キーツ「多くの詩人が……」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年07月03日)
まず、受講生がみんなといっしょに読んでみたいと持ってきた既成詩人の詩を読んだ。
多くの詩人が・・・・ ジョン キーツ
多くの詩人が時代に華をそえている
そのうち何人かは、僕の楽しい空想の
糧だったーー地上的なもの、崇高なもの、
どちらであれ、今もその魅力に思いを凝らす。
しばしば、詩を書こうと机に向かうとき、
それらが群がって僕の心に押し寄せてくる。
けれど、混乱も乱暴な騒ぎも
引き起こさない。それは心地よい組み鐘(チャイム)なのだ。
夕べが蓄えている無数の音もまた同じ。
鳥の歌、葉むらのそよぎ、
川のせせらぎ、荘厳な音を響かせる
大釣鐘。それに認知の距離が奪う
その他無数のものが、乱暴な騒音ではなく
愉しい音楽を作っている。
(中村健二訳)
池田清子がは八木重吉からキーツに接近した。「八木重吉が好きだったから、キーツを読んでみた」ということ。「僕の楽しい空想」「愉しい音楽」と楽しい/愉しいが繰り返される。「空想が詩になるのか」という感想を持った、という。
受講生からは「これが詩なのか、驚いた」という声があった。空想的なイメージだが、飛躍がない。だから詩的な感じがしない、という声もあった。音(ことばの響き)に硬いものがある、漢語が多いからそういう印象が生まれるのかもしれない。暗くない、明るいと声も聞かれた。
「認知の距離が奪う」がわからないという声があった。いくつもの音がある。それは「群がって僕の心に押し寄せてくる」が、その時の音と音との距離がわからない。どの音が近く、どの音が遠いのかわからないということではないか、私は読んだ。そして、そういうとき「混乱」が起きるのかふつうだが、キーツは混乱を感じていない。たとえていえば、それはオーケストラの「和音」のようなものではないだろうか。
そこには聖堂の鐘のように人工の音もあれば、鳥の歌、川のせせらぎのような自然の音もある。
「旅人かへらず」より 西脇順三郎
2.
窓に
うす明りのつく
人の世の淋しき
26.
菫は
心の影か
土の淋しさ
33.
櫟のまがり立つ
うす雲の走る日
野辺を歩くみつごとに
女の足袋の淋しき
39.
九月の始め
街道の岩片(かけ)から
青いどんぐりのさがる
窓の淋しき
中から人の声がする
人間の話す音の淋しき
「だんな このたびは
金毘羅詣り
に出かけるてえことだが
これはつまんねーものだ
がせんべつだ
とってくんねー」
「もはや詩が書けない
詩のないところに詩がある
うつつの断片のみ詩となる
うつつは淋しい
淋しく感ずるが故に我あり
淋しみは存在の根本
淋しみは美の本願なり
美は永劫の象徴」
71.
柳の葉に
毛きり虫の歩く
夏の淋しき
90.
渡し場に
しゃがむ女の
淋しき
152.
