詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

日本語を教える

2023-06-21 15:03:03 | 考える日記

 きのうの生徒は「翻訳コース」の生徒。翻訳といってもジャンルによってことばが違うので、何を求めているのか、何を教えればいいのか、実はわからなかった。学校のカリキュラムに従って「小説」などの読解をすることにしたのだが。
 一回目に読んだ「海辺のカフカ」は、生徒の求めているものとは違っていた。「ノンフィクション」の「翻訳」を目的としている、という。二回目は、新聞・雑誌の日本語に触れた。新聞の読み方(見出しを読んで本文を推測する、見出しに助詞などを補い短文にする)を勉強したのだが、これも、何かピント外れな感じがする。授業が終わったあと、次回(つまり、今回)の相談をした。フランス人なので、フランス語から翻訳されたものを読むのもいいかもしれないと思ったが、それでは「日本語」にじかに触れることにはならない。それで、中井久夫がバレリーについて書いた文章、あるいはプルーストについて書いた文章を読んでみようということになった。
 そして、今回。
 「思索」ということばに出会った。意味がよくわからないというので、あれこれ説明していると、突然。
 「思考、思索、思想はどう違うのか。どうつかいわけるのか」
 という質問があった。
 実は、こういうことを知りたかったらしい(学びたかったらしい)。
 大学院生で、いま、論文の準備をしている。そのとき、たとえば、ある文脈で「思考」ということばをつかうべきなのか、「思索」ということばをつかうべきなのか、あるいは「思想」を選択すべきなのか。
 マルクスの思想とは言っても、マルクスの思索とは言いにくい。マルクスの貨幣に関する思索、となら自然に言える。思想は、いわば全体像をさすが、思索はある部分を深く掘り下げるときにつかう。研究に近いか。思索の索は索引の索であり、検索の索でもある。全体をおおうというよりも、やっぱり追求するに似ている。これは、長い間いろいろな文章を読んでいる内に自然につかみ取るもの。区別を意識するのは、多くの文章に(ことばに)触れる人だ。
 そうだねえ。
 論文を提出したら、「ここは思想ではなく、思索」という具合に注意されても、それだけではなかなかわからない。それが知りたかったのか、と驚いた。
 中井久夫の文章のなかに出てきた、実存主義、構造主義(もう古いか)はすぐに理解できるし、ヴァレリーはもちろん(「カイエ」や「若きパルク」を含む)、ヴォーボワール、ソシュール、デリダ、ラカンもわかる。しかし、おなじ中井久夫のエッセイでも「けやき」について書かれたものがわからない。木の名前がわからないし、どの木のことを描いているかわからないから、描写が「映像」にならない。けやきを知っている日本人なら、その美しい描写に感動するが、感動できない。
 ことばは「簡単(日常語に近い)」ければわかる、「難解(学術語)」ならわからない、ということはないのだ。むしろ「学術語」の方になじんでいることもあるのだ。
 
 似たようなことは、他の生徒にも感じた。
 林達夫をいっしょに読んでいるのだが(林達夫の文章には特に難解なことばがでてくるわけではないのだが)、何度もつまずく。そして、そのつまずいた部分を説明するのが、非常にむずかしい。林達夫は、なんというか、「趣味人」で、日常のささいなことを非常に細かく掘り下げて、いま起きている問題点を描き出す。現実の細部から出発し、その細部の「根本」にまでさかのぼり、そこから「いまの現実」を再構成することで、現実の問題点をダイナミックにとらえ直す。だから、とても、おもしろい。「鶏を飼う」など、非常におもしろいが、それは鶏の種類、餌の種類、あるいは餌の流通がどうなっているかなどがわからないと、ちんぷんかんぷんである。いちどでも鶏を買ったことがある人なら納得ができるが、そうでないと馬鹿馬鹿しいエッセイに見えてしまうだろう。林達夫の「思想」の「深み」、「思考」の「運動」のダイナミックな切れ味がわからないだろう。

 どんなことばを生徒が求めているか。それを把握しないと、語学の指導はむずかしい。日本語検定の問題などは、いかに受験生を不合格にするかを狙っているとしか思えないものが多い。いまどき、「拝啓」につづき、時候のあいさつを書いて、そのあと「本題」にはいるというような手紙の書き方をする人はいない。それに、教えている先生にしても「前略」はともかく「草々」は知らない、見たこともないという人がいる。それなのに(そういう人がちゃんと働いて給料をもらっているのに)、外国人にそういう日本語をもとめるなんて、「日実用的」だろう。

 ときどきアルバイトをするだけだが、いろいろなことがわかるのが、やはり働くことのおもしろさだなあ。

 それにしても。
 「私は、こういうことをするために、こういう日本語が習いたい」と正確に言えるなら、日本語学校へなど来ないだろうなあ、と思う。つまり、学校の方で、生徒の「要望」をていねいに引き出すことが必要なんだと思う。

 

 

 


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