是永駿『穏やかな剥離』(書肆山田、2018年09月20日発行)
是永駿『穏やかな剥離』を読んでいると、奇妙な気持ちになる。ことばがいつの間にか「違う世界」へ入って行ってしまう。この「違う世界」を「詩の世界」と呼ぶことができるかもしれないけれど、そういうことは後回しにしよう。
「白い兎」はキツネか山犬になって白い兎を狙うという夢から書き起こされる。兎と「異種交配」をする。セックスをする。それを月の女神に見てもらう、というとても変な(?)作品、現実からかけはなれた作品だが、その世界がさらに一転する。セックスを見ている女神が、
なんだろう、これは。メルヘン? よくわからない。よくわからないのだけれど、ことばに余分なものがないので、なんとなく読まされてしまう。
なんだかわからないけれど、ことばが「つづいていく」、その「つづき方」にだまされている感じがする。接続と切断(飛躍)の関係が、どうもわからない。
なんなんだろうなあ、と思いながら読んでいく。そうすると「穏やかな剥離」にこんな一連が出てくる。
「白い兎」と同じように、突然「宇宙」が出現するのだけれど、この一連には「接続」と「飛躍/切断」を特徴づけることばが出てくる。キーワードが出てくる。
この「その」だ。私は、思わず傍線を引いた。「その」に気づいた瞬間に、是永の詩がわかった。言い換えると、「誤読」することができた。
「足跡」と前の行に書いたあと、「その足跡」と言いなおしている。言いなおさないことには、ことばがつづかないのだ。「その足跡」と「足跡」をそっくり引き継ぐ形を装いながら、「足跡」をまったく別なものへの「架け橋(飛躍台)」にしている。方向転換をしている。それはたまたま「足跡」だったが、足跡でなくてもいい。たとえば、白いスニーカーが踏み壊した貝殻であってもいい。「その貝殻から」沸き立つという具合に、ことばをつづけていくことができる。重要なのは、「その」である。直前の何かを明確に指示し、浮き上がらせる。独立させる。そして、その「独立」をバネに、それまでとは違う世界へことばを動かすのだ。
「白い兎」にもどってみる。
「閃かせる」ということばが先にあり、そのあと「一閃して」ということばがある。「閃」という文字が「足跡」のように繰り返されている。「足跡」とは違って、別なことばになっているが、そこには「閃」が共通している。「その」を補って読み直すと、
ということになる。「裳裾の閃き」が別の世界の「閃き」へと、ことばを橋渡す。前のことばを次のことばに引き渡しながら、同時にそのことばを土台にしてことばが別の方向へ動いている。「その」だけではないが、「意識の指示詞」とでもいうべきものが是永のことばのなかに隠れているのだ。
「視界」という作品では「あの」ということばが出てくる。「その」に比べると、「あの」はもう少し離れたところにあるものを指示するのにつかわれる。実際、そういうつかわれ方をしている。
この詩に「その」を補うと、こういう感じになる。
風が吹き
木の葉が揺れ
「その」木々の上に青空の腰が撓うたびに
「その」木々の梢がスパークして
「その」青い空に砕ける叫びをあげる
「その」、木々に化身したヒトが「あげるその叫びの姿というのは」
「そのヒトの」両手の指先から放電しつつ
「そのヒトの」四肢を震わせている
「そのヒトの」声にならない「その」叫び声が「あの」梢に焼き付けられる
あの木々に化身した「その」ヒトの群れ
あの声にならない「その」叫び
あの焼かれ黒く変色していく「その」梢
あの指先から放電しつつ
四肢を捩り震わせているもの
途中で、木とヒトが交錯し、また「その」と「あの」が交錯し、その交錯を整理するために「あの」と切断され、同時に「あの」のなかに「その」を引き寄せる。「あの」と「その」が交錯しながら、世界を強固にする。
この指示詞の交錯、あるいは省略は、「無意識」である。つまり、是永の「肉体」そのものである。キーワードとは「肉体」にしみついたことばである。「肉体」になってしまっているから、ふつうは省略したまま隠されている。どうしても、それを「意識」にまで引き上げないとことばが動いていかないときだけ、ことばにされる。
