ケビン・マクドナルド監督「モーリタニアン 黒塗りの記録」(★★)(2021年10月30日、キノシネマ天神スクリーン1)
監督 ケビン・マクドナルド 出演 ジョディ・フォスター、ベネディクト・カンバーバッチ、タハール・ラヒム
9・11に関係する「実録」映画といえばいいのか。事実をもとに、正確にはモハメドゥ・ウルド・スラヒの著書「グアンタナモ収容所 地獄からの手記」を題材につくられた映画。
アメリカの「事実に基づく映画」で、私が一番奇妙に感じるのが、登場人物が実在の人物に「容姿」を似せることである。この映画ではジョディ・フォスターが実在の弁護士が白髪なので白髪で登場する。これが、なんとも気持ちが悪い。ジョディ・フォスターのほんとうの髪の色は忘れてしまったが(久しく見ていないので、見に行った)が、この映画の弁護士のように白髪ではないし、年をとった結果だとしても、こういう色の白髪にはならないだろうという冷たい色をしている。ジョディ・フォスターは、もともと「陽気」という感じではないが、あの紙の色では「冷静」というよりも「冷たい」だけが前面に出てしまう。
それではなあ、と思うのだ。
実在の弁護士の声は知らないが、ジョディ・フォスターは低音でかすれている。声そのものが感情の抑制を表現している。あの声があれば、「冷静」は十分に表現できる。声だけで演技すればいいじゃないか、と思う。
ベネディクト・カンバーバッチもわりと低い声で、「冷静」を表現していた。ジョディ・フォスターのようにハスキーではない。深みをもった低めの声である。
それはそれでいいのだが。
私はこの二人の声を聞きながら、あ、これは私の予想と違って「法廷ドラマ」ではないぞ、と感じた。9・11に関係しているという嫌疑で、何年も拘留されているモーリタニアの青年の無実を証明する。そのときの弁護士と検事側(実際はベネディクト・カンバーバッチと途中でその仕事を辞める)のやりとりが法廷でおこなわれるという映画だと思っていたが、そうではないぞ、と気がついた。こんなに「似た声」の持ち主が法廷で対立しても、ドラマははじまらないからね。
実際、法廷ドラマは、ないに等しい。タハール・ラヒムの「独り舞台」と言っていい。法廷に直接出ているのではなく、拘留されているグアンタナモ収容所から「中継」で証言する。タハール・ラヒムの声は、ジョディ・フォスター、ベネディクト・カンバーバッチとは違い、明るい。声が「無実」を証明している。
これはねえ。
映画ではなく、「声」を聞かせる舞台の方が「人間性」があらわれておもしろくなる作品だと思った。
「犯人」をなんとしても処刑したい、と思っている「検察側(ブッシュ側)」のなかにも、ひとり「冷静/強靱」な声を持っている人物(ベネディクト・カンバーバッチ)がいて、それが弁護側の「冷静」な声(ジョディ・フォスター)と和音をつくるように接近し、物語をつくっていく。「和音」が完成した瞬間、そこから、いままで存在しなかった「新しい響き」(タハール・ラヒム)が生まれ、広がっていく。タハール・ラヒムの声はもちろん最初から存在するのだが、ジョディ・フォスター、ベネディクト・カンバーバッチのつくる和音によってさらに自由になって響く。そういう感じかなあ。
私が映画を見ながら、そして見終わったあとに夢見たのは。
でもね。
この「音楽」は、タハール・ラヒムの証言が象徴的にあらわしているが、実際は「その場」に集まって生まれるのではなく、離れたところにいて、むりやり(?)合体させられるのである。そのためタハール・ラヒムの証言が「意味の美しさ」でおわってしまう。「意味」が前面に出すぎて、「声」が隠れてしまう。
それがなんとも残念。
この映画じゃ、ブッシュを「後悔」させることはできないね。
こんなことを書くのは、この映画が、映画のリズムをもっていないからだな、きっと。肝心の部分が「ことば(声)」で説明される。もちろん「黒塗り」の文書は映像化されているし、許されない拷問のシーンも映像化されている。でも、それは「ことば(セリフ)」を補足するものであって、肉体を刺戟してこない。肉体にとどくのは、「声」だけなのである。これだったら、映画にする必要はない。それこそ「手記」でいい。
こんなことを気づかせてくれるのは、変な言い方だが、ジョディ・フォスターが実在の弁護士そっくりの髪の色で「変装」していたからだね。「変装」は、ばれる。それが隠れている「声のドラマ」のおもしろさを明るみに出したということかな。あえて、いい点をあげるならば。
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