秋亜綺羅『十二歳の少年は十七歳になった』(思潮社、2021年9月30日発行)
秋亜綺羅の詩の特徴は、ことばにリズムがあること、ことばが音楽であることだ。ただ、このリズム、音楽というのは世代によって感じ方が違うかもしれない。私が秋のことばを音楽的、リズムが快適であると感じるのは、私と秋とが同じ年代に属していることも関係しているかもしれない。私がことばを覚えたときの、音、リズムが秋のことばから聴こえてくる、ということである。これは「生理的反応」であって、それがほんとうに詩を読んだことになるのかどうかはわからないが、私は「生理的反応」を優先する。
ただし、気に食わないところもある。リズム、音楽を、もしかすると秋は「仕掛け」として利用していないか。秋の書いているリズム、音楽はもしかしたら「仕掛け」をくぐり抜けたあとの響きなのかもしれない。もちろんこの「仕掛け」を「哲学」と読み直せば、それは好意的なものにかわるかもしれない。
この部分は、ちょっと「保留」するしかない。でも、「保留する」と言いながら、それを書くしかない、とも思う。
「十二歳の少年は十七歳になった」は東北大震災のテーマにしている。全行引用する。
季節よ、城よ
無傷なこころがどこにある
とランボーは書いている
海が目の高さまでやって来て
握っていたはずの友だちの手を
離してしまった瞬間から
きみの時間はずっと止まったままだ
凍えていたね手と足と
おにぎりも飲み水もなかった淋しさと
叫びたかったおかあさんということば
泣くことも忘れていた吐息の温度と
暗闇に海の炎だけが映る瞳と
ぜんぶ拾い集めたらきみになるかな
きみは歩き出すかな
動かない時計だって宝物だね
けれどきみがいま秒針に指を触れれば
時間はきっと立ち上がる
空間はすっときみを抱きしめる
どんな鳥だって
想像力より高く飛ぶことはできない
と寺山修司はいった
傷はまだ癒えていないけれど
今度はきみが
青空に詩を書く番だ
大震災から五年後に書かれたものだ。五年間があるから動き始めたことば、という部分もあると思う。たとえば、二連目。「離してしまった瞬間から/きみの時間はずっと止まったままだ」。ここに秋の「哲学(仕掛け)」がある。「時間」はふつうは止まらない。でも「止まった」と感じることはあるし、実際に「時間が止まった(止まったままだ)」というのは、「慣用句」になっているかもしれない。「慣用句」というの、その表現と同時にその「感情」が多くの人に「共有されている」ということでもある。奇妙な言い方になるかもしれないが、俳句で言えば「季語」のようなもの。秋は、こういう「隠されている(とまでも言えないかもしれないが)共有された感覚」を揺さぶりながらことばを動かす。つかうのはいつでも「隠されている/しかし共有されている」感覚である。
三連目の「ぜんぶ拾い集めたらきみになるかな/きみは歩き出すかな」についても、同じことが言える。人間はさまざまな部分(記憶)でできている。そのひとつが欠けても、人間は生きるのがむずかしい。欠けている何かに引っ張られてしまう。では、それをもし拾い集め、欠けたものがない状態にしたらどうなるのか。ここからは想像力の問題だね。「隠されている/しかし共有されている」感覚を刺戟し、それを想像力へと変えていく。
二連目の「止まったまま」の「時間」は、動かなくなった「時計」という「存在」を手がかりに、動いていく。四連目の「時間はきっと立ち上がる/空間はすっときみを抱きしめる」は、もう一つの「仕掛け」だ。「時間」のほかに「空間」というものがある。「時間」と「空間」はセットにして考えられる。これは「隠されている/しかし共有されている認識(理性)」というものかもしれない。ここから読み直せば「隠されている/しかし共有されている感覚」というのも、不定形の感覚というよりは「理性化された感覚」「理性をくぐり抜けることで定型にたどりついた感覚」ということかもしれない。
秋はなんといっても「理性的」な詩人なのである。それは、古今、新古今のことばにいくらか似ているかもしれない。共有され、いまそこに隠れた形で存在しているものを活性化させる。それを詩の仕事と秋はとらえているかもしれない。自分の肉体をつかうのではなく、「理性」をつかう。
それはランボーを引き合いにだし、寺山修司を引き合いに出すところにもあらわれている。ランボーと寺山修司を書かずに、この詩を秋は書くことができるか、と問うのは見当外れかもしれないが、私はふいにそういう問いかけをしてみたくなる。
別の「仕掛け」もある。「馬鹿と天才は紙一重」は「馬鹿」と「天才」が紙の表と裏に書かれている。さらに「馬鹿」は「鏡文字」になっているものとふつうの文字になっているものが「鏡」のように重ね合う形で展開されている。「ことば」を「仕掛け」として「見せる」。これは最初に書いた「リズム」「音楽」とは無関係に見えるかもしれないが、やはり「鏡文字」というものがあるということ、活字は左右反対である(鏡文字である)という誰もが知っている「共有認識」を利用しているという点では同じである。さらに「わかる」「かわる」ということばをはさみ、この二篇はどちらから読んでも「意味」が通じるように書かれている。とても手が込んでいる。
ここでは、また読者は「肉体」をも刺戟されていることになるのだが……。
この「肉体」の問題と関連して、私には、実は「仕掛け」の問題でわからないことがある。これは秋にかぎらず何人かの詩人に通じることなのだが。
秋は「あきは詩書工房」という出版会社を持っている。自前の出版社を持っているのに、なぜ思潮社から詩集を出すのか。流通の問題があるのかもしれないが、私には、これがよくわからないのである。「出版社」は、本を出すためのいわば「仕掛け」。そして、それは私から見れば、秋の「肉体」である。どこかで「肉体」と「ことば」が切り離されていないか、という疑問がしきりに浮かぶのである。自分の肉体よりも、完成された「仕掛け」に信頼をおいていないか。信頼をおくが強すぎれば、確立された他人の「仕掛け」を利用していないか。もちろん利用してもかまわないのだが、その場合、「あきは詩書工房」から出版するひとはどういう気持ちになるのかなあと他人のことながら、私は気になったりするのである。
これは詩とは関係ないかな? それとも関係するかな?
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