そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

自由化がなぜ必要か

2008-12-10 | 政治と金

今年7月に決裂したWTO(ドーハ開発アジェンダ、DDA)が、また開催れている。年内に決着をしたいとのことである。

日本では、農協関係者が懸命に訴えを行っている。本当は消費者が騒ぐべきなのである。生産者団体もそうした訴えを行うべきである。

Photo_3食料自給率を向上させるとする政府の方針は、どこに行ったのであろうか。洞爺湖サミットで、低炭素社会を目指すと公言した姿勢はどこで貫くのだろう。すでに日本は世界で最も農産物の関税を低くしている国家なのである。(左の表はクリックすると大きくなります)

地球環境が危機的状況を迎えつつある現在、大量のエネルギーを消費して貧国の人たちの頭を越えて地球の裏から穀物を大量に輸入することが必要なのだろうか。金があるからという唯一の根拠で、家畜に給与したり輸入した食料でも、一割が廃棄される国家になぜ輸入されるのだろうか。

WTOはアメリカの言いなりに翻弄されている。WTOの基本となったウルグアイラウンドの1986年から、22年も経過している。その間に、地球環境の悪化は著しいものがある。

ドーハラウンドになってからも、7年経過している。この間に限ってみても、食料問題や国家間の格差あるいは利害関係の対立は、予想もしなかったものがある。とりわけ中東問題は、各国にテロ事件を多発させている。アフリカの政情不安は、食料を人々から取り上げてしまった。

WTOは、「貿易自由化によって世界経済の発展を進める」とされている。今年起きた、金融危機は明らかに、行き過ぎた市場経済の行きついた結果である。投機マネーが穀物や石油の買い付けに走って、世界経済を混乱させた。

こうした解決困難な新しい局面が次々と展開されていても、WTOはひたすら貿易の自由化をうたいつづけるばかりで、何の能もない。すでにWTOの理念は失せているように思われる。

WTOはただアメリカの、利益を代弁する機関になり下がっている。多極化する世界にあって、相対的にアメリカの地位が低くなっている。WTOは基本理念を見直す時期に差し掛かっているといえる。


格差社会を検討する

2008-12-09 | 格差社会

一昨日の沢田研二には、多数のコメントが寄せられた。是非コメントを開いて読んでください。9条に対する認識が深いことを感じました。コメントの中で、格差社会であっても良いとする意見がありました。格差社会とは、能力の高い人がたくさんの収入がって当然と、の意向がここにあるように思えます。

競争社会も容認されるべきだとは思いますが、その場合にあっても条件が同じでなければ成立しない論理でしょう。それでも社会的に欠かすことのできないものは評価されるべきである。

ところがこれらのことは、個人レベルの格差社会の容認でしかない。深刻な格差は、地域間で生じています。農村と都会は、あまりにも大きな格差を強いられています。その理由も不合理なものでしかないように思われます。

農村(僻地と田舎と同義語である)は、都会に人にとって欠かすことのできない新鮮な空気や水を提供しています。食料も提供しています。それらの評価が競争社会では、極端に低く抑えられています。

経済成長は金額評価です。一般商品は技術開発や経費を上乗せしてでも、順調に成長を遂げることが可能です。農業生産はそのようなわけにはいきません。単位当たりの生産量(面積や頭数)は、それほど伸びないからです。穀物など長年にわたる窒素肥料重視の生産は、地力の限界で生産が落ちるか、環境問題を引き起こす結果になっています。

農家は、労働当たりの面積や頭数を増やすことで、収入を上げてきました。それは、農業生産が上がったのではなく、地球規模でみると生産量の限界を知るだけの結果になっているといえます。

オーストラリアなどへ、大量の車などを売り込むことで貿易収支がアンバランスになり、小麦や牛肉を引き換えに輸入するように交渉されます。日本の農産物がおとりになっているのです。

格差社会は個人レベルの格差ではなく、地域間の格差や産業間の格差の方が大きく深刻なのです。本来なら、失業した臨時職員等は田舎に来ればいいのです。仕事はたんまりあります。農業の現状をみると、明らかに成長産業でもあります。そうした動きがないのは、農村の賃金、農民の所得が抑えられているからです。

市場経済優先の競争社会は、過疎地域に何の恵みももたらしません。農村は不要な存在であり、経済効率からは外された存在なのです。もうひとつ、経済活動をしない老人やハンディキャップの人たちも厄介者なのです。経済効率優先の競争社会と福祉社会は対極にあるといえる。


