岩佐なを『たんぽぽ』(思潮社、2023年06月30日発行)
岩佐なをの詩をいつごろからおもしろいと思うようになったのかわからないが、おもしろい。初期のころ(読み始めたころ)は、ひたすら気持ち悪かった。リズムが、ね。
「再会」は、巻頭の詩。そのなかの、
おりおりに
ぽつぽつと
おむかえするのは嬉しい
「ぽつぽつと」というのは、私の、あてずっぽうな感覚では、初期のころにはなかった音とリズム。乾いた感じがあって、それが私には「気持ち悪さ」からは遠い。「ぽつぽつと」で落ち着くというか、こころが広がるので、そのあとの「おむかえ」も楽に読むことができる。
と、言っても。
そのあとの「嬉しい」は、やっぱり、気持ちが悪い。なんというか、音と、リズムが、ね。
そういうことを思いながら、そういう行を通り抜けて、これからが、実に楽しい。次の三行は、岩佐の「新しい音」ではないだろうか。(これも、あてずっぽう。昔の詩集を引っ張りだしてきて、比較するつもりはない。申し訳ないが、そんなにていねいに読んでいたら、詩は楽しくなくなってしまう、と思う。もちろん、そこから生まれる楽しさもあるにはあるが。脱線したが。)
ふつうそこの川を渡ってやってくることに
なっているけれど
それは常識といううそで
うーん、「そこの川」か。三途の川。「その川」ではなく、「そこの川」。いいなあ、「名前」ではなく、「そこ」という場所がはっきりしている。というか、名前ではなく、場を呼び起こす、その「音」。意味的には指し示しているものが同じなのだが、「三途の川」という名前では要約できないものがある。「そこの川」というと、もう何度も何度も「そこ」を見ている感じがする。「あの川」ではない。「この川」でもない。「そこの川」。「その」ではなく、「そこの」と呼ぶことで広がる不思議な「こそばゆさ」。「こそばゆさ」のなかの「こ」が「そこの川」の「こ」につながっている、なんて書くと、これは、まあ、いい加減ないいぐさになってしまうが。
こういう脱線(逸脱)が詩というものだろう。詩に許されている何かだろう。
で、いま引用した三行目「それは常識といううそで」もいいなあ。そうか「常識」は「うそ」か。そうだろうなあ。「常識」というのは、何ごとかを「常識」と呼ぶことで、何ごとかを押しつけてくる「権力の匂い」のようなものがあるね。そういう「うさんくささ」を、軽く書き流している。それが、重い。つまり、大切。この「批判」の響きも、岩佐の詩のなかでは新しいものかもしれない。(昔の詩を引っ張りだして、比較検討は、しない。)
そして、この一行のなかの「それは」の「そ」、「うそ」の「そ」が、なんとなく「ふつうそこの川を渡ってやってくることに」ととてもよく響きあう。「そ」が共通しているから?
それだけではない。
ふつ「うそ」この川を渡ってやってくることに
あえて鉤括弧をつけてみたけれど、「うそ」が隠れている。その「うそ」が「うそ」ということばでよみがえっている。ここで「生き返っている」ということばをつかうと、そのまま「再会」になるんだけれどね。
もっとも、「再会」は先に死んでしまった人が、新しく死んだ人を迎える詩だけれど、そこはやっぱり「常識」の世界ではないから、死んだひとの方が「生きている」。そして(だから?)、こうつづいていく。
庭先の芝生にひろがっていたり
若い枝に実っていたり
出現の仕方は案外わからないもの
どれが尊いということはない
視線をあたたかく放れば
ひとがたにかわり
こちらへ近寄ってきてくれるし
「常識」に「うそ」があるなら、「うそ」にも「常識」(あるいは、共通感覚?)があり、それが「世界」を解きほぐしたり、現像したりする。
で、ほら。
「そこの川」の「そこ」が、ここでは「こちら」ということばと呼応して、「世界」がだんだん「具体的」になる。
とてもいいなあ。
このあとの展開、とくに最後は、とても好きなのだけれど、ここではあえて引用しない。紹介しない。買って、読んでください。100ページにとどかず、軽くて、とても読みやすいのも、私は好きだなあ。
最近の詩集は厚すぎて、私のような年をとった人間には、重い。読み通すのが苦しい。
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