60代に入ってからは、あれはいつ頃のことだっけ?と思うこともしばしばです。
子どもの成長とともに記憶していることは、おおよその検討はつくのですが。
20年ほど前になるのでしょうか。息子が大学生でした。
母から、今の段階で(それなりの)まとまったお金を私にやりたいという話がありました。
母からのお金はあてにはしていなかったので、乗り気はしなかったのですが、敢えてなら、ということで受け取って、それを子ども3人(母にとっては孫です)と4分割して子どもたちに送金した、ということがありました。
その4分割したお金に絡むエピソード、というのでしょうか。綴ってみます。
下宿生活の息子は、その臨時収入で、欲しかったグラビノーバ(電子ピアノ)の購入資金にしたと言ってきました。
長くピアノを習っていたのですが、学生ミュージカルをやってた時期でもあり、ピアノがあれば作曲も、、、という、若さのある時期だったのですね~。今はどうかしら。笑
大学の2年ぐらいの時だったか、息子は学生ミュージカルサークルに入っていました。ミュージカルの練習は深夜まで続くので、帰宅は12時ごろになると聞くと、真冬の札幌の深夜を歩く姿を想像したりしていたものです。そのミュージカルは盛況だったそうで、1日目が終わったあと「明日も公演があるから、お母さん来る?東京から飛行機で駆け付けた親もいるよ」と誘いの電話もあったのですが、当時の私には当日売りの航空券が高すぎました。あのとき、自分にGOと判断すべきだった、と思うところが残っています。
その後、そのミュージカルのVHSビデオができたと言って、送ってくれました。
孫の歌って踊る画像は母も喜ぶだろうと、(コピーもしていない)その1本を我が家から母(実家に)に転送しました。
そのころの母は80代。自分でVHSビデオを再生できません。同居の兄に頼めるのは1度だけ。
私も孫のスマホ画像を繰り返し楽しむように、母も何度も観たかったのですが「もう一度見たい」とは頼めず、遠縁の家で再生をお願いした、なんて言っていました。私の子(孫)のいい話は、実家では遠慮すべき、みたいなところが、どことなくあるのです。
その息子は、春休みだったかに、友人と東南アジア旅行に行ってきたよ、と、母(おばあちゃん)宛てにささやかな土産を送ってきたそうです。「おばあちゃんからもらったお金が旅行資金になったよ」と言って。
そのお土産の品の中に、タイ土産らしく縁に象が浮き彫りになっている写真立てがありました。私の帰省は年に2度ほどですから、その写真立てをみたのは、しばらくしてからです。
母は、ボソッと言いました。「あの茶の間にある写真立て、○ちゃんからのお土産。せっかくだから○ちゃんの写真を飾りたいのだけれど、兄嫁さんが、自分の孫の写真を飾ったから、私からはなにも言えない」と。
○ちゃんの大学合格時の笑顔の写真は、2階の母の8畳の寝室の壁に貼ってありました。私の昔の絵や、気が向いて送った絵手紙も、全て母の寝室の壁にありました。母の荷物はすべて1室に整理していたのです。
そのビデオテープは息子に返却。写真立てのことも息子は知りもしません。
些細なことだけれど、相手の気持ちがなぜわからないのかしら、といつも思っていました。年寄りは我慢しろ、っていう風潮です。
兄夫婦には兄夫婦なりの言い分があるのでしょう。
そんな我慢の生活を何十年もしてきた母でした。
以上、吐き出しました。終わり。
思えば、息子はお金を形ある使い方をしたな、と思います。
私? 特段何に使ったということもなく、、、です。
ま、最近、母の顔を見に行くときの、お小遣いに変身しているのかしら、と思ってみないこともありません。
母は、弟夫婦と同居になって初めて、ケーキで誕生日おめでとう、というシーンを味わうことができたのです。
クリスマスイブの前日だから、23日にクリスマスの分も併せてというのも、全然OK。
先回、私が帰るといったとき、泣き崩れた顔が忘れられません。
「生きて見納め」という気持ちもあるのでしょう。
いっぱい、いっぱい、語った母娘でした。・・・というか、正しくは、私が聴き役だったといったほうが正しいかも。私は母が生き方そのたもろもろを語ったほど自分のそれらを口に出して母には語っていない。
母が「一番苦労していた時の野良着」(傷み加減からすると戦争中ではなく、戦後のもののような気がする)が私のタンスの奥にあります。母も自分のよすがとして、何十年も持ち続けていたのです。
母が弟宅で暮らすことになった時、荷物整理していて、母か処分してもいいけれど、と言って見せてくれたのを持ち帰りました。
真珠のネックレス(他にもいくつか)はこれからお世話になる弟嫁さんにどうぞ、としました。きっと、弟嫁さんも持っているだろうけれど、そんな風にしてしか、その時の感謝の気持ちを表せなかった。
ということで、母の話を繰り返し聞かされた娘が保存しているのは、絣の野良着、です。
(あっ、正確を期すとダイヤの指輪も貰いました。ただし、サイズが合わず使ったことない。勿体ないからリメイクして使え、と娘は言うのですが、そもそも興味が薄いので放置です)