「その足跡」のように。
「その」を省略し、「足跡から」と書くと「足跡」があまりにも重なりすぎて、ことばがぎくしゃくする。「そこから」と「足跡」を省略してしまうと、なんだか漠然としてしまい、「詩(ことば)」の強固さがなくなる。だから「その足跡」と書かざるを得なかったのだ。「無意識」が「ことば」になって表に出てくるしかなかったのだ。
是永のことばの飛躍が激しいと感じたら、どこかに「その」を補って読み直してみると、ことばがスムーズに(論理的に?)動いていることがわかる。また「その」とか「あの」とかが出てきたら、そこには「接続/切断(飛躍)」があると意識すると、是永の意識の動きが鮮明に見えてくる。
こういう「文体」は是永が翻訳をやっていることと関係しているかもしれない。翻訳は単にことばを訳すことではなく、テキストのことばとことばの関係を明確にしていくことである。書かれていない「その」「あの」「この」という指示詞を補いながら、ことばの「意味(指示内容)」を絞り込むことだからである。翻訳によって鍛えられた意識の動きが詩に影響しているのか、もともと是永の意識の動きがそういうものだから翻訳という仕事を引き寄せたのか。わからないが、これは「翻訳家の文体」だな、と思った。
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是永駿『穏やかな剥離』を読んでいると、奇妙な気持ちになる。ことばがいつの間にか「違う世界」へ入って行ってしまう。この「違う世界」を「詩の世界」と呼ぶことができるかもしれないけれど、そういうことは後回しにしよう。
「白い兎」はキツネか山犬になって白い兎を狙うという夢から書き起こされる。兎と「異種交配」をする。セックスをする。それを月の女神に見てもらう、というとても変な(?)作品、現実からかけはなれた作品だが、その世界がさらに一転する。セックスを見ている女神が、
裳裾を閃かせてくるりと舞う
すると
視界が一閃して
シリウス・アルファ星の平原に
降り立つことができるのだ
なんだろう、これは。メルヘン? よくわからない。よくわからないのだけれど、ことばに余分なものがないので、なんとなく読まされてしまう。
なんだかわからないけれど、ことばが「つづいていく」、その「つづき方」にだまされている感じがする。接続と切断(飛躍)の関係が、どうもわからない。
なんなんだろうなあ、と思いながら読んでいく。そうすると「穏やかな剥離」にこんな一連が出てくる。
あの入り江の路をきみが歩く
白いスニーカーが砂地に印す浅い足跡
その足跡から沸き立つ
星のさんざめき
入り江に懸かる遥かな銀河
「白い兎」と同じように、突然「宇宙」が出現するのだけれど、この一連には「接続」と「飛躍/切断」を特徴づけることばが出てくる。キーワードが出てくる。
その足跡から沸き立つ
この「その」だ。私は、思わず傍線を引いた。「その」に気づいた瞬間に、是永の詩がわかった。言い換えると、「誤読」することができた。
「足跡」と前の行に書いたあと、「その足跡」と言いなおしている。言いなおさないことには、ことばがつづかないのだ。「その足跡」と「足跡」をそっくり引き継ぐ形を装いながら、「足跡」をまったく別なものへの「架け橋(飛躍台)」にしている。方向転換をしている。それはたまたま「足跡」だったが、足跡でなくてもいい。たとえば、白いスニーカーが踏み壊した貝殻であってもいい。「その貝殻から」沸き立つという具合に、ことばをつづけていくことができる。重要なのは、「その」である。直前の何かを明確に指示し、浮き上がらせる。独立させる。そして、その「独立」をバネに、それまでとは違う世界へことばを動かすのだ。
「白い兎」にもどってみる。
裳裾を閃かせてくるりと舞う
すると
視界が一閃して
シリウス・アルファ星の平原に
降り立つことができるのだ
