詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy Loco por España(番外篇366)Obra, Blai Tomás Ibañez

2023-06-13 16:39:25 | estoy loco por espana

Obra, Blai Tomás Ibañez

 El interior de la iglesia que lo ve Blai es muy diferente del de la que lo veo yo.
 El altar principal que lo ve Blai está fuera de la iglesia, no dentro. Está conectado con el exterior. Los cristianos no "entran" en la iglesia. Ellos "pasan" a través de la iglesia para ir a un mundo diferente de aquel en el que viven ahora. Salen de las tinieblas y entran en la luz.
 Ellos son conducido al cielo. A partir del altar, los muros que conforman la iglesia se derriban y el mundo se expande hacia el exterior.
 El altar también, me parece que, es menos un altar y más la fachada de otra gloriosa iglesia, la entrada a otra iglesia. Rezando, pueden pasar por varias iglesias y llegar al mundo que buscan. Me parece que la gente entradndo a iglesia es una peregrinación eterna.

 Blaiが見ている教会の内部は、私の見ている教会の内部とはまったく違う。
 正面の祭壇は、教会の内部というよりも、教会の外部である。外につながっている。彼らは、教会に「入る」のではない。教会を「通って」、いま生きている場とは違う世界へ行くのだ。暗闇から、光の中へむかって進んでゆくのだ。
 それは天へつながっている。祭壇を起点にして、そこから教会を構成している壁が壊され、世界が外部へむかって拡大していく。
 また、その祭壇は、祭壇というよりは、別の輝かしいもうひとつの教会のファサード、別の教会の入り口にも見える。祈りを捧げることで、いくつもの教会を通りぬけ、求めている世界へたどりつくのだろう。それは、永遠に続く巡礼旅のようにも感じられる。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇365)Obra, Joaquín Llorens

2023-06-13 08:38:56 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens
Técnica. Hierro 63x 23x 18 N.3

 No soy cristiano. Quizá sea por eso, pero esta obra me parece representar a Cristo en la cruz. Y desde otro ángulo, me parece un hombre arrodillado ante Cristo en oración.
 La oración, supongo, es una llamada y una respuesta.
 El que escucha la oración y el que reza. Puede simbolizar el amor que no puede separarse.
 El sufrimiento y el amor están profundamente conectados y forman al ser humano. Aquí se expresa la humanidad de Joaquin.

 私はキリスト教徒ではない。だからなのかもしれないが、この作品は十字架のキリストをあらわしているように見える。そして、それは別の角度から見ると、キリストの前に跪き、祈りを捧げている男にも見える。
 祈りとは、呼応なのだろう。
 祈りを聴く人と、祈りをする人。それは切り離すことのできない愛を象徴しているかもしれない。
 苦悩と愛は深く結びついて、人間を形成する。ここに、Joaquin の人間性があらわれている。

 

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中村不二夫「ロールキャベツを作る」、星野元一「雪の中のホタル」

2023-06-12 21:45:30 | 詩(雑誌・同人誌)

中村不二夫「ロールキャベツを作る」、星野元一「雪の中のホタル」(「蝸牛」70、2023年04月20日発行)

 中村不二夫「ロールキャベツを作る」を読む。

ぼくは妻のためにロールキャベツを作る
(もとより妻から伝授されたものだが)
霧降高原 産地直送のキャベツを使う
包丁を新調し まな板も磨いた
今日そこに人は在りて 命を食す
そんな日々の循環があればよい

キャベツに切り込みを入れる
包丁で硬い芯を取り 葉を広げる
(葉の大きさは適切でなければならない)
枚数は全部で四枚 予備に一枚
(人の体のようにわけもなく損傷してしまう)

 「予備に一枚」の一句がとても重い。五枚ではなく、あくまでもその一枚は「予備」。ここには「予備」をこころがけるひとの力がある。
 それは(もとより妻から伝授されたものだが)も隠れている。妻が中村に作り方を伝授したのは「予備」としてなのだ。本来ならば、妻が作る。しかし、作れないときもある。そのときの「予備」として、作り方を教えておく。そして、それを受け入れる中村の生き方も「予備」をこころがけたものの美しさをただよわせる。「まな板を磨く」の「磨く」の美しさ。
 (人の体のようにわけもなく損傷してしまう)は、妻が体調を壊していることを暗示している。それが「予備」にもつながる。
 最後の連にも「予備」に通じる美しいことばがある。

