キム・ギドク原案、製作ということで見る前から楽しみにしていた一本。
ヤクザという現実から逃げられないと分っている男と、俳優だという自尊心だけは人一倍強い男。
「映画は映画だ」というタイトルだが、「マジはマジ または嘘は嘘」、「喧嘩は喧嘩」などとタイトルを変えても意味が通じるのではないかと思う。
白黒はっきりつけたいのに、白黒はっきりつけようと生きているのに、白は黒に、黒は白にと表裏がパタンと変わる映画だ。
キム・ギドクがプロディユースしているので、鉄拳の一つ一つにその香りはするものの、ギドク作品にはない女子に対する優しさがあり。
ギドク本人が監督をしていたら、もっと女子に対する容赦のない場面が続いていただろう。この映画の中では女子だけは裏返ったりすることなく、最初から最後まで同じスタンスだ。それがヤクザと俳優の生活にちょっとした優しさを与えてくれることになる。
それがあることで、ギドク作品とはまた違った雰囲気を持つ映画になっているような気がする。
見る前はカン・ジファンが演じる俳優役の方に興味があったのだが、見てみるとソ・ジソプが演じるヤクザ役に思わず目を奪われる。
他人から見たら、黒い社会に生きるゴミのような人生といわれようとも、その人生にはそれなりの義理とかルールがあるのが伝わってくる。
そこからは抜けられないかもしれないけれど、這い上がって欲しいという思いになってくるのだ。
ヤクザを演じるソ・ジソプは、けだるい表情なのに、アクションは鋭く。最後の干潟のシーンなどは見ているこちらもあちこち痛くなるような気分だった。
ソ・ジソプは、除隊後の復帰作品にいい脚本を選んだなと思う。
***
仕事帰りに見たのだが、窓口のタイムテーブルを見ると、昼間の2回は全席指定席と書いてあった。昼間ソ・ジソプの舞台挨拶があったらしいことにその時気づく。ドラマの撮影中だろうに日本に来るのは大変だったろう。
ヤクザという現実から逃げられないと分っている男と、俳優だという自尊心だけは人一倍強い男。
「映画は映画だ」というタイトルだが、「マジはマジ または嘘は嘘」、「喧嘩は喧嘩」などとタイトルを変えても意味が通じるのではないかと思う。
白黒はっきりつけたいのに、白黒はっきりつけようと生きているのに、白は黒に、黒は白にと表裏がパタンと変わる映画だ。
キム・ギドクがプロディユースしているので、鉄拳の一つ一つにその香りはするものの、ギドク作品にはない女子に対する優しさがあり。
ギドク本人が監督をしていたら、もっと女子に対する容赦のない場面が続いていただろう。この映画の中では女子だけは裏返ったりすることなく、最初から最後まで同じスタンスだ。それがヤクザと俳優の生活にちょっとした優しさを与えてくれることになる。
それがあることで、ギドク作品とはまた違った雰囲気を持つ映画になっているような気がする。
見る前はカン・ジファンが演じる俳優役の方に興味があったのだが、見てみるとソ・ジソプが演じるヤクザ役に思わず目を奪われる。
他人から見たら、黒い社会に生きるゴミのような人生といわれようとも、その人生にはそれなりの義理とかルールがあるのが伝わってくる。
そこからは抜けられないかもしれないけれど、這い上がって欲しいという思いになってくるのだ。
ヤクザを演じるソ・ジソプは、けだるい表情なのに、アクションは鋭く。最後の干潟のシーンなどは見ているこちらもあちこち痛くなるような気分だった。
ソ・ジソプは、除隊後の復帰作品にいい脚本を選んだなと思う。
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仕事帰りに見たのだが、窓口のタイムテーブルを見ると、昼間の2回は全席指定席と書いてあった。昼間ソ・ジソプの舞台挨拶があったらしいことにその時気づく。ドラマの撮影中だろうに日本に来るのは大変だったろう。