昨夜、松下奈緒主演の「二十四の瞳」を見た。副題に木下恵介生誕100年記念とあった。残念ながら、60年前の木下恵介の現先には足元にも及ばない作品に思えた。
些末な問題のように思えるが、時代考証がまるでなっていない。長い髪の子供たちが平然といたり、とても立派な連絡船や、手書きでないタスキをして子供を戦地に送る姿や、いつまでも若い大石先生、死の直前にでも満々と健康な・・・数え上げるときりがないが、作品の質を低下させていることは間違いない。
別海九条の会で、以前木下恵介監督の「二十四の瞳」の上演を行った。2時間40分の長い白黒モノラル映画であったが、席立つものが一人もいなかった。本会最高の入場者で100人に2人ほど足りなかったが、静かに丁寧に作られた作品は、反戦への思いととも、鑑賞者に伝わっていた。
木下作品は童謡が全編に流れる、いわばミュージカルのような作品である。作品内で歌われる童謡はすべて、3番以上歌われていた。手抜きがないのである。時代考証はもちろんのこと、老けて行く大石先生を見事に演じていた、高峰秀子は作品の中に確実にいた。
新しい機器で多分極めて短期間に作られた昨夜の作品は、こうした丁寧さがまるでない。大石先生と旦那様の関係や、写真の重要性はこの時代どのような意味を持っていたのかも理解されていない。自転車も同様である。生徒たちが長じて、大石先生に自転車を贈った、極めて重要な場面もカットされていた。
最初と最後に3番目まで歌われていた、「仰げば尊し」は一度も出てこなかった。生徒と大石先生の結びつきの描写についても、希薄であったとしか言いようがない。
ただ終盤の戦死した教え子たちのへの、大石先生の思いは伝わるものがあった。しかし、戦後泣き虫先生になってからの思いが浅く、そのことが戦後描写の部分を浅くさせている。
この作品は今まで、田中裕子主演やアニメ作品もあるが、次第に作者の質が劣化していると思われる。時の流れや時代が背景にあるのではない。安易な製作による製作者の姿勢と、反戦意識が希薄なっているのでないかといえる。