素敵な一日のため これからもぼくは
飛び切り上出来の味で
毎日の糧を整えよう
そのための時間と労力を惜しまない
この世に神がいない日がないように

 「労力を惜しまない」は「予備」を含むことであり、それは「整える」ということでもある。日々を整えるために、労力を惜しまない。「予備」は「予備」のままでおわるにこしたことはないが、「予備」が動き出すとき、それは日々を乱してはいけない。「整えた」ままの日々であり続けるために、「予備」には「予備」のための「労力を惜しまない」ことが重要なのだ。

 星野元一の「雪の中のホタル」は、「予備」をつきやぶる、「予備」がつきやぶられるときの切なさを書いている。

雪の降る夜だった
小さな提灯を持って
ホタルが一匹
飛んでいった

(略)

あれは確かに
ホタルだった
天の裂け目から
もろもろと湧き出る雪華にまぎれて
逃げ出してきたのか

もう忘れたいのに
明朝の贖罪のことでいっぱいなのに
何で飛び出してくるのだ

 「もう忘れたいのに」も切ないが、「何で飛び出してくるのだ」がさらに切ない。それは、「逃げ出してきたのか」と強く結びついて、濃密な時間になる。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇364)Obra, Jose Enrique Melero Blazquez

2023-06-11 22:27:05 | estoy loco por espana

Obra, Jose Enrique Melero Blazquez

 Una hoja de hierba crece a través de otra hoja. Eso no es posible. ¿Es esto cierto?
 El trabajo de Jose Enrique me hace dudar.
 De hecho, en un arbusto de hierba es difícil saber qué hojas están conectadas entre sí. Algunas hojas pueden vivir a través de otras hojas. Puede haber hojas que vivan a través de otras hojas. Nunca he podido confirmarlo. Veo el mundo con un "conocimiento" modificado.
 En esta obra, su impresión, que él tuvo cuando vio el arbusto frondoso, ha tomado forma sin modificarse.
 La fuerza que ha captado de las raíces de la vida vegetal se expresa en la forma. Me embarga el impulso de ir a ver la hierba como la vio Jose, para tocar su poder.
 El arte es una expresión del mundo antes de que lo modifique el "conocimiento".


 草の葉が、他の葉を突き破って生長する。そういうことは、あり得ない。というのは、ほんとうか。
 Jose Enriqueの作品を見ると、疑問に思ってしまう。
 実際、草の茂みでは、どの葉がどうつながっているのかわからない。ほかの葉を突き破って生きている葉があるかもしれない。ほかの葉に突き破られても生きている葉があるかもしれない。私は、それを確かめたことはない。「知識」で世界を修正して見ている。
 この作品には、葉の茂みをみたときの印象が、修正されずに形になっている。
 植物のいのちの根源にまでさかのぼってつかみ取った力が、形になって表現されている。その力に触れるために、Jose Enriqueの見た草を見に行きたいという衝動にとらわれる。
 芸術とは、「知識」によって修正される前の世界を表現したものである。

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齋藤健一「一日一日」、夏目美知子「テーブルの上の」

2023-06-10 21:58:00 | 詩(雑誌・同人誌)

齋藤健一「一日一日」、夏目美知子「テーブルの上の」(「乾河」97、2023年06月01日発行)

 齋藤健一「一日一日」を、私は「一月一日」と読んでしまった。そして感想を書こうとして「一日一日」だと気づいたのだが、タイトルが「一月一日」でもかまわないと思う。というよりも、「一月一日」の方が、私にはぴったりくる。
 こういう詩である。

飛行機は濡れる。空をひらく。夜中がおわりに重なる。
こがね虫の緑と金色へ滲むのである。鉛筆の2B。紙面
がこぼれる。始まる七月に。照らすだけの外光のさびし
く。握りこぶしの下をみる。おのずと顎をのせる。あり
たけ吸い込みふくらませるのだ。

