(現行憲法)
第60条
1 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
(改正草案)
第60条(予算案の議決等に関する衆議院の優越)
1 予算案は、先に衆議院に提出しなければならない。
2 予算案について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合において、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算案を受け取った後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
国会に提出するのは「予算」か「予算案」か。厳密には「案」であり、改憲草案は、その点を修正したということかもしれない。第59条では「法律案」ということばをつかっているように、国会で審議するのはあくまでも「案」であるということ。しかし、予算(案)を提出できるのが内閣だけであること(野党は提案できない)ということを考えると、他の法律と同一視することはできない。「予算」ではなく「予算案」にすることで、自民党は、予算(案)を誰もが提出できるものであるかのように装っているともいえる。ここから「代案を出せ」という「論理」が生まれてくる。予算に関して言えば、野党は「代案」を提出することができない。提出された予算について、注文をつける、修正を求めることしかできない。この点を考えると、国会に提出された段階では、まだ「予算」ではなく「予算案」である、という論理はそのまま受け入れることはできない。「案」を審議した、そして可決したと、強引に予算を成立させてしまうことを私たちは何度も見てきている。「案」なのに十分に審議されない。これは「予算」には期限があるということも関係しているかもしれない。「法律案」なら、そのときの国会での成立を見送り、次の国会へと審議を継続させることができる。けれど「予算」は、そういうことができない。
「予算案」と呼ぶか「予算」と呼ぶかは、「法律案」と同じようには見ることができない。こういう、ほんとうに細かなところが、私にはなぜか大事に思える。わざわざことばを変更したのはなぜなのか。そのことを考えないといけない。強行採決に「お墨付き」を与えるために「案」を挿入したとも言える。
第60条では、「場合に」を「場合において」と「おいて」を追加している。「おいて」は強調なのか、それとも拘束力を弱めるために追加したものなのか、これも他の条文で「おいて」がどうつかわれているかを比較検討してみないとわからない。私は「全体」を見渡し、俯瞰的に改正草案を読んでいるのではなく、最初から、少しずつ、「結論」を念頭におかずに書き始めているので、こういう問題にぶつかると悩んでしまうのだが、保留したまま書き続ける。(法律家ではないので、わからないことは「保留」にしておく。)
(現行憲法)
第61条
条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。
第62条
両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。
第63条
内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。
(改正草案)
第61条(条約の承認に関する衆議院の優越)
条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。
第62条(議院の国政調査権)
両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。
第63条(内閣総理大臣等の議院出席の権利及び義務)
1 内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、議案について発言するため両議院に出席することができる。
2 内閣総理大臣及びその他の国務大臣は、答弁又は説明のため議院から出席を求められたときは、出席しなければならない。ただし、職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない。
第61条、第62条は「かなづかい」の変更。
しかし、第63条は大きく変更されている。二点ある。
「国務大臣」は国会議員でなくてもなることができる。だから現行憲法は「両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず」と明記している。そうしておかないと、後段の「出席しなければならない」について拒否される可能性があるからだ。「民間登用された大臣」は「私は国会議員ではないので、国会で答弁する必要ない」と拒否できる可能性がある。あるいは「国会議員ではないので国会で答弁させることはできない」と内閣側が言い張り、答弁させないということさえ起こりうる。
改正案の狙いは、いかに内閣総理大臣や他の他の大臣が国会答弁を拒否できるようにするかというところにある。
「答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない」と現行憲法が定めているのに対し、改正草案は「職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない」と「拒否できる」と変更している。「職務の遂行上特に必要がある場合」というのは、基準があいまいである。該当大臣が「必要」と判断すれば、個人の判断で拒否できることになる。「民間大臣」の場合は、「かけもち」の仕事を理由に拒否できるということさえ起きてしまうだろう。これは実質的には、総理大臣や他の大臣は、自分が答えたいときだけ答弁、説明すればいい、いやなら答弁、説明をしなくてもいい、ということになってしまう。
この問題を考えるとき、現行憲法の「又、」のつかい方と、改正草案の「ただし」のつかい方にも注目すべきだと思う。
先日も書いたが、現行憲法の「又、」は、補足条件として、反対側の視点から言いなおすときにつかわれる。「内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる」は総理大臣、他の大臣の「権利」である。いつでも国会に出て、発言できるのである。これでは内閣の一方的な「主張の押しつけ」になりかねない。だからこそ、逆の規定もしておくのである。場合によっては、説明してしまうと「まずい」ことがあるかもしれない。菅の学術会議会員の任命拒否の問題などである。菅はNHKで「説明できることとできないことがある」というような開き直りをしているが、その開き直りを許してはいけない。だから、「権利」と同時に「義務」を明記する。それが「答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない」であり、その二つの条件を結びつけるときに「又、」をつかうのである。繰り返しになるが、これは第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」の「又、」と同じつかい方である。
「又、」がそういうつかい方をしているということを意識しているからこそ、改憲草案は「又、」ではなく「ただし、」と例外規定を追加するのである。
(現行憲法)
第64条
1 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。
(改正草案)
第64条(弾劾裁判所)
1 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法律で定める。
3 前二項に定めるもののほか、政党に関する事項は、法律で定める。
「これは」の削除によるテーマ隠しが、ここでもおこなわれている。
改正草案は、この「弾劾裁判」につづけて、新設条項をもうけている。
(改正草案)
第64条の2(政党)
1 国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることに鑑み、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない。
2 政党の政治活動の自由は、保障する。
3 前二項に定めるもののほか、政党に関する事項は、法律で定める。
読んでわかるように、これは「弾劾裁判」とは何の関係もないように見える。しかし、改正草案は、「政党」という項目を立てているにもかかわらず、同じ第64条にしている。この意図は何だろうか。
第64条の2(政党)は「政党」の保護を目指している。政党の活動の自由を明記している。しかし、一方で「政党に関する事項は、法律で定める」としている。「政党ではない」と判断すれば、その活動の自由は保障されないということが起きる。たとえば「共産党は政党ではない」と法律で規定すれば「共産党」は政党としての活動をできなくなる。
さらに、この政党の保護は、政党に属さない個人の活動の自由を阻害することになるかもしれない。「無所属」であると、政治活動ができない。国会議員として活動できない、活動の自由は保障されないということが起きるかもしれない。
これをさらに拡大解釈していくと、たとえば自民党議員であっても個人的な立場で法律に賛成できない、反対票を投じたとする。そのとき自民党はその議員を追放し、「無所属」にしてしまうということが起きかねない。これは逆に言えば、いわゆる「党議拘束」による議員支配ができるということである。「弾劾裁判」が裁判官の権利を剥奪することができるように、国会議員の権利を剥奪することが「党議」によってできるようにする、ということが目的だろう。
結果的に、自民党以外の党は許さない、という独裁の宣言である。
これは、いつも問題になる「緊急事態条項」に匹敵する大問題である。「政党」の要件を、衆議院選挙で30%以上の得票を得た政治組織と法律で定めてしまえば、いまの日本では自民党以外に正当は存在できなくなる。ほかの政治団体は「政党」ではないから、その活動の自由は保障されない、ということが起こりうる。もちろん、個人の政治活動は、国会議員個人としては不可能になる。政党に属していないのだから、その活動の自由は保障しなくてもいい(憲法で認められていない)とさえ主張できることになる。
「保護」をうたった「新設条項」ほど、うさんくさいものはない。 「保護しない」を生み出す可能性がある。それに注目しないといけない。