沢田研二を讃えたい

2008-12-06 | 平和

沢田研二は小学校、中学校の後輩である。運動神経のいい子で野球が得意だった。公園の端まで球を打ち返していた。いつも一人で遊ぶ子でもあった。

081130_2 その彼が60才を迎えて元気である。日本国憲法9条をたたえる歌を歌っている。自らが作詞し率直に9条(窮状)を讃えている。決してヒットすることのない歌を歌うのは勇気がいるだろう。敵もたくさんできることであろう。芸能人として大きな決断だったであろう。率直に彼の行動を讃えエールを送りたい。

http://jp.youtube.com/watch?v=qla97qdg7G0&feature=related

芸能人は右にも左にも良い顔をしなけらばならにだろう。こうした行動をとる人物は少ない。太田光の、「9条を世界遺産に」はやや屈折したところがるが、ジュリーの歌詞は率直に表現している。

9条こそが、戦死者が命と引き換えに残してくれた宝物だという歌詞がある。国が攻められた時081206 にはどうするのだとか、戦争をしないために軍隊を持つなどというのは前提が矛盾している。戦争をするために軍隊を持つことは近代ではない。交戦力のない軍隊は意味がないからである。日本がこれからも平和を語るために9条はなくてはならないものである。

おりしも昨日、「9条の会」の呼びかけ人でもあった加藤周一さんが亡くなった。小田実さんに次いで二人目となった。やわらかな論調で戦後の文壇を評論されていた医師である。加藤周一さんの冥福を祈り、9条をこれからも掲げて行きたいと思っている。


検証をおろそかにする国

2008-12-04 | イラク

イラクから自衛隊が完全に引き上げるようである。何事もなかったように、クエートから引き上げる。アメリカでさえ、開戦の大義の不遜は認めている。日本では、小泉首相がぼけたような見解を予算委員会で発言している程度である。

インド洋上でのアメリカ艦船への給油も、参議院で拒否されながらも通した法案である。また期限切れで、何とか給油をやりたい麻生首相は国会対策に、奔走している。

どちらも、イラク支援やアフガン支援、あるいはテロ対策としての検証が全くなされていない。ズルズルと止めてみたり引き延ばしたりしているだけである。

イラク派兵については、サマワについても空自の派遣にしても、どのような成果があったのか、何のための派兵だったかが全く検証されていない。インド洋上での給油にしても、テロ対策ならこれまでの効果を検証しなければならない。実際には、テロは激しくなってタリバンが完全復活の所もあるほどである。それでも何の手直しもなく続けるこの矛盾。

こうした現状を認めての検証とこれからの対策を、正常な国家なら立てて次に取り組むものである。それができないのは、アメリカの言いなりの行動であるから、検証のしようがないのである。

道路税の一般財源化にしても、世界的な金融危機を口実にこれ幸いと、財政再建は無視して(見直しではない)、不況で息絶え絶えで口をあけている土建業者に餌を与えるだけの行動ををとったのである。地方の振興も財政再建の検証も全くないのである。そもそも税金の無駄使いの検証もなく、道路族の綱引きの腕力ばかりが目立ついい加減さである。

定額給付金にしても、過去に類似のバラ撒きを行ったがどのような経済効果があったのかさえ検証されていない。選挙もやらないので、効果は選挙対策だったとはいえないので検証しないようでは、何のためのバラ撒きなのかも分からない。

現在ポーランドで開催されている、COP14で日本は早速「化石賞」を頂いてる。Co2排出の一般論をいつまでも述べていて、経済成長を片目で睨んだまま、いまだ踏み出すことのない日本は、国内的な検証を全くやっていないことを突かれたのである。

どうしてこんな体たらくをするのか?答えは意外と簡単である。この国は、敗戦の検証をやっていないからである。東京裁判を受け入れたくない連中がいつまでも、あの戦争はもうちょっとうまくやっていれば勝てたはずだと、いまだに田母神のような連中が歯ぎしりをしている。国内での論議がなく今日まで来たためである。

ズルズル時の流れに任せるいい加減さは、戦後の日本が敗戦を検証してこなかったことが大もとにある。


核兵器の廃絶を

2008-12-03 | 

日本などが国連に提案した「核兵器の全面廃絶に向けた新たな決意」の決議が10月になされている。賛成165、反対3(アメリカ、インド、北朝鮮)、棄権10(中国、フランスなど)で、国連大1委員会で採択され、12月に本会議で表決される。

日本の報道機関がほとんど報道しない。オスロのクラスター爆弾についての報道はあるが、最も問題の核兵器については、マスコミはだんまりのようである。

この決議案は、現在の核保有国に廃棄は要求していない。実質、核兵器不拡散条約(NPT)の範囲を出ていない。核兵器の現状容認が前提になっていると言える。

これまで何度もなされている全面廃棄からは後退した内容になっている。この裏には、日本がマレーシアなど28カ国による「国際司法裁判所の韓国」決議や、非同盟諸国の核兵器の開発などの停止を求めるい決議に日本が棄権したことがある。

