詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫全集11

2021-02-20 17:14:22 | その他(音楽、小説etc)
中井久夫全集11に、「インフルエンザ雑感」という文章がある。2009年のインフルエンザ騒動に関する文章だが、「新型コロナ雑感」として読むことができる。
中井の文章(思想、肉体、ことば)の特徴がくっきりとあらわれている。
事実と中井の肉体をつきあわせ、肉体で体験したことをもとに、ことば(論理)をまっすぐに動かし、その射程を広げて行く。
過激な運動ではないので、その射程を見逃してしまう読者もいるかもしれないが、この丁寧な運動には、やはりいつも頭を叩かれた思いがする。
いろいろ書かないが、100ページには、いわゆるロックダウンについて触れたことばもあり、これは新型コロナ雑感か、と、ほんとうに驚く。

中井の聡明さと正直をあらためて思うのだった。
(全集以外では「臨床瑣談、続」に収録されています。)
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ボルヘス「砂の本」(篠田一士訳)

2021-02-20 14:18:37 | その他(音楽、小説etc)
ボルヘス「砂の本」(3)

巻末の「砂の本」。153ページに、こんなことばがある。

もし空間が無限であるなら、われわわれは、空間のいかなる地点にも存在する。もし時間が無限であるなら、時間のいかなる時点にも存在する。

この訳語「無限」は夢幻に即座に誤植されうるがゆえに、あまりおもしろくない。
いったん「夢幻」と誤読してしまえば、ボルヘスの書いた文章は次のように偽造、捏造されて拡散されるだろう。

もしことばが無限であるなら、われわれは、ことばのどのような動きのなかにも存在し、そこから夢幻がはじまる。われわれがことばを夢見るのか、ことばがわれわれを夢見るのか。ことばが幻か、われわれが幻か、確認した作家も、定義することばもまだ存在しない。

これが、私がボルヘスから学んだこと。あるいは、誤読したこと。
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