あっという間に偽物語終了。
全体を通じてみると、率直に言って、『化物語』の方が面白かった。
まぁ、原作自体、『化』の方が格段に面白いから仕方ない。
シャフトのせいではない、というか。
とはいえ、『化』の時のような映像による翻案が『偽』の方にはほとんどなかったので、その点での物足りなさは当然あった。基本的には、原作の動きを素朴に再現しているものが多かったから。
シャフトらしさが減った、というか。
まぁこれも原作がほとんど会話だけになってしまったから仕方ないんだけど。
もっとも、シャフトが自分自身で前作の『化』の映像表現を、ただ様式だけ、つまりはネタとして使っただけのように思えることの方が多かったかな。
難しいところだけどね。
『偽』の物語は、今回明らかにされた、月火が実は生まれながらにして怪異そのものだった、というのが一番面白い部分なんだけど。
いや、原作を読んだ時は、月火が上半身を吹き飛ばされたところはマジで驚いたわけで。
裏返すと、この事実がなかったら『偽』はただの妹萌えの話でしかないんだよね。物語の構造としては。
難しいなぁ。
なので、『偽』を映像にしても、キャラが動いている、というところを除くと対して映像にした面白さがないんだよね。
まぁ、『化』との明らかな違いで行けば、忍が物語に絡んできた、ということで。新奇さのほとんどは忍のキャラだよね。
後は、その忍が前に出ると、ガハラさんと羽川が退いていしまう。
このあたりは読んでる時はあまり気にならないのだけど、映像にするとてきめんに出るね。
だからこそ、今回の最後にむりやり戦場ヶ原のショットを入れたのだろうけど。
うーん。
貝木にしても、第二シーズンが始まらなかったからただのダメおやじだし、影縫はただのバトルオタクのおばちゃんだから。
『偽』をせいぜい8話ぐらいにしてオリジナルでもいいから、シーズン2に繋げるような回があってもよかったかも。『傷』の映画化を挟んだせいか、このあたりテンポが悪く見えるかな。
それにしても、映像で見ると、『偽』はやっぱり特定のファン層に媚びた展開かな。
ま、それが西尾維新の趣味って言われたら何も言いようがないのだけど。
どうも、萌え萌え、言い過ぎてるように思うけどね。
『偽』が出版された時はそれでもよかったけど、今、これを映像化されてもなぁ、という気はやはりする。このあたりは、この間書いた、ネギま!も賞味期限が来ていたと指摘したことに近い。
あー、そうか、ネギま!同様、ファンの意向とか気にし過ぎると、なんか収拾がつかなくなるようだな、やっぱり。
『化物語』も、ネギま!同様、シーズン2では、結局、タイムマシンやパラレルワールドを出してしまって、展開が似てるんだよね、構造的には。
なんというか、作者自身が、二次創作のノリで書いてしまうというか。
商業的にはそのほうがいいのだろうけどね。
でも、こういう展開は、結局、物語の寿命を作者自らが短くしているように思えるんだよね。読者の欲しい物を先回りして、しかもボリュームゾーンに合わせると、どうしてもある方向に比重がかかってしまうから。
このあたりは、多分、『まどマギ』以後、変わってしまったところだと思うのだよね。
構造についても、読者の嗜好についても。
『まどマギ』って要するにループ的な話に止めを差したと思うので。
『モーパイ』や『ちはや』のストレートな面白さを考えるとそう思うな。
萌えとか、もういいよ。飽きた。
もっとも、『モーパイ』や『ちはや』については、単純にこういうのが好きなだけかもしれないけど。でも、『化物語』にしても『ネギま!』にしても最初に面白いと思ったのは、多分、そういうストレートな部分を感じることができたからだと思う。それが回が進むにつれて、なんというか、読者と一緒にオリジナル原作を作者自身が改変して遊んでる感じがして、どうも息苦しくなった、というか。ネギま!の19巻以降の魔法世界編ってまさにそれだから。
『化』のシーズン2も相当微妙だったからな。いろいろ設定を投げっぱなしという点では、終わり方は大してネギま!と変わらない。
あの終わり方が許されるのは連載ではなく書きおろしだからで。
それにしても、シーズン2完結後、シーズン3へ、というのは、まぁ、あざといよね。
そういう、作者と読者の駆け引き、みたいなものはあまり前に出てほしくないなぁ。
諸般の事情で、難しいのだろうけど。
・・・ということで、『偽』の映像化は微妙であった。
まぁ、読む側がいろいろと飽きるくらいだから、書く方はもっと大変、というか、実際には飽きるんだろうな。
それを仕事と思ったら、いろいろとパタン化されても仕方ないし、まわりの様子にも流されるよな。
なんか、『絶望先生』のコメントみたいになってきたなw
あ、あれももう終わるのか・・・w
なんか、潮目の時なのかなぁ。