詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

安倍の暴走が始まった

2018-10-05 10:44:36 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍の暴走が始まった
             自民党憲法改正草案を読む/番外234(情報の読み方)

 2018年10月05日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の一面。

改憲案 自民単独で提示/臨時国会 与党協議見送りへ

 という見出し。
 公明党との事前協議をしない、というのがポイントだ。公明党の中には憲法改正に慎重な意見もあるらしい。与党内で協議をしていたら時間がかかり、改憲案がまとまらない。だから、協議をしないということだ。
 これは、総裁選で安倍が勝ったから、安倍の改憲案が自民党で支持された(安倍の案で一致した)という「論理」を拡大したものと言える。与党内では自民党が圧倒的に多い。だから少数派の公明党の意見など聞く必要がない。「採決」すれば自民党案(安倍案)が勝利する。公明党の慎重派封じ込め作戦である。
 実際に臨時国会が始まれば、そこで公明党が正面切って「安倍の改憲案」に反対するはずがない。公明党は「政界のトリクルダウン」にすがっている。安倍からの「おこぼれ」に嬉々としている。そう見越しての強行作戦である。

 一方で安倍は「憲法審査会」で議論をするとも言っている。しかし、読売新聞によれば、憲法審査会は次のような状況にある。

 自民党が4項目の憲法改正の条文案を今年3月にまとめて以降、実質的な憲法改正論議は衆参とも一度も行われていない。

 議論など、行われていない。
 しかも、この報道は正確ではない。3月の自民党案では「自衛隊の根拠規定の明記」をめぐっては案文が統一されていない。安倍案とは別の案(2項削除案)もある。それが今回の総裁選の結果を持って、安倍案に統一された(支持された)と安倍が言っているだけである。
 自民党の改憲案(安倍案)は自民党のホームページにも掲載されていない。明確に公表されているのは2012年の改憲草案だけである。
 ここからわかること。安倍は、議論などする気持ちがまったくない。つまり、他人の意見などまったく聞かない。国会に改憲案を出す。案を出したから議論をした、と論を展開するつもりなのだ。
 野党の一人でも、「安倍の案には反対である」と意見を言えば、それですでに議論が行われたとみなす。そういう作戦である。
 沖縄知事選では、玉城が、これまでで最多の39万票を獲得して当選した。この勢いが、他の選挙に広がるとまずい。反安倍運動が勢いづく前に臨時国会で発議、天皇の生前退位前に国民投票を実施し、軍事政権をつくる。軍事力を背景に、次の天皇にはいっさいの「象徴活動」をさせないということだ。
 「やるなら今しかない」と安倍が決断した--読売新聞は、間接的にそう伝えている。







#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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高橋睦郎『つい昨日のこと』(89)

2018-10-05 09:57:54 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
89 夢魔

 揚げ足を取るつもりはないのだが。

もの心ついてこのかた 夢のない眠りを知らない
それも一晩に四つ五つ 多いときには十以上も見る
平均五つとして 八十歳の今日まで百万は見ているはず

 この計算はあっている? 一年は三百六十五日。365 ×5×80=146000にしかならない。14万である。百万までは、ケタが一つ足りない。どうしてこんな間違いをしたのか。また、編集者はこの「間違い」に気づかなかったのか。
 高橋は「論理」を動かすとき、その「論理」を「事実」とは結びつけないのかもしれない。動かしたあとの「論理」が「事実」と合致するかどうかは確かめない。ことばがどこまで「論理」を装って動くことができるのか、その「偽装」の方に関心があるのだろう。

しかし 目覚めて書き取った夢は およそつまらない

 なぜだろう。
 夢はたぶんに「非論理的」なことばの動きである。
 ところが目覚めて動かすことばは「論理」的にしか動けない。「論理」から逸脱すると、最初の三行のように「間違い」になる。
 ここに問題がある。
 「平均五つとして 八十歳の今日まで百万は見ているはず」という推論(推定の結論)ではなく、「百万は見た」と読者に錯覚させるまで、「論理(ことば)」を暴走させないといけないのに、端折って「算数」という「既成の論理」に頼ってしまった。
 「論理」に頼ることを、「論理に敗北する」という。夢は「論理」を暴走させないといけない。

わが生涯がしらけた夢にすぎなかったと総括して あの世に行けば
こんどこそ夢のない充実した眠り つまりは無に溶けこめるか
夜ごと自ら悪い夢になって 生者の夢に侵入するのが関の山

 これでは眠らずに見る夢、「論理」を装っただけのことばである。


つい昨日のこと 私のギリシア
クリエーター情報なし
思潮社


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