詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(111)

2019-04-09 00:00:00 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
111 ニコメディアのユリアヌス

 私は歴史には関心がないので、ユリアヌスのことは何も知らない。カヴァフィスは、なぜユリアヌスに関心を持ったのか。

分別を欠く危険なふるまいだ--
ギリシャの理想や超自然の魔法などを
讃え、異教徒の神殿に参り、
古代の神々に熱狂し、
クリサンティウスなどと頻繁に語り合い、
明敏なる哲学者マクシムスと思索にふける。

 ユリアヌスというよりも、クリサンティウス、マクシムスに関心があったのか。カヴァフィスは、彼らのことばを読んだのだろうか。
 ユリアヌスがギリシャに関心を持ったということ以上に、彼の「思想」がふらふらしていることに興味を持ったのではないか。ギリシャに溺れる(?)ことをいさめられたユリアヌス。彼がどうしたかを、詩の後半は簡潔に描いている。 

そこでユリアヌスは朗唱役として
再びニコメディアの教会に赴いた。
そこで、聖なる書物の文章を
心を込めて敬虔に読み上げる。
人々はみな彼のキリスト教への熱意に感動する。

 ユリアヌス個人のなかにおける「裏切り」。自分自身に対する「裏切り」。ほんとうにしたいのは何か。そのしたいことをしないで生きるという瞬間がある。そういうとき、ひとは弱いのか、強いのか。変節するから弱いというのが普通の考え方かもしれないが、変節をかかえこんで生きる強さをもっているとも言うこともできる。「論理」とは、めざす結論のためなら、どんなふうにでもことばを動かしてしまうものだ。
 でも、詩は違うだろうなあ。
 「論理」をほうりだして、矛盾を矛盾のまま抱え込むことができる。矛盾を指摘されたら、「論理の整合性(論理の完結)」をめざしていないと開き直れるのが詩だ。

 池澤はいくつも註釈をつけているが、どの註釈も、註釈がないと私にはわからない類のものである。引用は省略する。




カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
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