日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

整理整頓には余禄もあり

2018-12-30 08:06:53 | 家政・料理
余禄っていうのは、思わぬものが出てきたりするから、です。

昨日、リビングの書棚の整理をしていたら、前回のリフォームの見積書他1式の書類の袋が出てきた。
前回は、外壁だけじゃなく室内のクロスやトイレ、システムキッチンまでやった大工事だった。工事期間は20日となっている。
金額も明細まで判明。そして10年は経過していると思っていたのに、9年前の初秋だった。
外装は15年は大丈夫と聞いていた記憶もあるのに、、、とは思うのに、と心境は微妙な部分もあるが、今、3か所からの見積もりが出たところ。(9年前の数字とも比較でき、まあまあの金額だし)、乗りかかった船、今回の外装工事は進めようと思う。

次の10年後は、きっと室内の大工事も伴うリフォームになるでしょう。
私たちは同級生だから、どちらがあとに残るかは、まったく不明。
夫は、この家を終の棲家にしたいと考えている。
私は夫ほど気力が備わっていないから、そこのところは流動的。
私が先に逝くとしたら、ここが終の棲家になる、とはいえる。

和室のタンスの上にちょこっと置いてある冊子類の山。
どこかにあったのを仮置きして、そのままになっている(恥)。写真など以外は1年以上経過しているものは処分、の目線で8割が処分の対象。で、その一番上にあったのは2016年12月の古新聞1枚で、年末の掃除のノウハウが記事になっている。年末掃除が不得手な自分を重々承知していて、いい知恵がないかと残していたということが判って、苦笑。

片付けも、少しはうまくなってきているように思う。
自分が片付け上手なのではなく、これは捨てないで持っていても、役に立たないだろう、使わないだろう、それらは処分してもOKという判断を、以前よりはできるようになった、から。

頭も、物入れも、同様じゃないかな。
蜘蛛の巣状態って、情けない。
自分の力の及ぶ範囲で整理整頓しなくっちゃ。

ああ、物事には、今処分(判断)しないで保留、というパターンもあるのですよ。

いつか、30代のある人と話していたとき、「○○さん(私)、今、それを考えていても、どうしようもない。だからそれは今判断しない。そうでしょ」という言葉を思い出します。

「残す、保留、処分」この仕訳って、実は、生き方にも通じるんですよね。


こんなことを言った30代も「○○さん、片付けることは、別に嫌なことじゃないんだよ。時間はかかるものだよ」と。「ものを出しっぱなしにしないで、元のところに戻すだけ。モノの置く位置を決めておくこと」と。

ああ、また、耳が痛くなってきた~~。













コメント (2)
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