自由貿易は人類の平等で自由な経済行為であるから、当然であると主張する人たちがいる。貿易が自由に見えるのは、強大な資本力と軍事力を持つ国家の側からの言い分に過ぎない。資本力と技術力に任せて、途上国から富と資源を収奪するシステムを、北側の国が「自由貿易」と呼んでいるだけである。
とりわけ、自由貿易の犠牲になるのが途上国の人々の食糧である。NAFTAは、アメリカがカナダを説き伏せてメキシコを取り込んだ北米の自由貿易圏である。アメリカはメキシコ人の主食である、安価なトウモロコシを大量に売り付けた。消費者は安いトウモロコシを食べられるようになったと、自由貿易主義者たちは主張した。更に50万人もの雇用が生まれたというのである。
しかし、150万人もの農業者が営農できなくなった。農地は荒廃し都会に元農民が溢れかえった。治安と環境の悪化が都会で進んだ現実がある。弱者が切り捨てられるのが、自由貿易の本質である。政治とは、偏在する富の分配をすることが最大の政治課題である。自由貿易は政治の放棄にもなる。
オーストラリアは、余剰小麦を日本に輸出していると信じている人たちがいる。 オーストラリアは、北半球での農産物の収穫具合を見て、作付にかか。昨年であれば、ロシアが干ばつで小麦の収穫が激減し価格の上昇が見込めた。これを見て彼らは、小麦を作るのである。ところがオーストラリアは、2年続いた干ばつが一転して、今年は大洪水になってしまった。
オーストラリアが日本など海外に向けて、直接穀物などを売ることはほとんどない。穀物メジャーが、価格の変動を見ながら売り時や売りつけ先を伺っているのである。日本人の胃腑を満たすために販売しているのではない。世界の穀物は、僅か穀物メジャー4社で80%近い量を販売しているのである。
その結果、①近未来に必ず不足する、②人々が必ず必要とする命を支えるものである、③自由貿易によって価格の変動が激しくなる。こうした理由から、穀物は投機の対象になるのである。食料自給を価格で評価しようとする動きがあるが、食料の本質を蔑ろにして、価格だけで評価する考えである。投機の対象になると、価格評価により自給率は激しく変動することになる。
自由貿易と称されるシステムは、途上国と貧者と農業を切り捨てる、強者の作りだした考えである。WTOですら農業は特別に扱われていたが、TPPではまったく工業製品と同列に扱われることになる。TPPと称する無関税システムは、農業と地方を荒廃させ格差を増大させることになる。