 「こがね虫」「七月」とあるから、「一月一日」はないだろうと思うかもしれないが、一年の初めに、その年のある日を想像していると読むこともできるだろう。私の年齢のせいかもしれないが、もう「年月」は関係がない。いま、生きている、その「一日一日」しかない。だから「一月一日」も「一日一日」のひとつにすぎない。そして「一日」なのに「一年」が見えるのだ。「ありたけ吸い込みふくらませるのだ。」に齋藤がどういう思いをこめたのかわからないが、私は「深呼吸」と読んだ。毎日、かわらず、深呼吸をする。そこから「一日」が「一日」として始まる。この「始まる」感じが、「一月一日」と重なる。その深く吸い込んだ空気を吐き出してみたら「七月」だったという時間の過ぎ方があってもいいと思う。
 私はもう絵を描かないが、文字を書くときは鉛筆の2Bをつかう。体力的に、それしか受け付けない。そんな「おわり」方も「重ね」で読んでしまう。

 夏目美知子「テーブルの上の」にも「一日一日」が登場する。

活動の大方を諦めると、衣食住だけの小さな生活になる。
それでも一日一日は確実に過ぎて行き、小さな生活は、
夜半、揺り椅子に座る私の心臓の、静かな鼓動となる。

 齋藤の描いていたのも「小さな生活」である。そして、それは「確実」なものである。「諦める」ことによって「確実」になる。
 詩の最後の部分に、ポトフを盛る器の描写がある。

器のぐるりに小花の模様。

 なんでもないような描写だが、「小さな生活」の「小」という文字が隠れていて、それがことばを美しくしている。「ぐるり」に夏目の視点がある。「大方を諦め」ても、しっかりと生き残っている何かがある。自分を見つめ、同時に周囲(ぐるり)もしっかり見つめる。
 それは、やってきたこがね虫を2Bの鉛筆で描いている齋藤の生き方にも通じる。

 私の感想は「一日一日」を「一月一日」と誤読することからわかるように、作者の意図を無視したものだろうけれど、誤読することでしか出会えない何かもあり、誤読には誤読の必然があると思うので、誤読と気づいたけれど、それを「修正」せずに書いておく。

 

 

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ろくでもない、の意味は?

2023-06-09 16:44:23 | 考える日記

 日本語学校で、村上春樹の「海辺のカフカ」(テキストは新潮文庫)を読んだ。生徒はカナダ人。38歳。
 高校1年のとき、日本に留学していた。しかし、多くの漢字を忘れている。だから、漢字はときどき読むことができないのだが、「小説」の読解能力は、超一流。
 15ページに「二重の意味」ということばが出てくる。この「二重の意味」は、いわばこの小説のキーワード。小説のなかでは、あらゆるものが「二重の意味」のなかを展開していく。その「予測」を、「二重の意味」ということばにつづいて書かれている「光と影。希望と絶望。……」ということばをつかって語り直すことができる。つまり、「予測」ができる。(あ、繰り返しになってしまった。)
 私がさらに驚いたのは、16ページ。
 「土地のろくでもない連中とかかわりあうことなる、の『ろくでもない』は、どういう意味ですか? ろくに漢字はありますか?」
 「ろくは漢字で書けば、禄。財産とか、金の意味する。(昔は、給料を意味した。)昔は、金持ちは、正しい、という印象。だから、ろくでもないは、正しくない、というような意味。ろくでもない連中は、ギャング、マフィア、やくざみたいな感じ」
 「ちんぴら、ですね」
 「あ、そうそう」
 「先生は、いろんなことを知っているけれど、現代の俗語(?)は、私の方が知っている」
 「あ、ほんとうに、そう」(私は、いまの若い人がつかうことばは理解できるが、自分でつかうことはない。だから、ちんぴらも聞けばわかるが、自分では思いつかなかった。そういう意味で、とても教えられた。)
 というやりとりのあと、つぎの一言がすごい。
 「村上春樹は、ここでは少年に『ちんぴら』ではなく『ろくでもない連中』ということばをつかわせることで、少年の育ちの良さを表現している」