杉菜を摘む
この里に住めるひとの
淋しき
杉惠美子が選んできた詩の「2」は俳句として紹介されていたもの、という。佐川和夫の名俳句1000に「窓にうす明りのつく人の世の淋しき」という形で紹介されている。杉は「淋しき」が印象に残った、「淋しき」をとらえてみたい。西脇の「淋しい」は「美しい」「孤独」につながる。「寂しい」と書かない点も印象に残る、と。
受講生が、西脇の詩としては初期のもの、古い枚けれど、西脇のことばの特徴がある。無を感じさせる、といった。西脇の書く「淋しき」に詩染みを感じる。悲しさを感じる。「淋しき」から悲しさ、ひとりぼっちを感じた。
「うつつの断片のみ詩となる/うつつは淋しい」という二行に、私は西脇のことばの秘密を感じる。「うつつの断片」、現実のものとものとの確立した関係ではなく、その関係から孤立した「現実の存在」、「関係がない」ということが重要なのだと思う。「関係がない」というのは「意味がない」ということに通じる。「無意味」に接した瞬間に、こころが自由になる。
「無意味」に、ひとは、どれだけ耐えられるか。
ひとはどうしても「意味」を求めてしまう。
*
受講生の作品。
マダニ 青柳俊哉
桜の梢から わたしの
手のひらへ かすかな痛み
最後のわたしを たっぷりと
啜って 十重のふくらみ
水のうえの 梨の花びらへ
わたしの千の卵たち 揺籃する
瞬く 焼かれる水中の
花粉の手に突かれて
スピンする黒子の手に
欺かれて 卵を打擲する
花粉の幼い性(さが) わたしの手の
熟する 赤の果てへ
青柳俊哉。「マダニに刺された。血を吸って大きくなった。そのときから私はマダニになる。卵を産み、死ぬが、そのことによって、私が生まれることになる。卵は花粉によってつつかれ、という具合に主体が変化していく詩」。
受講生から「グロテスクな感じがする。いままでの詩と違って、あまり好きじゃない」という声と「私は好き。虫が好き。わかりやすくはないが、生き方が書かれてる。マダニの変化、主体の変化が詩を書くときの力になっている」という声。「最後の、赤の果てへ、がわからない。説明して」という質問には「最初に無意識的に戻る、循環のイメージ」というやりとりがあった。
私は「スピンする黒子の手に」の前後の関係をつかみかねたが、二連目の「水中」と関係している、「水のブラウン運動のようなものをイメージした」という説明があった。青柳は「循環」ということばをつかったが、まわること、輪廻がテーマということだろう。
崖の上の野原のすすき野原の 木谷明
崖の野原にある店は通りすがるだけだったけど
なるみちゃんについていったのお財布にだいじだいじに毛虫をいれて
すすき野原にたわわになってる毛虫をそっと手のひらに
モサモサふわふわ
うれしくなって
見せに行ったのおばちゃんに
刺さんのかえ て云ったかも 刺さんよ て言ったかも
うれしいまんまお店を出たよ
朝の会の先生のお話で毛虫を見せる悪いこどもがいます ちがうけど
わたしのことかもしれないし
お店の外のキラキラと うす暗かったお店の中が
そのまんま思い出になった谷底の川の土手から大根ぬいて
このまんまいいんよ
かじるから かじったら
おいしいね おいしいね なるみちゃん、
おいしいね
自分で書いた詩であるけれど、他人が書いたと想定して「感想」を言うならば。そういう設定でこの日の講座を始めたのだけれど、そのときの木谷明のことば。「お店の外のキラキラと うす暗かったお店の中が//そのまんま思い出になった谷底の川の土手から大根ぬいて」という二行が好き。
工藤直子(この漢字でいいのか、確認をするのを忘れた)みたい、思い出して楽しい、という声。タイトルがおしゃれ。音(調子)がやわらかくて、意味はわからないけれど、心地よい。博多弁が楽しい、という声。最後の連が好きだけれど、「毛虫」や「マダニ」はどうしても苦手、という声も。
私も毛虫の類は皮膚が激しく反応するので、苦手である。詩の講座では、とくにテーマを決めるわけではないのだが、持ち寄る詩に何か共通するものがあるのが不思議だ。
木谷の詩に共通することだが、受講生が指摘しているように、音がおもしろい。「意味」が散文のように完結しない「文体」も効果的だ。音の響きを自由に解放している。音を楽しんでいる。受講生が指摘したように、タイトルは「の」の繰り返しがおもしろいし、「朝の会の先生のお話で毛虫を見せる悪いこどもがいます ちがうけど/わたしのことかもしれないし」の「ちがうけど」という主張のリズム、意味をつなぎながら転換する変化がとてもおもしろい。
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