詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『土地の名-人間の名』(1986)(92)

2019-08-22 16:29:54 | 嵯峨信之/動詞
* (ぼくをたずねあぐねて)

〈時〉はしだいにぼくから遠ざかつていつた

 「ぼく」ではなく「時」が主語。「時」には「過去」「現在」「未来」と三つの時制がある。嵯峨は、そういう「物理的」な時間ではなく、時間という「抽象的概念」そのものが「遠ざかつていつた」と言っているのだろうか。
 だから、

一枚の枯れ葉が
ぼくの眼のなかを漂う

 と「一枚の枯れ葉」という具象が「時」にとってかわる。もちろん「枯れ葉」は比喩であるが、逆に「枯れ葉」の比喩として「時」が描かれているとも読むことができるだろう。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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