阿部はるみ『からすのえんどう』(書肆山田、2021年10月05日発行)
阿部はるみ『からすのえんどう』は、どの詩も「正直」があふれている。だから自然とひきつけられる。阿部にしか見つけられない「発見」があったとしても、それはなんでもないことのように書かれている。つまり、「見つけた」と人に知らせるようには書かれていない。そこにこの人の「人柄」があふれている。
たとえば、「ヤモリ」。
なんの怨みがあるわけでもないが 爬虫類が苦手だ
できることなら出会いたくない 夏の夜 玄関わき
の外壁にヤモリがはりついているのを見かけるよう
になったのは いつのころからだろう そばを通り
かかってもじっとして動かない 夜の壁の感触が気
持よいのだろうか 遅く帰って来た者も「またいた
よ」などと言った ある朝 新聞を取りに出た門の
前にヤモリが死んでいた 涼んでいたところを誰か
に踏まれたのだろう 見るとすぐに 壁にはりつい
ていた彼だと確信した 急いで部屋に戻ると白いハ
ンカチを取ってきて なぜかあたりを見まわして
すばやくヤモリをくるんで庭の隅の馬酔木の木の下
に穴を掘って埋めた ある朝のほんの五分ほどの密
葬である 誰にも話さないことで 時おり このヤ
モリのことを思い出す
私が思わず傍線を引いたのは「誰にも話さないことで」ということばである。詩に書いてしまえば「誰にも話さないこと」ではなくなるのだが、そういう「揚げ足取り」はしない。阿部の詩の美しいところは「誰にも話さなかったこと」が静かに語られていることである。「誰にも話さなかったこと」を語るというのは「思い出す」ということである。最後に、その「思い出す」がそっと書かれている。
「思い出す」というのは、ある時間をもう一度生きるということである。そして、それは単に自分一人が生きるのではなく、誰かと一緒に生きるということである。だから、「誰にも話さないこと」というのは、その一緒に生きた「誰か」には話さなかったということである。詩に書いても、その詩を「一緒に生きた誰か」は読むわけではない。だから、矛盾しないのである。むしろ、そこに「正直」があるのである。
この「正直」を裏付けることばが、この詩にはほかにもある。そのひとつ。「壁にはりついていた彼だと確信した」。ヤモリを「彼」と呼んでいる。すでに、それ以前に「夜の壁の感触が気持よいのだろうか」という具合に阿部はヤモリに感情移入している。このことばは、きっと家族に向かって言ったことがあるのだろう。だから阿部がヤモリに感情移入していることは家族には知れわたっている。それだからこそ、「またいたよ」などと家族が報告したりする。感情移入しなくてもいいヤモリ(なんといっても、「爬虫類が苦手だできることなら出会いたくない」と思っている)にさえ、ふと阿部は感情移入する。こういうことは、誰にでもあることかもしれないが、阿部は、その感情移入の変化を丁寧に描いている。そこにほんとうに「正直」があらわれている。「なぜかあたりを見まわして」には、なんというか、その「感情」をひとには見られたくないというような不思議な「味わい」がある。それこそ「誰にも話さない」(隠しておきたい)ことである。でもね、ヤモリには知ってもらいたいのだ。「密葬した」ということよりも、「なぜかあたりを見まわして」しまったということを。これは「正直」を裏付けるもうひとつのことばである。
他人から見れば、これは、どうでもいい話である。阿部が死んでいるヤモリを、いつも見ていたヤモリだと信じて密葬する。それで世界がどうかわる? きっと、そういう反応を示す人がいると思う。
さらに、ここに書かれていることばにどんな世界を変えていく可能性がある? という人もいるかもしれない。日常の、どうでもいいことを、ただ書き綴っている作品、と批判する人もいるかもしれない。
でも、私は、ここに「世界を変えていく可能性」があると思う。「正直」であることは、とくに新しい「思想」ではない。だが「正直」がなければ、どんな「思想」も飾りでしかない。人間は「正直」に生きて、「正直」に生きればみんな幸せになれる、という思想よりも大きな思想を私は知らない。マルクスだって、結局のところ、働いて生み出された利潤というものは、誰かだけのものではなく、みんなの支えあいがあったから生み出されたもの、きちんと分配しなければならない、という「正直」が独自のことばで語られたものだろう。「正直な思想」はみな同じところにたどりつくのである。翻訳されている西洋の難解なことばだけが「思想」なのではない。
脱線したが。
阿部の書いている「誰にも話さないこと」、しかし「思い出す」ことは、いろいろな詩で書かれている。「思い出す」は、「薬罐」では、「だいじょうぶ/忘れることを忘れていないから」という不思議な形で書かれているが、この「忘れていない」が「思い出す」なのだ。この微妙な「忘れていない」は「微動」という詩で、とても美しい形で書かれている。
阿部にはサチコさんという知人がいた。国木田独歩の「丘の白雲」や高村光太郎の「道程」が好きな人である。その人は、もうこの世にはいない。ひつじ雲を見ていたら、ふいに思い出してしまう。
わたしのなかに束ねられた
たくさんの記憶のカードは
思いがけず 選ばれて
浮かび上がる
今日 久しぶりに選ばれたのは
親友でもなかったサチコさん
親友ではなかったけれど
今ごろになって
涼しい声を聞かせてくれる
「親友でもなかったサチコさん/親友ではなかったけれど」がとてもいい。「涼しい声」というのもいいなあ。
あのヤモリも、阿部にとっては「親友でもなかった」、そして「親友ではなかったけれど」、ひとりで「密葬」をした。ヤモリの詩をヤモリに聞かせたい、そして「微動」は、なによりもサチコさんに聞かせてやりたいと思う。「親友でも(は)なかった」サチコさんは、何と言うだろうか。「涼しい笑顔」を見せるだけだろう。そういう「再会」がこの詩にはある。
表題作の「からすのえんどう」は、こうした「人生/思想」をかなり静かに見つめなおしている。三日前、小さな花だったからすのえんどうが、きょうは莢をつけいてる。三日前、路上に落ちていた輪ゴムが同じところに落ちている。人間も輪ゴムも、「可燃物」として「分別」される、と書いたあと。
ゆるんだ蛇口から
疑問符が
それでよかったの?
思い出したように
滴る
もう眠りの淵まで下りてきた
止めには行かない
人は、どういうことでも思い出す。親友でなくても思い出す。ヤモリでさえ思い出す。「それでよかったの?」と阿部は書いている。「それでいいのだ」と私は思う。滴る水道を止めに行かなくてもいいのと同じだ。無理をしなくていい。何もしなくてもいいのだ。最初に戻ってしまうが、あらゆることは「誰にも話さない」ままでいい。でも「話してもいい」。決める必要はない。
私はふと、荘子が夢見た世界というのは、阿部が書いているような人間の世界かなあ、と思うのである。
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