* (ぼくをたずねあぐねて)
「ぼく」ではなく「時」が主語。「時」には「過去」「現在」「未来」と三つの時制がある。嵯峨は、そういう「物理的」な時間ではなく、時間という「抽象的概念」そのものが「遠ざかつていつた」と言っているのだろうか。
だから、
と「一枚の枯れ葉」という具象が「時」にとってかわる。もちろん「枯れ葉」は比喩であるが、逆に「枯れ葉」の比喩として「時」が描かれているとも読むことができるだろう。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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〈時〉はしだいにぼくから遠ざかつていつた
「ぼく」ではなく「時」が主語。「時」には「過去」「現在」「未来」と三つの時制がある。嵯峨は、そういう「物理的」な時間ではなく、時間という「抽象的概念」そのものが「遠ざかつていつた」と言っているのだろうか。
だから、
一枚の枯れ葉が
ぼくの眼のなかを漂う
と「一枚の枯れ葉」という具象が「時」にとってかわる。もちろん「枯れ葉」は比喩であるが、逆に「枯れ葉」の比喩として「時」が描かれているとも読むことができるだろう。
*
詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
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