BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第118話 感想6: 鐘キスの相手は五月、風太郎が好きなのは零奈、となると結論は?

2020-01-24 19:23:31 | 五等分の花嫁
最終的に、四葉vs五月、という構図になったときに、

仮に

鐘キスの相手は、五月のふりをした四葉

零奈は、四葉のふりをした五月

だったとすると、互いに「完全な入れ替わり」になって面白いと思ったのだけど、でも、ちょっと考え直したら、やっぱり違うな、と思った。

というのは、多分、鐘キスも五月だと思えてきたから。

あの鐘キスの場面は、五月の格好をした子が自分は誰?と問いかけるのが、自然なのは確かなのだけど、あの五月が、ほんものの五月である可能性も十分ありえる。

一つは、あの「五月の森」の中で、そもそも自分のアイデンティティも揺らいでいたところがあったから、素朴に、自分自身をちゃんと見分けてもらえるのか?、心配になったから、ということ。

これ、理由としてはちょっと弱いけど、風太郎と温泉で待ち合わせる際に、合言葉で「デミグラソース」とか使っていたのが、さすがに屈辱的だったから、というのもあるとは思う。

ただそれでも弱いな、と思っていて、だから、あの五月は、やっぱり四葉だったのかな、と思いなおしたりもしたのだけど。。。


でも、もしも、あの時の仕草が、五月が、五月のことよりも、風太郎に「零奈」のことを思い出してもらいたくてやったとしたらどうだろう? 

つまり、自分のため、というよりも、四葉のために、行ったことだったとしたらどうだろう?

それなら、五月の動機としても、十分ありえる。


なぜなら、まだ、あの時、風太郎は、五つ子のなかに「京都の子」、すなわち零奈がいるとは思っていなかったよね? 

少なくとも確信はもっていない。

だから、五月の動機としては、まずは、京都の子が五つ子の一人であることに気づいてもらいたかったのではないか。

そして、次にそれが四葉であることに気づいて欲しいと思っていた。


というのも、四葉が、五月に零奈を演じてくれるようにお願いしたのって、要は、あの時の五月の姿が、5年前の小学生の時の五つ子の姿に最も近かったからでしょ?

で、あの鐘キスのときに五つ子が皆、五月の姿をしたのも、おじいちゃんに小学生の時と五人とも変わっていない、という安心感を与えるのにふさわしいと思ったからでしょ?

だとすれば、あの時の五つ子の姿は、(五月が演じた)零奈の姿に近かったはずで。


しかも、鐘キスの時点では、風太郎は零奈とはもう会えないと思っていたし、そもそも零奈が五つ子の一人であるとも確信してはいない。

零奈という名前を出して四葉が「え?」と驚いたのに、風太郎が目ざとく気づくのは、その後の79話の、修学旅行の準備のときだから。

しかも、その四葉の反応から、四葉が零奈ではないことを、ついでに確信しているよね。

となると、あの鐘キスの場面で、五月(の姿をした誰か)がやってきたのは、五月の姿と零奈の姿が被るよね?ということを気付かせたい五月だった。

それゆえ、あれだけ、顔を突き出してプルプルしてみせていた。

ね、ね、この顔、誰か思い出さない? ほら、零奈の顔に似てない? って。

で、そのままあそこで転んだのは、もちろん事故。

そして事故ゆえ、きっと鐘キスも、唇が触れたくらいのものだったんだとは思う。

でも、そんな事故であってもキスはキス、「初めてじゃないでしょ」と結婚式の時にわざわざいうのは、いかにも「生真面目な」五月っぽいじゃない?


それに、鐘キスのあった第62話では、実は、見過ごせないポイントが二つあって。

一つは、

あの時、鐘キスの前に、温泉に入りながら、五月は、二乃に言ってたでしょ?

「あったとしても言えないから隠し事なんです」って。

あそこでいう「隠し事」とは、明らかに、五月が零奈のふりをして風太郎の前に現れたことだよね。

つまり、温泉で二乃と話して以降、五月は、自分が零奈のふりをしたことを思い出して、なんとかしたいと思ってしまった。

で、今なら零奈のことを風太郎に思い出させることができるかも、と思ったに違いない。

なぜなら、さっきも書いたとおり、あの時の五月たちの姿は、小学生の時の面影を残したもので、それはまた零奈に似ているはずだから。


それから、もう一つ大事なことは、五月たちの祖父が、風太郎に対して、彼の娘、つまり五つ子の母の名前が「零奈」であることを伝えたこと。

だから、風太郎は風太郎で、零奈のことを意識しないではいられない状態になっていた。


となると、鐘キスの場面で起こったことは、

五つ子の誰かが、零奈であると、風太郎が確信したこと。

そして、

零奈の姿を漠然と思い出させた五月(の姿をした五つ子)とキスをしたこと。

(ついでにいえば、だから、風太郎は、108話で(零奈と思い込んだ)四葉にキスされたことで、この鐘キスのときのことを思い出していて、だから、その直後(111話)で、五月と階段で顔がニアミスした際に、バッチリ鐘キスのことを思い出して、ビビったのだと思う。)


