時里二郎『名井島』(2)(思潮社、2018年09月25日発行)
「夏庭2」の最後の部分。「この稿は、わたしの語ったことを庭師がタイピングしたものである。」ということばがある。
「わたし」は「わたし」よりも、「他者(庭師)」のことばのなかにいる。「他者」が判断した「わたし」の方が「わたし」に近い。鏡の中の「わたし」の方が「わたし」に近いというのに似ている。
昔、巨人の原辰徳が「この鏡、よく映るなあ」と言ったとか。「実物」よりも「鏡」の方がいい男だ、という意味である。「理想(?)」の姿を映しだす鏡くらいの意味だろうか。
これに似た感覚だろうか。いや、逆かな?
「わたし」が思っている「わたし」よりも、「他者」が思っている「わたし」の方が、「わたし」の主観が入らないだけに、「わたし」という客観に近い。
だが、客観が正しい、主観が間違っている、とは簡単には言い切れない。
「より近いわたしがいると思っている。」と書いてある。「思う」は主観であって、客観ではないからだ。
こういうことを書いていると「うるさい」。
「うるさい」のだけれど、これを「うるさい」ではなく、「精密」、ゆえに「精緻」、ゆえに「静謐」という感じにしてしまうのが、時里の「文体」である。
その特徴は、
に端的にあらわれている。「ない」という「否定」がことばを押さえつける。「写しとっていない」「かもしれない」。「ない」は繰り返される。あらゆるところに「ない」が潜んでいて、ことばの暴走を阻むのだ。
「この稿は、わたしの語ったことを庭師がタイピングしたものである。」と書き始めた直前の段落でも、そのことばは、こう引き継がれる。
「やらない」ということば、「ない」と断定することで、それまでの「事実(?)」を否定してしまう。
「否定」のあとに何が残るか。
「ことば」が残る。ことばが「動いた」という「痕跡」がのこる。「動き」は消えることで、そこに存在する。「ない」が「ある」に変わるのだ。
この瞬間、私たちの読んでいるのは、詩なのか、哲学なのかという疑問がふっと浮かぶ。
だから。
ほんとうは、ここから「さわがしくなる」というのが理想なのだが、あまりさわがしくならない。「知的」なことばの運動に対してきちんと向き合うというのはなかなか面倒なので、面倒になる前に、読者がことばを動かすのをやめてしまうんだろうなあ。「精緻、静謐な文体」と批評することで、感想を中断してしまうんだろうなあ。
「より近いわたしがいると思っている。」の「思っている」という工程は、「ない」が「ある」と断定できる根拠になるのか。「思っている」だけ(主観)なのではないかと、さらに踏み込むということはしなくなってしまうんだろうなあ。
という私も、半分以上、「中断」に足を踏み入れているんだけれど。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」8・9月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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「夏庭2」の最後の部分。「この稿は、わたしの語ったことを庭師がタイピングしたものである。」ということばがある。
わたしの話したように、庭師は写しとっていないかもしれない。しかし仮に、
庭師がわたしの語った内容とはまるきり違ったことを口述筆記として記したと
しても、わたしは庭師の書き得たことばの方に、より近いわたしがいると思っ
ている。
「わたし」は「わたし」よりも、「他者(庭師)」のことばのなかにいる。「他者」が判断した「わたし」の方が「わたし」に近い。鏡の中の「わたし」の方が「わたし」に近いというのに似ている。
昔、巨人の原辰徳が「この鏡、よく映るなあ」と言ったとか。「実物」よりも「鏡」の方がいい男だ、という意味である。「理想(?)」の姿を映しだす鏡くらいの意味だろうか。
これに似た感覚だろうか。いや、逆かな?
「わたし」が思っている「わたし」よりも、「他者」が思っている「わたし」の方が、「わたし」の主観が入らないだけに、「わたし」という客観に近い。
だが、客観が正しい、主観が間違っている、とは簡単には言い切れない。
「より近いわたしがいると思っている。」と書いてある。「思う」は主観であって、客観ではないからだ。
こういうことを書いていると「うるさい」。
「うるさい」のだけれど、これを「うるさい」ではなく、「精密」、ゆえに「精緻」、ゆえに「静謐」という感じにしてしまうのが、時里の「文体」である。
その特徴は、
わたしの話したように、庭師は写しとっていないかもしれない。
に端的にあらわれている。「ない」という「否定」がことばを押さえつける。「写しとっていない」「かもしれない」。「ない」は繰り返される。あらゆるところに「ない」が潜んでいて、ことばの暴走を阻むのだ。
「この稿は、わたしの語ったことを庭師がタイピングしたものである。」と書き始めた直前の段落でも、そのことばは、こう引き継がれる。
本当は
庭師の書き上げたものをわたしが目を通して、わたしの文章として認証すると
いう手続きが必要であろうが、それはやらない。
「やらない」ということば、「ない」と断定することで、それまでの「事実(?)」を否定してしまう。
「否定」のあとに何が残るか。
「ことば」が残る。ことばが「動いた」という「痕跡」がのこる。「動き」は消えることで、そこに存在する。「ない」が「ある」に変わるのだ。
この瞬間、私たちの読んでいるのは、詩なのか、哲学なのかという疑問がふっと浮かぶ。
だから。
ほんとうは、ここから「さわがしくなる」というのが理想なのだが、あまりさわがしくならない。「知的」なことばの運動に対してきちんと向き合うというのはなかなか面倒なので、面倒になる前に、読者がことばを動かすのをやめてしまうんだろうなあ。「精緻、静謐な文体」と批評することで、感想を中断してしまうんだろうなあ。
「より近いわたしがいると思っている。」の「思っている」という工程は、「ない」が「ある」と断定できる根拠になるのか。「思っている」だけ(主観)なのではないかと、さらに踏み込むということはしなくなってしまうんだろうなあ。
という私も、半分以上、「中断」に足を踏み入れているんだけれど。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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ここをクリックして2000円(送料、別途250円)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
「詩はどこにあるか」8・9月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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