側の姿勢に、多くの人は疑問を抱かないのは、自らを安堵させたい心理が働くのであろうか。
原発施設には、無数のモニターが設置されているはずである。計量・測定モニターや映像モニターもあるはずである。それらが何一つとして、公表されていない。停電のためにデーターが拾えなかったり、遺失したものがあるかもしれない。しかしすべてがなくなるとは、考え難い。
そもそも、原発に自家発電しかないことが理解できない。どのような理由があるか解らないが、農家が餓死するようなものである。自家発電施設が、真っ先に波に飲まれた。耐震施設以前の問題である。更には、補助電源も作動しない。東電は、極めて未完成の施設でありながら、安全神話を作り上げてきたのである。
原発容認派の、みのもんたは「黙って耐えろ!」と怒鳴ったそうである。この男は嫌いだから、番組を見たわけではない。せっかく存在する施設であるからと、容認することから論議するのは間違いである。
原発は、すでにこの国の電源の3割以上を担っている。なくなったらどうするという、恫喝から始じまると、原発の本質を見失ってしまう。
原発導入は、自民党時代からの政策である。原発導入のためなら、あらゆる手段をやってきた。そうした前のめりの政策遂行が、原発の危険性も本質も覆い隠してきたのである。
今回の事故で、これから日本はやっと原発から脱出することになるものと思われる。災い転じて福としたいところである。