その結果、風太郎は、修学旅行に行く前に再び接触を図ってきた零奈(=五月)に対しては、すでに、五つ子の一人であり、そして、かなりの確度でその時の零奈が(状況証拠も含めて)五月であると推測することができた。

あの場面で「わからん!」といって即答しているのは、すでに零奈が五月とわかっているから、半分以上、からかっていたということで。


ということで、

鐘キスの相手は五月、

風太郎がその時から意識してしまったのは「零奈」

なのだと思う。

つまり、風太郎が、恋しているのは、やはり(五月が変装した、と同時に風太郎は京都の子その人だと思っている)零奈。


けれども、零奈からは、すでに一度「さよなら」と言われ、しかも、それが五月となるなら、これ以上、追いかけても仕方がない、

という半端な状態にずっといたところで、立て続けに二乃やら三玖やらから、好きだ、答えが欲しい、と迫られて、日の出祭に至ってしまった。

ただ、あの時点では、実は風太郎は、こんな半端な状態では「選べない」と思っていたのだけれど、そのことを一花に「誰も選ばない」と、かなりいろいろなニュアンスや説明を省いて答えてしまったがために、結果として、「何がなんでも一人選べ、それが誠実さ、ってもんでしょ?」と詰め寄られて、三日目に選択しなければならなくなった。

となると、やっぱり、心の底からこの子、すなわち零奈=五月、というのではなく、あれこれ考慮して判断した結果、四葉にした、ということになってしまった。

・・・のだと思う。

ただ、114話で四葉を選んだ時に、四葉が京都の子で、だから零奈かもしれない可能性はあると風太郎は思っていて、だから、四葉にそのことを念の為、確認しようと思ったのだけど、残念ながら、問いをきちんと口に出せないまま、四葉に遮られてしまった。

そのことがどこか引っかかっていて、だから、風太郎は「好きだ」と言いそびれてしまっていた。


となると、この先こじれることが必至なのは、確かに四葉は京都の子だったけれど、でも、零奈ではなかった、という事実が判明した時。

その時になって初めて、風太郎は、四葉か五月か、という選択を迫られることになる。

ただ、そこで最終的に選ぶのは、零奈というよりも、素の五月だった、となるように思う。

そして、その時、五月も、もはや「好き」と言われて拒む理由はない、というのが最終的な選択ではないかな。

もちろん、その場合、四葉も納得してのことで。


ただし、こういう展開になった時、一つ気になるのは、やっぱり、風太郎はどうやって、京都の修学旅行の後、フォトブックを渡すために、零奈を呼び出したのか、ということ。

どう考えても、この時点で五月が零奈であるとわかっていないと呼び出しようがないよね。


あれ、でも、もしかしたら、こういうことか。

風太郎は、とにかく中立的な五月に連絡して、零奈を呼び出してほしいと頼んで、結果的に、五月がそのまま変装して現れた、ということか。

いわば、風太郎も五月も、互いにとぼけたまま、互いに零奈が誰かはわからないまま、会っていた。

そして、風太郎は、すでに、零奈には「さよなら」と言われていた、つまりは、五月には振られた、と思われていたから、日の出祭の時、零奈であり、風太郎はそのまま京都の子と思っていた五月は選択対象から外し、今まで自分のために尽くしてくれた四葉を選んだ、という流れか。

それなら、一応、筋は通る。

それに108話の最後で、四葉を夢うつつで零奈と誤認した時、風太郎は無意識のうちに、すでに零奈との関係は終わってしまっていると思っていたことを含めて、「昔のことより大切なのは今だろ」と言ったのではないか。

いや、そうか、あの夢うつつの時に、すでに、無堂事件が起こっているのだから、風太郎は、その混濁した意識の中で、零奈だと思っている五月に対して、無堂なんていう昔のことは忘れて、先に進め、というつもりで言ったんだな、きっと。

うん、そのほうが筋が通る。

さらにいえば、このとき、四葉は、風太郎を「君」と呼びかけ、時系列的にこの後になる111話で、五月が「君」とさらに呼びかけたことで、風太郎の中で、零奈=五月は確実なものになったのだろうな。

だから、彼は、その後、零奈=五月ではなく四葉を選んだ。

うん、筋が通る。


となると、やっぱり、零奈は五月だったけど、京都の子は四葉で、五月に零奈を演じさせたのは四葉だったとバレた時、何が起こるのか。

そのバレに、四葉が京都の子と知っている一花が絡んだりしたら、さらに状況は激変するね。

そして、その話を行うには、これだけ綿密にプロットが組まれていれば、2話か3話あれば十分じゃない?

