韓流ラブコメ「甘ったるい」(鑑賞番号1927)を見ながら、実に
久しぶりに韓国語と日本語の特異な関係性について、あらためて思いを
めぐらせる時間を持った。
△主人公男性が会社に書かされた「시말서(始末書)」
主人公の男性が会社に「始末書」を書かされたシーンがきっかけだった。
この「始末書」、韓国語でも全く同じ漢字語で「시말서(始末書)」と
呼んでいる。
韓国語が持たされてしまった、こうした日本語との抜き差しならない
関係性が、歴史的産物であることは多言を要しない。
ブログ主としては、韓国語(朝鮮語)を学び始めて40年を超える今に
なっても、依然として知的好奇心を刺激され続けている「面白い」考察
久しぶりに韓国語と日本語の特異な関係性について、あらためて思いを
めぐらせる時間を持った。
△主人公男性が会社に書かされた「시말서(始末書)」
主人公の男性が会社に「始末書」を書かされたシーンがきっかけだった。
この「始末書」、韓国語でも全く同じ漢字語で「시말서(始末書)」と
呼んでいる。
韓国語が持たされてしまった、こうした日本語との抜き差しならない
関係性が、歴史的産物であることは多言を要しない。
ブログ主としては、韓国語(朝鮮語)を学び始めて40年を超える今に
なっても、依然として知的好奇心を刺激され続けている「面白い」考察
対象ではあるが、単に「面白い」ではすまされないところに、歴史の
難しさがある。
それこそ、「始末書」1枚できれいに清算できるほど歴史は単純なもの
ではないのだ。
(終わり)
難しさがある。
それこそ、「始末書」1枚できれいに清算できるほど歴史は単純なもの
ではないのだ。
(終わり)