詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

坂多瑩子「ムスメハハ」ほか

2023-06-01 18:23:10 | 詩(雑誌・同人誌)

坂多瑩子「ムスメハハ」ほか(「天国飲屋」3、2023年06月08日発行)

 坂多瑩子「ムスメハハ」は、母と娘(娘と母)の愛憎を、こんなふうに書いている。

あたしは囲炉裏のそばで粥を食いながら
見てたさ娘が草苅り鎌を磨いているのを

紅葉のような手だった手に力が入るのを
母さんは生かしてはおれん はよう死ね
なんていわれたりして時代も変わっても

殺し合いっこだよムスメハハムスメハハ

ねえねえねえ母さんきょうってなんの日
かわいいムスメよお前の生まれた日だよ

最近のあたしったらひどく生ぬるくてね
いい子でいい母でいい婆さんやってるよ

 しかし、まあ、「いい子/いい母/いい婆さん」は「生ぬるい」を自覚したりはしないだろう。ましてや「ひどく生ぬるくてね」という「自己批判」などはしないなあ。だいたい、この「自己批判」がほんとうに「自己批判」だったとしたら、それは「過激になる」ということだから。
 こういう「矛盾」が「おばさん」の条件だと私は思う。この「矛盾」を「矛盾」と呼んでしまうのは、いわゆる「論理」というか、男が作り上げてきた「思想のよりどころ」のようなものだけれど、坂多にいわせれば「充実」とか「持続」とでも言うべきものかもしれない。
 私は、ふと、何の脈絡もなく、いま「充実」を「持続」と書き換えて思ったのだけれど。
 もしかしたら、これは、あのベルグソンの「持続」?
 ちょっと、頭を、かすめる何かがあった。

 はっきり覚えていないが、数学は物理に、物理は化学に、化学は生物学(いまなら「生理学」というかも)に引き継がれた(発展した)というようなことをベルグソンは言っていたと思う。「おばさん」というのは、その「生理学」としての「人間」である。「有機体」としての「人間」である。数学的純粋さなんて、古くさい、と笑い飛ばすだろう。

 長嶋南子「四月」には、こんなことばがある。

四月がくるので引っ越します
身の丈にあわなくなった部屋を
男を捨てていきます
どこかに身の丈にあった
部屋はありませんか 男はいませんか

 「いません」という返事は、まあ、通用しない。数学の問題ではないのだから。それに、長嶋にかかれば、あらゆる男は長嶋の「身の丈」におさまってしまう。それが「持続」ということ。
 途中を省略して引用するので、わけがわからないかもしれないが、わけがわからなくてもいいのが詩なので、説明抜きで(論理抜きで)引用すると、詩は、こんなふうに展開していく。

男が来て箱を担いで出て行こうとしています
あれ 産廃業者に頼んで棄てた男ではないか
男の背中に爪をたてて箱から飛び出しました
ご近所をウロウロしている徘徊老人は
わたしではありません野良猫です
いいえわたしです
いいえ野良猫だってば

 私は猫がこわいから見かけたら逃げます。で、その猫というのは、爪をたてる、うろうろする。野良猫。という「要約」にしてしまってはいけないのだが、ここにあるのも「いい加減な持続」だ。そして、この「いい加減」というのは、「論理を超越する」ということでもある。あるいは、「論理なんて、後出しジャンケンでどうにでもなるから、好き勝手に」であるかもしれない。

 

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Estoy Loco por España(番外篇363)Obra, Luciano González Diaz

2023-06-01 10:55:52 | estoy loco por espana

Obra, Luciano González Diaz

 Un hombre transporta carga pesada y sube cuesta arriba en ruedas inestables. Sin embargo, la cuesta ondulada está dentro de un círculo gigante. Cuando el círculo gira, la cuesta (camino) cambie a la tcamino horizontal. Me imagino al hombre recorriendo la camino horizontal mientras gira lentamente la rueda exterior. La rueda exterior y la rueda sobre la que va el hombre se equilibran mutuamente, creando un hermoso movimiento que nivela el camino.
 La carga que lleva también sirve para equilibrar. Pero, esto sólo puede decirse de aquello que haya llegado a su destino. Y significaría, a la inversa, que ha andando el duro camino que le ha llevado a su destino, tratando siempre de abrir su propio camino .
 No vive solo, sino que trabaja con su "entorno", lo aprovecha al máximo y camina sobre él. Si el "entorno" se reformula como "material", ésta puede ser la vida del escultor de Luciano. Dentro de la obra acabada (el punto de destino), hay una manera de tratar el material (una manera de armonía) que sólo Luciano conoce, que se convierte en su pensamiento y da estabilidad y fuerza a su obra.

 La obra está sobre un pedestal alto, pero este pedestal también forma parte de la obra. Sin la altura de este pedestal, la rueda exterior no se movería con fluidez. Tampoco funcionaría con la rueda interior. La imaginación es aún más alta y ancha que la altura y la anchura del universo. En esa imaginación infinita, la forma de Luciano se mueve. Cobra nueva vida. Parece expresar una situación muy dolorosa y, sin embargo, es brillante y tiene la fuerza de una fuerte convicción. Muy bella.

 Las fotos las hizo su amigo Juan Antonio Alcántara. Luciano tiene un fotógrafo que resalta la belleza de su obra. Creo que esto es muy importante.

 重い荷物を担ぎ、不安定な車輪にのって坂道をのぼる。しかし、そのうねる坂道は、巨大な円の中にある。円が回転すれば坂道は水平な道に代わる。私は、この作品の外輪をゆっくりまわしながら、内部の男が水平の道を進んでいる姿を思い浮かべる。外輪と、男の乗った車輪がバランスをとりながら、道を平らにしている美しい運動を創造する。
 担いだ荷は、バランスをとるための道具にもなる。これは、目的地にたどりついたものだけが言えることである。そして、それは逆に言えば、目的地にたどりついた厳しい坂道を、つねに平らな道にするための工夫をしながら歩いてきたということだろう。
 唯我独尊ではなく、周囲に働きかけ、周囲を生かし、歩む。周囲を、素材と言い直せば、それはLuciano の彫刻家の人生かもしれない。完成された作品(到達点)の内部には(その過程には)、Luciano しか知らない素材との向き合い方(調和の取り方)があり、それが思考となって、作品に安定と強さを与えている。

 高い台座にのっているが、この台座も含めて作品である。この台座の高さがなかったら、外輪はスムーズに動かない。内部の車輪とも連動しない。想像力は、宇宙の高さ、広さよりもさらに高く広い。その果てしない想像力のなかで、形は動く。新しいいのちを得る。とても苦しい状況を表現しているようにみえながら、明るく、強い信念のような強さがある。とても美しい。

 写真は、彼の友人のJuan Antonio Alcántaraが撮影したもの。Luciano は、彼の作品の美しさを引き出す写真家を持っている。これは非常に重要なことだと思う。

 

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