残りの話数で十分こなせる。


しかし、こうなると、むしろ、なぜ、ねぎ先生が14巻で完結!って最初から言っていたのかも理解できる。

もう残り話数がないから、という理由で、もう四葉で決定でしょ!と思わせておいて、

さらにいえば、それまで「好き」と言っていた、一花、二乃、三玖の、落選は日の出祭の時に済ませてしまっておいて、

残り1冊分で、五月を急速に変貌させる。

ただし、その変貌は、小説で言えば、一文で済んでしまうような内容かもしれないけれど、その一文が十分な効力を発揮するくらい、風太郎と五月のやり取りについては、いままできっちり描かれてきている。

そうして最後の最後でどんでん返しをかます。

全てはそのためだった。

しかも、そのための仕掛けは、いままでしっかり仕込んできているから、あとは、名探偵よろしく、その謎をドミノ倒し的にひっくりかえしていけばいい。

うーむ、まるで、西尾維新のような、メタフィクション的ひっくり返し!

うん、きっとその展開だな。

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五等分の花嫁 第118話 感想5: 119話以降、この局面でトリックスター=一花はどう動く?

2020-01-24 16:44:12 | 五等分の花嫁
118話の最後に描かれた、五月のスマホの裏面に貼られたプリクラだけど、あそこに「ずっと友だち」と書かれているから、五月は風太郎のことを友だちと思っているとか、いってるのを見かけたんだけど・・・

アホか?

あれは、見つかった時のエクスキューズでしょ?

「友だち」って書いてあるから、仮に姉妹に見つかったとしても、「上杉くんは友だちです!、らいはちゃんも映ってます!」って、即答できるからでしょ?

そういう「釈明」が用意できないと、五月って、自分の気持ちを表現できないんだよ。

つまり、あのプリクラの存在は、五月が風太郎が好きだ、という気持ちの現れ。

なんたって普段持ち歩くスマホに貼ってあるくらいなのだから。

肌身離さず持ち歩きたい、ということの現れ。

風太郎が、小学生の時の京都の子との写真を生徒手帳にいれて持ち歩いていたのと同じ心理。

だから、五月にとっては、姉妹と同等、あるいはそれ以上に、風太郎のことが大切なんだよ。
(もちろん、らいはのことも大切だと思ってると思うけどね)。

それくらい、五月も恋愛については(風太郎同様)お子様、ってことで。

それが今、少しずつだけど、動き出した、というのが、前回と今回で、五月に起きたこと。

とはいえ、五月は、自分の気持ちを伝えられるだけの語彙がまだない。

さすがは「理科」が得意科目だけのことはあるw 要はリケジョなのだ。


ところで、こういう膠着状態になったときに、ゲーム盤を無理やり動かす何かをやらかしてくれるのが、一花。数学が得意の、策士・一花ねw

面白いことに、一花って、五月に対してだけは、「五月ちゃん」と呼んで、明確に「かわいい妹」という態度をずっと取っている。だから、五月は一花にとって別格の存在。

その五月が、風太郎のことで思い悩んでいるのを知ったら、間違いなく五月の背中を推すはず。ちょうど、四葉に対してそうしたように。

なので、あのプリクラは、きっと一花が目にするためのものだと思うんだよね。

で、今更ながら、五月に恋心が芽生えたのを知って、ここはまさに「お姉ちゃん」らしく、五月のことを愛おしく思いながら、後悔したくないなら、ちゃんと風太郎くんに気持ちを伝えなきゃダメだよ!、とか言って励ますような気がする。

なにしろ、「公平」な機会が、姉妹のモットーだからね。

ともあれ、五月が零奈バレの話をきっかけに窮地に立たされるのは、ほぼ間違いないので、その時、きっと妹想いの長女・一花が、また何かしでかしてくれるはず。

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五等分の花嫁 第118話 感想4: 119話以降の展開ではやはり「零奈問題」は爆弾だ

2020-01-23 19:19:56 | 五等分の花嫁
118話の最後の2ページのシーンがどうにも気になって、零奈が風太郎にあった42話の前後を読み直したのだけれど、