 まさに、そのとおり。

 たとえば何かの試験で「村上春樹が、ここで『ちんぴら』ということばをつかわずに、『ろくでもない』ということばをつかった理由は何か、どう考えられるか」という設問が出たとき、彼のように答えられる日本の学生が何人いるか。
 9ページの「砂嵐想像ゲーム」の場面で、ここで「カラスと呼ばれる少年」と「僕」が同一人物であることがわかるのだが、このとき、デービッドはそれを即座に理解した。
 「日本人の読者のどれくらいの人が、ここで同一人物とわかるか」という厳しい質問が出たが、たぶん、1割だろう。小説を読まないひとは、ほとんど「理解」しないだろうし、「同一人物である」という根拠を「目を閉じる」「暗闇」「ため息/静かに大きく息をする」「共有」ということばをつかって論理的に説明し直すとなると、かなりむずかしいと思う。

 私は村上春樹は好きではないのだが、日本語を教えるには最適の教材だし、その「最適の教材」の「最適」な部分にきちんと反応する生徒に出会うと、とても楽しくなる。

 

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是枝裕和監督「怪物」(★★★)

2023-06-05 20:42:17 | 映画

是枝裕和監督「怪物」(★★★)(2023年06月05日、ユナイテッドシネマ・イャナルシティ・スクリーン9)

監督 是枝裕和 出演 安藤サクラ、永山瑛太、黒川想矢、柊木陽太、田中裕子 脚本 坂元裕二 音楽 坂本龍一

 ひとつのできごとが、三つの視点で描かれる。現代版「羅生門」とか。
 たしかに三つの視点だが、それは絡み合うというよりも(わけがわからなくなるというよりも)、だんだん純化されていく。最後は、まあ、希望というか、明るい何かがないと映画にならないということなのか、明るく終わる。もちろんこの明るさを絶対的な明るさ(つまり、無)と見る人もいるだろう。むしろ、「絶対的な明るさ」と見てしまうのが自然かもしれない。
 私の不満は、三つの視点のうちの、最初の視点。これは、まあ、安藤サクラの視点になるのだろうなあ。ただ、この視点が、あまりにも安藤サクラ安藤サクラ安藤サクラしているというか、それはいくらなんでも違うだろうと感じてしまうところがある。
 わざと、であることは承知の上で書くのだが、田中裕子の演技派「やりすぎ」。そのまわりの教員たちも「やりすぎ」。学校の不気味さを描きたいのかもしれないが、これではホラーであり、リアリティーというものがまったくない。
 田中裕子の不気味さは、永山瑛太の視点で描かれる部分の、机の上の写真の向きを変えるところだけで十分だと思う。あ、こんなに冷静なんだ、と「わかる」。つまり、彼女がつねに他人の視線に自分がどう見えるかということを気にして生き抜いてきたことがわかる。ほかは、付録である。
 いや、付録と書いたが、あの写真の向きを変えるときのような「心底」から動く何かは、黒川想矢にトロンボーンの吹き方を教える部分にとてもよく出ている。これは三つ目の視点(主役の少年の視点)であり、そこに、とてもうつくしい「救い」があるのだが、この「救い」を強調するために最初の非人間的な校長が演じられているのだとしたら、それはやっぱり違うだろうなあ、と思う。
 このトロンボーンと関係するのだが、途中に入るあいまいで汚れたような、いわば不気味な音が、不気味だけれど妙に悲しくてこれはなんだろうと思っていたら、このトロンボーンと、もうひとつの管楽器の音が組み合わさったものであった。黒川想矢と田中裕子がラッパを吹いて、その瞬間に、ああ、あれはこの音だったのかとわかる。この「伏線」が「現実」になって結晶するシーンが非常に美しい。(和音であることがわかるということが、何よりも非常に重要。ここにこの映画のテーマが凝縮している。)この映画のいちばん美しいシーン。それにぴったりの、いやあ、すばらしい音楽。担当は坂本龍一だが、あのシーンだけ、もう一度見ていいかなあと思う。もちろん、それを「美しい」と感じるためには、途中の「あれはいったい何の音?」みたいな感じを味わわないといけないんだけれどね。
 脚本の坂元裕二はこの作品でカンヌ映画祭の賞を取っているのだが、坂本龍一の音楽の方が私には強烈に印象に残る。坂元裕二がつくりあげた人間は、前半の田中裕子、それから中村獅童の「役」が象徴的だが、あまりに極端で、「嘘」になってしまっていると思う。田中裕子はトロンボーンのシーンで「嘘」から「ほんとう」にかわったが。
 こどもの演技では、私は「奇跡」の漫才兄弟(?)の自由な演技がとても好きだが、この作品は「三つの視点」の組み合わせであるだけに、あの映画のような気ままな、まるでルノワールの登場人物のような気ままな演技は不可能で、黒川想矢、柊木陽太は、ちょっとかわいそうな感じがした。そういう「枠」のなかで子どもを動かす是枝も、かなり無理をしているのかなあとも思った。
 そういう意味では、この脚本はよくできてはいるのかもしれないが、それは何というか、「賞狙い」の「よくできた脚本」という気もする。前回の、誰のだった可名前は忘れたが「ドライブ・マイ・カー」も。

