長田弘「その人のように」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年06月05日)
長田弘、寺山修司の詩と受講生の詩を読んだ。
その人のように 長田 弘
川があった。
ことばの川だ。
その水を汲んで、
その人は顔をあらった。
草があった。
ことばの草だ。
その草を刈って、
その人は干し草をつくった。
この世界は、
ことばでできている。
そのことばは、
憂愁でできている。
希望をたやすく語らない。
それがその人の希望の持ち方だ。
木があった。
ことばの木だ。
その木の影のなかに、
その人は静かに立っていた。
4連目に注目する受講生が多かった。「この世界は、/ことばでできている。と言い切るところが印象的」「憂愁ということばに引きつけられた」「4連目と5連目に強い意味はないのではないのか。レトリックではないだろうか」「最後の2行に、希望を感じる」
私は質問してみる。
「4連目は、だれのことばだろうか」
「その人」
「では、5連目は?」
「長田弘」
「その人、は生きている? 死んでいる?」
(詩集のタイトルが『死者の贈り物』だったので、あえてこう質問した。)
「生きている人」「死んでいる人」と分れた。
ここから、もう一度4連目に戻る。「この世界は、/ことばでできている。」はたしかに印象的だが、「ことば」という表現は、すでに2連目から登場している。川はことばにすることによって川になった。ことばは世界をつくる。その人は「ことば」で世界を把握し、ことばに自分自身を関係づけている。さらに「ことば」を「憂愁」に関係づけている。「憂愁」をふくまない「ことば」はない、ということだろうか。
1連目は、あらった、2連目は、つくった、最終連は立っていた、と過去形で終わる。しかし4、5連目は、できている、持ち方だ、と過去形ではない。もし、その人が死んでいるのだとしたら、ここは過去形。と、簡単に言うことはできない。死んでいたとしても、そのひとのことを強く思い出すとき、その思いは「過去形」ではなく、現在形として動くだろう。意識(感情)が動くとき、いまと過去の区別はなくなる。
あるいは。
もしかすると「その人」は死んではいなくて、過去の長田の姿(生き方)かもしない。自分を振り返っていると読むこともできるだろう。
「希望をたやすく語らない。/それがその人の希望の持ち方だ。」という2行には、矛盾が含まれているが(自己撞着があるが)、この自己撞着というものが「憂愁」かもしれない。
「憂愁」は最後の「影」とも重なる。
詩の構造は、起承転(転)結という形になっている。3連目だけでは言い足りなくて、4連目にもう一度「転」を追加した感じで、それが詩の奥行きをいっそう深めている。そして、それは「批評」になっている。
だからこそ、いろいろに読むことができる。
*
かなしみ 寺山修司
私の書く詩のなかには
いつも家がある
だが私は
ほんとは家なき子
私の書く詩のなかには
いつも女がいる
だが私は
ほんとはひとりぼっち
私の書く詩のなかには
小鳥が数羽
だが私は
ほんとは思い出がきらいなのだ
一篇の詩の
内と外とにしめ出されて
私は
だまって海を見ている
詩を持ち寄った二人は申し合わせたわけではないのだが、この詩は長田の詩と通じるものがある。長田の作品には「ことば」が繰り返された。寺山は「詩」を繰り返している。この「詩」は「ことば」と言い直すことができるかもしれない。
「後半に登場する小鳥が印象的。何の象徴だろうか」「5連目と6連目の間に飛躍がある。そこがおもしろい」「6連目が気になる」「7連目が気になる。どこにいるのか、意味がわからない。抽象的」「最終行が、あまりにも詩的すぎる」
長田の詩には、何か論理的(散文的)な印象があるが、寺山の詩は「論理」が見えにくい。
この詩も起承転結の詩。二連ずつで一組になった起承転結。
「そう読んだ上で、何か、気づくことある?」
なかなか返事がなかったが。
最終連には、それまでつかわれていたことばが、つかわれていない。つかわれていないことばは、ふたつある。ひとつはそれぞれの「組」の最初の行の「なか」。
「一篇の詩のなかには/内と外とにしめ出されて」では、それこそ意味が通じなくなるから「なか」がない。「内と外とにしめ出されて」ということばを手がかりにすれば「なか」は単なる「内部」ではなく、それこそ「抽象的」なものである。「なか」は「場」であり、「時間」かもしれない。
「思い出(過去)」が嫌いといった瞬間に、消えてしまうような何かかもしれない。
もうひとつ「だが」というこばもない。
最後の連には、どんな否定もなく、ただ存在の「肯定」がある。「きらい」なものがあるかもしれないが、それをふくめて受け入れている「私」という存在を感じる。
最後の1行は、カルメン・マキが歌った「ときには母のない子のように」を思い出させる。
****
場 青柳俊哉
太陽が一つ 空にある
枯葉一枚 空をふかれていく
浜辺に群生していた芒はやかれた
貝の未知の深さへ 潮水は降りていった
裸木にとまっていたエメラルドの小鳥
わたしはそれらの中にある
たおやかな場
眼にはみえないところで
波のようにつづくわたし
光を超えて 記された文字
真空の果てにうかぶ
綿毛のような感情
*
就寝 木谷 明
明るいので外へ出ました
空は水のようでした
ほんとうに こうもりが とんでいる
ほんとうに こうもりが とんでいる
足のつかない学校のプールに沈んで
沈んで
見てた
それが時間というのなら
つづきはここまで
青柳と木谷の作品も、どこか長田、寺山の詩に通じるものがあるかもしれない。いや、ほんとうは、それはないのかもしれないが、作品をつづけて読んでくると、どうしても先に読んだ詩の印象が紛れ込むことになる。
それは、どういうことか。
寺山の「詩」は、長田の「ことば」に置き換えられないか、と私は感じたが、青柳と木谷の詩では、そういう「置き換え」が可能なことばはないだろうか。
もちろん書いた人には、書いたことばが絶対であって、他のことばへの置き換えは不可能なのだが。
「たおやかな場」と「それが時間というのなら」は、「たおやかな時間」「それが場というのなら」と言い換えられないだろうか。というより、私は、言い換えて読んでみたい衝動にかられるのである。
青柳の「場」、木谷の「時間」は、客観的な存在というよりも、何か抽象的な「思い」という感じがする。ことばにしないと存在しない「場」と「時間」。長田の詩の「ことばの川」のように。ことばにすることによってはじめて存在するものだからこそ、その「ことばにする」という行為のなかで、交換の可能性のようなものが動くのかもしれない。
詩とは、すでにそこにあるものを「ことば」をつかって再現するというよりも、「ことば」によってそれを「つくりだす」ものなのだと思う。そこに作者のどんな体験(感情)がふくまれているにしろ、それは「ことば」によって鍛えられ、動き出すものなのである。
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