日本が明らかに、「将来にわたって核兵器は必要と」今年7月に国務長官などが明言したアメリカの顔色をうかがっていることがある。オバマが、原則的ではあるが将来に向けては核兵器は全面禁止にするべきと言ったことは、評価されべきである。日本はオバマ以下になってしまう。

日本は唯一の被爆国です。核兵器の全面廃棄をうたいつづけなければならないし、そうしたことで世界の指導的立場をとる必要がある。圧倒的な世界各国が、核兵器の全面禁止に賛成しているのである。こんな時に後ろ向きで良いのか。


そりゃ道路族の反逆だろ

2008-12-02 | 政治と金

自民党の「道路特定財源の一般財源化に関するプロジェクトチーム」(やたらと長くなった名称にロクなものがないのでちゃんと明記する)の谷垣禎一座長が、保利政調会長をを伴って、麻生首相に圧力をかけに官邸を訪れた。道路族の反乱である。

Photo これに先立ち、道路税の一般財源化に向けて、麻生首相は「地方に1兆円を配分する」これは「自由に地方が使える金-すなわち地方交付税にする」と言ってしまった。これを聞いた道路族は怒り心頭、様々な反論が出たようである。

道路族たちは、首相はよく言い間違える(確かに無知から来る失言は多く、言い間違いなのかもしれない)。今回も、地方交付税でなく“地方交付金”を言い間違えたのでしょう」などと、ほとんど自分たちの総裁をばかにした発言の延長が、今回のねじ込みである。

福田首相が一般財源化を明言したことを受けての、麻生首相のぶら下がり発言である。配慮と思慮を欠いた内容はいつも通りであるが、道路族の心情を知らなかったようである。

今回の谷垣、保利のねじこみで、「1兆円は地方に配分する公共事業に限定した交付金とする」ことになった。おまけに、揮発税は3年維持することになった。一般財源化を有名無実化し、道路族が勝利した瞬間である。

今回の茶番劇は自民党の得意とするパターンである。せっぱつまって口当りのいいことを言ってしまうが、ほとぼりが冷めたころにいろいろ理由をつけて、長ったらしい名前の委員会を作って検討し反古にするのである。こんな政治をいつまで続けるのだろう。

地方の産業を振興することなく、公共事業でこの国をさんざんいじくりまわしてしまう。気が付くと、土木事業しか地方に産業はない。そこで陳情を繰り返し、政治屋はそれに応えるのが今回のも繰り返された。

財政再建もなく金をジャブジャブ使い、あちこちの山を切り崩し環境を破壊する。こうした愚かな行為はいつまで繰り返されるのであろう。


日本はイラクを見習え

2008-12-01 | アメリカ

アメリカが2010年までにイラクから完全撤退するための協定案が明らかになった。日本が注Crime_and_corruption_in_iraq 目しなければならない内容として次の3点がある。

〇犯罪を犯した米兵に対してイラクが裁判権を持つ。 〇アメリカの軍事行動に対してはイラク政府の承認が必要。 〇アメリカはイラクから他国を攻撃できない。

これらのすべてを日本はアメリカに対して寛容である。60年以上に亘ってアメリカ軍隊に対しては、従属をし服従を強いられている。地位協定であるが、アメリカの傀儡政権と言われているマリキ首相ですらこの程度のことは、アメリカに提示できるのである。

翻って日本は、米兵の犯罪行為は日常茶飯事のように行われている。沖縄の人たちは、毎年のように抗議活動を行っている。どこかの大学の校庭に米軍ヘリコプターが墜落した時など、日本の警察は遠巻きに見るだけであった。ベトナム戦争以来、沖縄や岩国から飛び立つ飛行機もTime_is_running_out_for_al_maliki艦船もほとんど自由である。非核三原則お構いなしに核兵器を持ち込んでいた。

シリアにイラクから空爆機が飛び、多くの一般人を殺傷したのはつい最近のことである。遠い国家よりも、民族的にも宗教上も近い近隣の国々と仲良くやりたいのは当然である。イラクの主張は、他の2点も合わせ当然の要求である。

日本でアメリカ兵の犯罪行為に対して、犠牲になるのはいつも庶民である。しかも多くは若い女性である。それも大騒ぎになるのはかなり大きな事件である。軽犯罪などはほとんど無視されている状況である。

日本はアメリカに対しては、占領下にあるイラクが突きつけた協定以下の状況を60年も続けているのである。日本は独立国家といえるであろうか。


羅臼港

春誓い羅臼港