詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

フェルメールの模写現場を見て考えたこと

2012-05-16 00:55:47 | その他(音楽、小説etc)
 05月の連休を利用して駆け足でアテネ、ウィーンをめぐってきた。アテネでプラトンとソクラテスの「亡霊」に会うのが目的だったのだが--そして、実際に会えたつもりなのだが、そのことは別の機会に書くことにして。
 貴重な写真を公開します。

 ウィーン美術史美術館でフェルメール「絵画芸術」を見た。
 このとき、模写(レプリカ?)が製作されていた。その現場に出合った。写真は、模写(左)と本物と、その前の私。
 この日の公開は「午後4時から」ということだったのだが、列ができるかもしれないと思い、3時40分に行ったら、たまたま一番乗りできた。(列はできていなかった。)公開は3時45分から約20分、4時5分まで。4時に行っていたら、あるいは4時以降に行っていたら見ることができなかった。
 実は入場前にインフォメーションで聞いたら「きょうの公開は4時から。あすの予定はわからない」というあやふやなものだった。理由はわからない。「日本人がフェルメールを見たいといっているが見ることができるか」とトランシーバーで女性が尋ねてくれたのだが、そのときは詳細な事情は私の語学力ではわからず、まあ、四時まで待ってみるか、それまでほかの作品を見るかと思って入場し、偶然、その公開時間にめぐり会ったのである。(4時5分後は部屋の外から摸写しているのを見ることができた。)

 このとき、私が考えたこと。
 私は「ことばは肉体である」ということを考えるためにアテネに行った。そして、そのついでにウィーンに行ったのだが……。
 ことばと絵の違いは何か。
 ことばは誰でもが正確に転写できる。転写しながら他人に伝達できる。
 ところが絵の場合は「正確」にはそれを他人に手渡すことができない。
 私が目撃した「絵画芸術」の模写では、大きさ、形はそのままだし、色もそっくりである。そっくりであるけれど、たとえば女性の持っている本の色が私には少し違って見える。(私はいま色覚異常の検査を受け、原因を調べている状態なのでいるので正しい?色を識別しているとは言えないかもしれないけれど……。)
 で。
 そうすると、ことばの伝達、絵画(色と形)の伝達の場合、何が共通し、何が違うのかという問題が生じる。
 ことばにおける肉体の役割、絵画における肉体の役割--伝達における肉体の役割が違っていることに気がつく。
 ことばを「文字」をとおして伝達していくとき肉体の占める領域は少ない。下手な字であろうと上手な字であろうとことばのもっている「意味」を伝えるとき、上手下手は関係ない。つまりどんなふうに肉体を動かすかということはあまり関係がない。私がいま書いているようにワープロをつかうと、それはもっと差がなくなる。書道は別にして、ことばそのものをことばとして伝えるとき肉体の果たす役割には個人差が入り込む余地がない。
 けれど絵画の場合は違う。どんなふうにして筆をつかえるか。どんなふうにして色を識別し再現できるかは個人の肉体の力によって違ってくる。
 で。
 絵の模写を通じて何かを誰かに伝えるとしたら何を伝えるのか。もし、ことばと共通項があるとすれば何が共通項になるのか。

 技術。

 私は、ふと技術ということばを思いついた。
 フェルメールの模写が伝えることができるものがあるとすれば、それは絵画の技術である。どんなふうにして色を組み合わせるか。どんなふうにして筆を動かすか。
 「技術」という点から見ていけば、ことばと絵画には共通のものがあるかもしれない。
 どんなふうにしてことばを組み立てるか。どんなふうにことばを動かすか。
 それは「技術」であり、思想である。
 技術はいつでも思想なのだ。技術の中には思想がある。
 それはアテネで見たパルテノン神殿にも通じる。
 大理石を切り出し、ある形に加工する。それを積み上げる。それは技術である。技術であるけれど、技術だけではない。そこには数学(物理)の思想が入ってくる。また美術の嗜好(思想)も入ってくる。
 技術としての思想は、たとえばパルテノン神殿の場合、それを建設する人間の肉体によって具体化される。
 同じように、フェルメールの模写の場合も、それを模写(複製)をするひとによって具体化される。

 ことばの場合、ことばが具体的な形をとらないためにわかりにくいけれど、ことばそのものの肉体のなかに、その技術は継承されているに違いない。

 ことばを「文字」ではなく「声」という点から見つめなおすと肉体の関与はもっと強くなる。
 私はウィーンではオペラ座で「椿姫」は「サロメ」を見た(聞いた)が、そのときことば(声)と肉体、肉体の技術ということについてあれこれ思った。
 このことはいずれ書きたいと思うけれど、きょうの「日記」は、まあ、そんな思いよりも、いまウィーンの美術史美術館ではフェルメールの模写がおこなわれており、偶然が重なればそれを目撃できるということを紹介することが目的なので、これでおしまい。

 (あすウィーンに行って模写の現場に立ち会えるかどうかは、私にはわかりません。)
 
コメント (2)
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しばらく休みます。

2012-05-01 11:17:10 | 詩集
理由は、下の「日記」に関連しています。

パソコンモニターと電子光学・工学に関する情報を求めています。
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パソコンのモニターと色について詳しいひとはいませんか?

2012-05-01 11:10:59 | その他(音楽、小説etc)
(資料写真が大きいので、画面をスクロールして、見てください)

パソコンのモニター、あるいは色の電子光学(工学?)について詳しいひとはいませんか?
私は2012年01月30日からパソコンのモニターの色が正確には識別できません。
デフォルトの白(薄灰水色?)がピンクに見えます。
ただし全部のモニターがそうなのではなく、ナナオのEIZOのモニターで起きます。
もっと詳しくいうと、IPS方式を採用しているFlex Scan SX2462 W-HX のモニターの白がピンクに見えます。
VA方式のFlex Scan SX2262 Wでは起きません。
そして、この現象はデジタルカメラで撮影したとき再現されます。
デジタルカメラで撮影するとIPS方式のモニターの白はピンクになるけれど、VA方式のモニターはデフォルトの白のままです。





掲載写真の左がVA方式、右がIPS方式。ともにナナオのホームページ(トップページ)を映しています。
掲載の写真は、福岡・天神のナナオのショールームで係員立ち会いのもとに撮影したものです。(係員がデジタルカメラで撮影するとピンクに撮影されるのを目撃しています。)
私のつかったカメラはCanon IXYですが、プロ仕様のカメラでも同じことが起きます。(会社にあるモニターをプロのカメラマンに撮影してもらい、確認済み。)

また、IODATAのモニターでは、正面から見るとグリーンの色が、斜め上から角度を変えてみるとピンクに変わります。これは私の肉眼だけに起きることではなく、ほかのひとにも起きる現象です。富士通の一部のパソコンでも角度を変えてみると水色がピンクに見えるものがあります。これも私の肉眼だけではなく、他のひとの肉眼でも同じです。
そして、IODATAのモニター、富士通のモニターをデジタルカメラで撮影すると、グリーンはグリーン、ピンクはピンクと肉眼に見えたのと同じ状態です。

ナナオのFlex Scan SX2462 W-HXの場合だけ(ほかにも厳密に調べていけばあるかもしれないけれど)、私の肉眼で起きる異常とカメラの反応が同じになります。

なぜそういうことが起きるのか、幾つかの病院で医学の場から検査していますが、原因が特定できていません。
網膜の検査、脳のMRI検診では異常と特定できる部位は見つかっていません。(視路の検査は5月下旬に受ける予定です)
色の電子光学(工学?)から見ると、どういうことなのか、わかることがありましたら教えてください。
コメント (4)
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