 


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坂多瑩子「ムスメハハ」ほか

2023-06-01 18:23:10 | 詩(雑誌・同人誌)

坂多瑩子「ムスメハハ」ほか(「天国飲屋」3、2023年06月08日発行)

 坂多瑩子「ムスメハハ」は、母と娘(娘と母)の愛憎を、こんなふうに書いている。

あたしは囲炉裏のそばで粥を食いながら
見てたさ娘が草苅り鎌を磨いているのを

紅葉のような手だった手に力が入るのを
母さんは生かしてはおれん はよう死ね
なんていわれたりして時代も変わっても

殺し合いっこだよムスメハハムスメハハ

ねえねえねえ母さんきょうってなんの日
かわいいムスメよお前の生まれた日だよ

最近のあたしったらひどく生ぬるくてね
いい子でいい母でいい婆さんやってるよ

 しかし、まあ、「いい子/いい母/いい婆さん」は「生ぬるい」を自覚したりはしないだろう。ましてや「ひどく生ぬるくてね」という「自己批判」などはしないなあ。だいたい、この「自己批判」がほんとうに「自己批判」だったとしたら、それは「過激になる」ということだから。
 こういう「矛盾」が「おばさん」の条件だと私は思う。この「矛盾」を「矛盾」と呼んでしまうのは、いわゆる「論理」というか、男が作り上げてきた「思想のよりどころ」のようなものだけれど、坂多にいわせれば「充実」とか「持続」とでも言うべきものかもしれない。
 私は、ふと、何の脈絡もなく、いま「充実」を「持続」と書き換えて思ったのだけれど。
 もしかしたら、これは、あのベルグソンの「持続」?
 ちょっと、頭を、かすめる何かがあった。

 はっきり覚えていないが、数学は物理に、物理は化学に、化学は生物学(いまなら「生理学」というかも)に引き継がれた(発展した)というようなことをベルグソンは言っていたと思う。「おばさん」というのは、その「生理学」としての「人間」である。「有機体」としての「人間」である。数学的純粋さなんて、古くさい、と笑い飛ばすだろう。

 長嶋南子「四月」には、こんなことばがある。

四月がくるので引っ越します
身の丈にあわなくなった部屋を
男を捨てていきます
どこかに身の丈にあった
部屋はありませんか 男はいませんか

 「いません」という返事は、まあ、通用しない。数学の問題ではないのだから。それに、長嶋にかかれば、あらゆる男は長嶋の「身の丈」におさまってしまう。それが「持続」ということ。
 途中を省略して引用するので、わけがわからないかもしれないが、わけがわからなくてもいいのが詩なので、説明抜きで(論理抜きで)引用すると、詩は、こんなふうに展開していく。

男が来て箱を担いで出て行こうとしています
あれ 産廃業者に頼んで棄てた男ではないか
男の背中に爪をたてて箱から飛び出しました
ご近所をウロウロしている徘徊老人は
わたしではありません野良猫です
いいえわたしです
いいえ野良猫だってば