子どもの成長とともに記憶していることは、おおよその検討はつくのですが。
20年ほど前になるのでしょうか。息子が大学生でした。
母から、今の段階で(それなりの)まとまったお金を私にやりたいという話がありました。
母からのお金はあてにはしていなかったので、乗り気はしなかったのですが、敢えてなら、ということで受け取って、それを子ども3人(母にとっては孫です)と4分割して子どもたちに送金した、ということがありました。
その4分割したお金に絡むエピソード、というのでしょうか。綴ってみます。
下宿生活の息子は、その臨時収入で、欲しかったグラビノーバ(電子ピアノ)の購入資金にしたと言ってきました。
長くピアノを習っていたのですが、学生ミュージカルをやってた時期でもあり、ピアノがあれば作曲も、、、という、若さのある時期だったのですね~。今はどうかしら。笑
大学の2年ぐらいの時だったか、息子は学生ミュージカルサークルに入っていました。ミュージカルの練習は深夜まで続くので、帰宅は12時ごろになると聞くと、真冬の札幌の深夜を歩く姿を想像したりしていたものです。そのミュージカルは盛況だったそうで、1日目が終わったあと「明日も公演があるから、お母さん来る?東京から飛行機で駆け付けた親もいるよ」と誘いの電話もあったのですが、当時の私には当日売りの航空券が高すぎました。あのとき、自分にGOと判断すべきだった、と思うところが残っています。
その後、そのミュージカルのVHSビデオができたと言って、送ってくれました。
孫の歌って踊る画像は母も喜ぶだろうと、(コピーもしていない)その1本を我が家から母(実家に)に転送しました。
そのころの母は80代。自分でVHSビデオを再生できません。同居の兄に頼めるのは1度だけ。
私も孫のスマホ画像を繰り返し楽しむように、母も何度も観たかったのですが「もう一度見たい」とは頼めず、遠縁の家で再生をお願いした、なんて言っていました。私の子(孫)のいい話は、実家では遠慮すべき、みたいなところが、どことなくあるのです。
その息子は、春休みだったかに、友人と東南アジア旅行に行ってきたよ、と、母(おばあちゃん)宛てにささやかな土産を送ってきたそうです。「おばあちゃんからもらったお金が旅行資金になったよ」と言って。
そのお土産の品の中に、タイ土産らしく縁に象が浮き彫りになっている写真立てがありました。私の帰省は年に2度ほどですから、その写真立てをみたのは、しばらくしてからです。
母は、ボソッと言いました。「あの茶の間にある写真立て、○ちゃんからのお土産。せっかくだから○ちゃんの写真を飾りたいのだけれど、兄嫁さんが、自分の孫の写真を飾ったから、私からはなにも言えない」と。
○ちゃんの大学合格時の笑顔の写真は、2階の母の8畳の寝室の壁に貼ってありました。私の昔の絵や、気が向いて送った絵手紙も、全て母の寝室の壁にありました。母の荷物はすべて1室に整理していたのです。
そのビデオテープは息子に返却。写真立てのことも息子は知りもしません。
些細なことだけれど、相手の気持ちがなぜわからないのかしら、といつも思っていました。年寄りは我慢しろ、っていう風潮です。
兄夫婦には兄夫婦なりの言い分があるのでしょう。
そんな我慢の生活を何十年もしてきた母でした。
以上、吐き出しました。終わり。
思えば、息子はお金を形ある使い方をしたな、と思います。
私? 特段何に使ったということもなく、、、です。
ま、最近、母の顔を見に行くときの、お小遣いに変身しているのかしら、と思ってみないこともありません。
母は、弟夫婦と同居になって初めて、ケーキで誕生日おめでとう、というシーンを味わうことができたのです。
クリスマスイブの前日だから、23日にクリスマスの分も併せてというのも、全然OK。
先回、私が帰るといったとき、泣き崩れた顔が忘れられません。
「生きて見納め」という気持ちもあるのでしょう。
いっぱい、いっぱい、語った母娘でした。・・・というか、正しくは、私が聴き役だったといったほうが正しいかも。私は母が生き方そのたもろもろを語ったほど自分のそれらを口に出して母には語っていない。
母が「一番苦労していた時の野良着」(傷み加減からすると戦争中ではなく、戦後のもののような気がする)が私のタンスの奥にあります。母も自分のよすがとして、何十年も持ち続けていたのです。
母が弟宅で暮らすことになった時、荷物整理していて、母か処分してもいいけれど、と言って見せてくれたのを持ち帰りました。
真珠のネックレス(他にもいくつか)はこれからお世話になる弟嫁さんにどうぞ、としました。きっと、弟嫁さんも持っているだろうけれど、そんな風にしてしか、その時の感謝の気持ちを表せなかった。
ということで、母の話を繰り返し聞かされた娘が保存しているのは、絣の野良着、です。
(あっ、正確を期すとダイヤの指輪も貰いました。ただし、サイズが合わず使ったことない。勿体ないからリメイクして使え、と娘は言うのですが、そもそも興味が薄いので放置です)