森鴎外「雁」を外国人と読む
アメリカ人と一緒に、森鴎外の「雁」を読んだ。日本にきて1年半くらい、7月にN2の試験を受けたそうだが、結果は聞かなかった。N2では、たぶん、てこずる。でも、私が日本の作家では森鴎外が一番と言ったので、ランチタイムに文庫本を買ってきて、午後の授業で読むことになったのだ。
「壱」に、次の部分がある。(仮名遣いは、「現代仮名遣い」にあらためた。)
大抵どの下宿屋にも特別に幅を利かせている客があるもので、そういう客は第一金廻りが好く、小気が利いていて、お上さんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。時々はその箱火鉢の向側にしゃがんで、世間話の一つもする。部屋で酒盛をして、わざわざ肴を拵えさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘をするようでいて、実は帳場に得の附くようにする。まずざっとこう云う性の男が尊敬を受け、それに乗じて威福を擅(ほしいまま)にすると云うのが常である。
説明の難しいことばに「幅を利かせる」「小気が利く」「擅」がある。しかし、これは鴎外の文章をゆっくり読むと、意味がわかるように書かれている。ことばが互いに関連している。そのために知らないことばでも、それなりに理解できる。
「幅を利かせる」は、ひとまず保留。
「小気が利く」とは、どういうことか。たとえば「お上さんが箱火鉢を控えて据わっている前の廊下を通るときは、きっと声を掛ける。時々はその箱火鉢の向側にしゃがんで、世間話の一つもする」。時間潰しの相手をする。その小さな心遣い。さらに「部屋で酒盛をして、わざわざ肴を拵えさせたり何かして、お上さんに面倒を見させ、我儘をするようでいて、実は帳場に得の附くようにする」というのも、その例である。相手に「帳場に得の附くようにする」というのが、相手から見れば「気が利く」なのである。もちろん、それがすべてではないが、面倒なようで得をさせてもらったなあと感じさせる行為を「気が利く(小気が利く)」と、日本語では言う。
「尊敬」は、まあ、「評価」である。「尊敬を受け」は「評価され」、あるいは「大切にされ」(重宝され)だろう。そのあとの「威福を擅にする」がやっかいだが、鴎外の文章は「わからないことば」を「別のことばで言い直し、説明している」ということを説明すると。
「あ、我儘に似ている」
「わがまま」は「自分勝手」。何となく似ている。そしてそれが最初に保留してきた「幅を利かせる」につながっている。「威福を擅にする」が「幅を利かせる」なのだ。つまり、このひとかたまりの文章は「幅を利かせる」とはどういうことか。人間が幅を利かせるようになるまでには、その背景にどんなことがあるか、を説明しているのである。しかも、具体的な人間の「行動」を通して、人間関係(こころの関係)を描いている。
「ほしいまま」は「恣」とも書く。ここに「こころ」という文字が含まれるので、「擅」よりも「我儘」がつたわりやすいかも。鴎外は、そうではなくて「擅」をつかっているが。さらには「欲しいまま」というような表記も最近は見かけるが、これは「我儘」の感じがさらに強くなる。
というようなことまでは、とても説明できなかったが。なんといっても、突然、「雁を読みたい」と言われて、準備が出来なかった。「ここでつまずく」というのはすぐにわかるが、そのつまずきの石をどうやって取り除くか、そのためには何に気をつかせるか(どのことばに注目させるか)は、相手次第で変わるからである。
でも、日本語を勉強し始めて1年半、N2の試験を受けてみようかな、という外国人にも、ゆっくり読めばわかるように書かれているのが鴎外の文章である。やっぱり、「先生」である。鴎外先生、と呼びたくなるのは、こう言うときである。
そして、私が感心するのは、鴎外が小説のなかに取り込んでいる「具体的な例(人間の動き)」には、鴎外が「前面」に出てくるというよりも、鴎外の周辺にいる人の動きを「前面」に出す形でことばが動くということである。特に「相手(描写された人物)」を評価する(尊敬する)ということではないが、その人の行動を、そばにたってことばでととのえるという感じがある。「幅を利かせる」にしても、そのことを「批判」していない。これがいいなあ。鴎外が大好き、と言わずにはいられない。
そういうことを、ほんとうは日本語教師をしながら伝えたいが、これは、とっても難しい。日本人相手にでもつたわらないかもなあ。
杉田久女の「谺して山ほととぎすほしいまま」を、ふと、思い出しながら。この「ほしいまま」は「幅を利かせている」に似ていない?
*********************************************************************
★「詩はどこにあるか」オンライン講座★
メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。
★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)
★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。
費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。
お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com
また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571
**********************************************************************
「詩はどこにあるか」2021年6月号を発売中です。
132ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。
<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001652">https://www.seichoku.com/item/DS2001652</a>
*
オンデマンドで以下の本を発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349
(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com