「閃かせる」ということばが先にあり、そのあと「一閃して」ということばがある。「閃」という文字が「足跡」のように繰り返されている。「足跡」とは違って、別なことばになっているが、そこには「閃」が共通している。「その」を補って読み直すと、
裳裾を閃かせてくるりと舞う
すると
「その閃きといっしょに」視界が一閃して
シリウス・アルファ星の平原に
降り立つことができるのだ
ということになる。「裳裾の閃き」が別の世界の「閃き」へと、ことばを橋渡す。前のことばを次のことばに引き渡しながら、同時にそのことばを土台にしてことばが別の方向へ動いている。「その」だけではないが、「意識の指示詞」とでもいうべきものが是永のことばのなかに隠れているのだ。
「視界」という作品では「あの」ということばが出てくる。「その」に比べると、「あの」はもう少し離れたところにあるものを指示するのにつかわれる。実際、そういうつかわれ方をしている。
風が吹き
木の葉が揺れ
木々の上に青空の腰が撓うたびに
木々の梢がスパークして
青い空に砕ける叫びをあげる
木々に化身したヒトが
両手の指先から放電しつつ
四肢を震わせている
声にならない叫び声が梢に焼き付けられる
あの木々に化身したヒトの群れ
あの声にならない叫び
あの焼かれ黒く変色していく梢
あの指先から放電しつつ
四肢を捩り震わせているもの
この詩に「その」を補うと、こういう感じになる。
風が吹き
木の葉が揺れ
「その」木々の上に青空の腰が撓うたびに
「その」木々の梢がスパークして
「その」青い空に砕ける叫びをあげる
「その」、木々に化身したヒトが「あげるその叫びの姿というのは」
「そのヒトの」両手の指先から放電しつつ
「そのヒトの」四肢を震わせている
「そのヒトの」声にならない「その」叫び声が「あの」梢に焼き付けられる
あの木々に化身した「その」ヒトの群れ
あの声にならない「その」叫び
あの焼かれ黒く変色していく「その」梢
あの指先から放電しつつ
四肢を捩り震わせているもの
途中で、木とヒトが交錯し、また「その」と「あの」が交錯し、その交錯を整理するために「あの」と切断され、同時に「あの」のなかに「その」を引き寄せる。「あの」と「その」が交錯しながら、世界を強固にする。
この指示詞の交錯、あるいは省略は、「無意識」である。つまり、是永の「肉体」そのものである。キーワードとは「肉体」にしみついたことばである。「肉体」になってしまっているから、ふつうは省略したまま隠されている。どうしても、それを「意識」にまで引き上げないとことばが動いていかないときだけ、ことばにされる。
「その足跡」のように。
「その」を省略し、「足跡から」と書くと「足跡」があまりにも重なりすぎて、ことばがぎくしゃくする。「そこから」と「足跡」を省略してしまうと、なんだか漠然としてしまい、「詩(ことば)」の強固さがなくなる。だから「その足跡」と書かざるを得なかったのだ。「無意識」が「ことば」になって表に出てくるしかなかったのだ。
是永のことばの飛躍が激しいと感じたら、どこかに「その」を補って読み直してみると、ことばがスムーズに(論理的に?)動いていることがわかる。また「その」とか「あの」とかが出てきたら、そこには「接続/切断(飛躍)」があると意識すると、是永の意識の動きが鮮明に見えてくる。
こういう「文体」は是永が翻訳をやっていることと関係しているかもしれない。翻訳は単にことばを訳すことではなく、テキストのことばとことばの関係を明確にしていくことである。書かれていない「その」「あの」「この」という指示詞を補いながら、ことばの「意味(指示内容)」を絞り込むことだからである。翻訳によって鍛えられた意識の動きが詩に影響しているのか、もともと是永の意識の動きがそういうものだから翻訳という仕事を引き寄せたのか。わからないが、これは「翻訳家の文体」だな、と思った。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
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