松井ひろか『十六歳、未明の接岸』(七月堂、2021年09月25日発行)
松井ひろか『十六歳、未明の接岸』。どの詩を引用しても、何か、こころが苦しくなるところがある。音に切羽詰まったリズムがある。私はこういう切羽詰まった感じは、あるところまでは近づけるが、最後は身構えてしまう。
「ひかりを掬う麦」はゴッホの「麦畑」を見たあとの印象。
フィンセント・ファン・ゴッホさん
うず巻く闇を抱えるあなたに
一点の暗がりもない日々があった
生涯のうちの七日間
たしかに大地を踏んでいた
芸術家としての幸福を
あなたはきちんと味わって
畢生を全うされたんですね
(そのことが後世のひとをどんなに幸せにすることか!)
私が「切羽詰まった」という印象を受けるのは、「うず巻く」の「うず」、「一点の暗がり」の「一点」、「たしかに」、「きちんと」ということばである。「強調」がある。強調は緊張につながる。その緊張が最終的に「畢生」という非常に意味が限定されたことばに到達する。日常的にはめったにつかわないことば(私はつかったことがない)につながっていく。それだけではなく、それに「全う」ということばが追い打ちをかける。
松井は肉体全体をつかってゴッホの「麦畑」と向き合っている。それは松井自身をゴッホに重ね合わせようとする行為、ゴッホと一体になろうとする動きに感じられる。
何のために?
ここが、また、問題。私が思わず身構え、身を引いてしまうところ。
(そのことが後世のひとをどんなに幸せにすることか!)
松井のなかに訪れた、ゴッホとの一体感。ゴッホの「生涯のうちの七日間」に匹敵するような幸福感。何かを発見した喜び。それはきっと「後世のひとを幸せにする」。松井は、この瞬間、そう信じている。これは「絶対的な正しさ」を持っている。言いなおすと、こういう至福に対しては、誰も口をはさめない。それは決定的に個人的なもの、松井だけのものであり、松井だけのものであることによってのみ他人に共有されるものだからだ。私には、まだ、そういうものを受け止めるだけの力がない、と思い、私は身構えながら、そっと退く。そういうことしかできない。
「母を産む」には、こういう二行がある。
お母さん、
私が娘でしあわせでしたか
「麦畑」に出てきた「幸せ」は、この問いと結びついている。「麦畑」を見て苦悩するひとがいるかもしれない。それはそれで苦悩することができるという「幸せ」なのである。そうであるなら、「お母さん」も「幸せ」であると言えるし、この詩を読む私も「幸せ」と言える日が来るだろう。
ただ、私は「母親」ではなく一読者にすぎないので、「論理的」にはそういうことを考えることができるが、どうしても肉体のなかに「緊張感(身構え)」が残ってしまう。
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