細田傳造「悲しき歩道に面している」(「ウルトラ・バズル」30、2018年09月30日発行)
細田傳造「悲しき歩道に面している」は「犬三題」のなかの一篇。
これは人間が見ても、そう描写することができる。「犬三題」と書かれているにもかかわらず、私は人間の目で細田のことばを追っている。
途中で、こんなふうに変わる。
途中まではやはり人間が見た世界とも読むことができる。しかし、「ううっと唸ってやる」は人間ではない。それまでは「見る」存在であったものが、突然「うなる」という動詞とともに人間ではなくなる。
書かれていない「見る」、そして「外形から判断する」というのは人間にも犬にも共通する「肉体」の動きである。(犬がほんとうはどう「肉体」を動かし、「見る」ことによって他者を判断、識別しているかは、もちろんはっきりとはわからないけれど。)
「肉体」、つまり「動詞」をしっかり動かすことで、細田は完全に犬になる。人間と違った動き、しかし人間にもわかる動きで、私を犬にしてしまう。
そのあとで「屹度なった目で御婦人がこっちを見る」と人間の姿を、それまで隠し続けてきた「見る」という動詞で明確にする。
犬が「通るヒト」を「見る」なら、また細田も「通るヒト」を見ていた。「見る」という「動詞」のなかで、細田は細田の意識を犬に代弁させていた。それを「うなる」という動詞で、突然、逆転させる。犬の「見る」を人間の「見る」に変更する。しかも、このとき「御婦人」という、細田ではない人間の目を利用している。
この絶妙な転換によって、「見る」という動詞が人間全部に通じること、また犬にも通じることを、「いのち」全部に通じる「事件」にしてしまう。「事実」にしてしまう。
この判断は、犬のものとして書かれているが、当然、細田の、男の視線も入っている。だから、それからあとは、もうごちゃごちゃである。犬と書かれていても人間に見えるし、人間が登場しても犬に見える。
犬ならば……。
ああ、犬ならば「メスの残臭を/いつまでも追う」ことができるのに、と思う。しかし、それは夢だ。ことばにしないことには存在しない何かだ。だから詩が書かれなければならない。
なんとなんと「悲しい習性」ではないか。人間は、こんなにも悲しく、こんなにも温かく、なつかしい。
「歩道に面している」「犬舎は歩道に面している」「犬舎は悲しき歩道に面している」と静かにくりかえしながら「悲しき」を浮かび上がらせるのも、押しつけがましくなくてとてもいい。
ことしいちばんの傑作である。
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評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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細田傳造「悲しき歩道に面している」は「犬三題」のなかの一篇。
歩道に面している
早朝から深夜まで
きれまなくヒトが通る
病み上がりが通る
巡礼が通る
空き巣狙いが通る
健康狂ジョガーが通る
これは人間が見ても、そう描写することができる。「犬三題」と書かれているにもかかわらず、私は人間の目で細田のことばを追っている。
途中で、こんなふうに変わる。
悲しい習性
つながれているのでエスケープできない
犬舎は歩道に面している
きれまなく雑種が通る
あれはコッカースパニエルの混ざり
あれはハスキーのアホ
あれは狆と珍島犬のハーフ
去勢済雄犬が通る
生涯雌主従が通る
御婦人を曳いて前をいくメリーちゃんに
ううっと唸ってやる
屹度なった目で御婦人がこっちを見る
美形である
途中まではやはり人間が見た世界とも読むことができる。しかし、「ううっと唸ってやる」は人間ではない。それまでは「見る」存在であったものが、突然「うなる」という動詞とともに人間ではなくなる。
書かれていない「見る」、そして「外形から判断する」というのは人間にも犬にも共通する「肉体」の動きである。(犬がほんとうはどう「肉体」を動かし、「見る」ことによって他者を判断、識別しているかは、もちろんはっきりとはわからないけれど。)
「肉体」、つまり「動詞」をしっかり動かすことで、細田は完全に犬になる。人間と違った動き、しかし人間にもわかる動きで、私を犬にしてしまう。
そのあとで「屹度なった目で御婦人がこっちを見る」と人間の姿を、それまで隠し続けてきた「見る」という動詞で明確にする。
犬が「通るヒト」を「見る」なら、また細田も「通るヒト」を見ていた。「見る」という「動詞」のなかで、細田は細田の意識を犬に代弁させていた。それを「うなる」という動詞で、突然、逆転させる。犬の「見る」を人間の「見る」に変更する。しかも、このとき「御婦人」という、細田ではない人間の目を利用している。
この絶妙な転換によって、「見る」という動詞が人間全部に通じること、また犬にも通じることを、「いのち」全部に通じる「事件」にしてしまう。「事実」にしてしまう。
美形である
この判断は、犬のものとして書かれているが、当然、細田の、男の視線も入っている。だから、それからあとは、もうごちゃごちゃである。犬と書かれていても人間に見えるし、人間が登場しても犬に見える。
犬ならば……。
美形である
楡の木の下で待てのちほど参る
犬語でメリーと御婦人両者に告げる
ハウス! 吾輩のご主人が叫ぶ
嫉妬深い老人だ
ふたりして去りゆく二匹のメスの残臭を
いつまでも追う
ふたりとも臭覚力は4・0だ
犬舎は悲しき歩道に面している
ああ、犬ならば「メスの残臭を/いつまでも追う」ことができるのに、と思う。しかし、それは夢だ。ことばにしないことには存在しない何かだ。だから詩が書かれなければならない。
なんとなんと「悲しい習性」ではないか。人間は、こんなにも悲しく、こんなにも温かく、なつかしい。
「歩道に面している」「犬舎は歩道に面している」「犬舎は悲しき歩道に面している」と静かにくりかえしながら「悲しき」を浮かび上がらせるのも、押しつけがましくなくてとてもいい。
ことしいちばんの傑作である。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」8・9月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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