 私は猫がこわいから見かけたら逃げます。で、その猫というのは、爪をたてる、うろうろする。野良猫。という「要約」にしてしまってはいけないのだが、ここにあるのも「いい加減な持続」だ。そして、この「いい加減」というのは、「論理を超越する」ということでもある。あるいは、「論理なんて、後出しジャンケンでどうにでもなるから、好き勝手に」であるかもしれない。

 

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Estoy Loco por España(番外篇363)Obra, Luciano González Diaz

2023-06-01 10:55:52 | estoy loco por espana

Obra, Luciano González Diaz

 Un hombre transporta carga pesada y sube cuesta arriba en ruedas inestables. Sin embargo, la cuesta ondulada está dentro de un círculo gigante. Cuando el círculo gira, la cuesta (camino) cambie a la tcamino horizontal. Me imagino al hombre recorriendo la camino horizontal mientras gira lentamente la rueda exterior. La rueda exterior y la rueda sobre la que va el hombre se equilibran mutuamente, creando un hermoso movimiento que nivela el camino.
 La carga que lleva también sirve para equilibrar. Pero, esto sólo puede decirse de aquello que haya llegado a su destino. Y significaría, a la inversa, que ha andando el duro camino que le ha llevado a su destino, tratando siempre de abrir su propio camino .
 No vive solo, sino que trabaja con su "entorno", lo aprovecha al máximo y camina sobre él. Si el "entorno" se reformula como "material", ésta puede ser la vida del escultor de Luciano. Dentro de la obra acabada (el punto de destino), hay una manera de tratar el material (una manera de armonía) que sólo Luciano conoce, que se convierte en su pensamiento y da estabilidad y fuerza a su obra.

 La obra está sobre un pedestal alto, pero este pedestal también forma parte de la obra. Sin la altura de este pedestal, la rueda exterior no se movería con fluidez. Tampoco funcionaría con la rueda interior. La imaginación es aún más alta y ancha que la altura y la anchura del universo. En esa imaginación infinita, la forma de Luciano se mueve. Cobra nueva vida. Parece expresar una situación muy dolorosa y, sin embargo, es brillante y tiene la fuerza de una fuerte convicción. Muy bella.

 Las fotos las hizo su amigo Juan Antonio Alcántara. Luciano tiene un fotógrafo que resalta la belleza de su obra. Creo que esto es muy importante.

 重い荷物を担ぎ、不安定な車輪にのって坂道をのぼる。しかし、そのうねる坂道は、巨大な円の中にある。円が回転すれば坂道は水平な道に代わる。私は、この作品の外輪をゆっくりまわしながら、内部の男が水平の道を進んでいる姿を思い浮かべる。外輪と、男の乗った車輪がバランスをとりながら、道を平らにしている美しい運動を創造する。
 担いだ荷は、バランスをとるための道具にもなる。これは、目的地にたどりついたものだけが言えることである。そして、それは逆に言えば、目的地にたどりついた厳しい坂道を、つねに平らな道にするための工夫をしながら歩いてきたということだろう。
 唯我独尊ではなく、周囲に働きかけ、周囲を生かし、歩む。周囲を、素材と言い直せば、それはLuciano の彫刻家の人生かもしれない。完成された作品(到達点)の内部には(その過程には)、Luciano しか知らない素材との向き合い方(調和の取り方)があり、それが思考となって、作品に安定と強さを与えている。

 高い台座にのっているが、この台座も含めて作品である。この台座の高さがなかったら、外輪はスムーズに動かない。内部の車輪とも連動しない。想像力は、宇宙の高さ、広さよりもさらに高く広い。その果てしない想像力のなかで、形は動く。新しいいのちを得る。とても苦しい状況を表現しているようにみえながら、明るく、強い信念のような強さがある。とても美しい。

 写真は、彼の友人のJuan Antonio Alcántaraが撮影したもの。Luciano は、彼の作品の美しさを引き出す写真家を持っている。これは非常に重要なことだと思う。

 

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