五月って、42話で零奈として風太郎に会ったときに、風太郎から「本当はやればできるのにもったいない」と自分の評価を聞かされた時点で、すでに「落ちて」いるよねw

それに風太郎は風太郎で、すでにこの零奈が五つ子のうちの誰かだとなんとなく気づいているよね。


でも、初めて零奈に出くわした時の風太郎の驚愕ぶりを思い出すだに、風太郎がどれだけ零奈=京都の子を大事にしていたかがわかる。

だって、あの時、零奈に「さよなら」と言われてマジで落ち込んだわけで、その落ち込みぶりは、当時はまだ険悪な仲だった二乃を真剣に心配させるくらいの酷さだったのだから。

なにしろ、風太郎から零奈の顛末を聞いた二乃は、あの時、号泣してたからね。

だから、あの時の風太郎を泣かせた零奈が、実は、オリジナルの京都の子である四葉が、五月に頼んでやらせた芝居だった、なんてことが発覚したら、これ、いまや「フーくん愛」の結晶である二乃からすれば、そして正義ガールである二乃からすれば、もう四葉とは絶好、というレベルを超えて、殺意を覚えるレベルじゃないの?

ということで、どう考えても、零奈問題は、この先の土壇場の展開で、ものすごい爆弾になるはず。

もちろん、五つ子だけでなく、風太郎も含めてね。


それに、正直なところ、実はだんだん、この数話の、いつになく四葉が自分自身のことを語っているところを見続けた結果、あれれ、もしかして四葉って、実は腹黒?という気もしてきていて。

それは、四葉の過去話を扱った89話で、その時通っていた高校の講堂でバスケかなにかで優勝したことで全校生徒に紹介されている場面で、

「私が姉妹で一番なんだ!特別なんだ!」

っていってる場面を思い出してしまったからなのだけど。

つまり、四葉の本質って、どこまでいっても「自己チュー」の、自分が一番大事な子なんだよね、きっと。

もちろん、その後の自分の不始末で、姉妹まで含めて転校しなくちゃいけなくなったことをきっかけに、今度は「姉妹が一番!」の子になったわけだけど、それも「自分の居場所を作る」という点で「自己チュー」であることは変わらない。

要するに、姉妹の中で、実は、三玖以上に、コミュ障の困ったちゃんが四葉。

そして、それが高じて、天然に「腹黒」な所作に及んでしまう。

これ、天然だけに、始末が悪くて。

オルタ一花さんなんて、目じゃないくらい。

いや、だってさ、冷静に考えたら、そもそも零奈という架空キャラを出さなきゃいけなくなった理由って、今の自分が恥ずかしくて風太郎に直接名乗りあげることができない、ということでしょ?

だったら、ただ黙っていればいいんだよ。

それを(当時の)五月が、風太郎に対して最も中立的であることをいいことに、彼女に頼んで「さよなら」とわざわざ伝えさせるのだから。

これって、いろいろな意味で、他人の気持ちが全然わかってない。

というか、他人の心を踏みにじっている。

もちろん、それくらい四葉が悩んでいたことはわかる。

でもね、それなら彼女は、ひとり遠くから風太郎を眺めていればいいんだよ。

だけど、今のように、表舞台に立たされてしまったときに振り返ると、あれれ、なにそれ、キモ!、それはないわ―、って類のヤバさ、だよね。

だから、四葉推しの人に悪いけれど、この数話の四葉の行動は、こじらせすぎている、という点ではドン引きしてしまうレベルにまで達していると思う。


でもまぁ、四葉のことはこれくらいにして、もとに戻るとして、

118話で一番気になったのは、なぜ、いまさら、零奈(=五月)のお守りの「中身」のことを思い出させるわけ?ってこと。

しかも、あのお守りは、50話で風太郎が川に落ちた時になくしてしまったわけで。風太郎からしたら、もう確認のしようがないもので。

あの中身は何なの?

あの中身が、最終局面で重要になるものなの?

まさか118話の最後で見せた、五月のスマホの裏面に貼ってあるプリクラじゃないよね?

というか、118話で五月が風太郎にスマホを貸すのを躊躇ったのって、裏面にこのプリクラが貼ってあることがバレちゃうからだよね?

いやだから、118話の最後で、いずれも五月が関わった

零奈
お守り
プリクラ

なんてこの物語の上でめちゃくちゃ大事な出来事を、三連チャンで畳み掛けるように、この期に及んで読者に思い出ささせておいて、

その上で、最後のページで、風太郎に、まるでもう(恋人であるのを通り越して)夫婦であるかのように、寄り添うように座っている姿を見せられて、そのうえ、

「上杉君、おめでとう」

といわれて、ハイ、そうですか、で終わるはずないでしょ?

これは、もう、ただただ、五月のゲージが目一杯触れていることの表現でしかない。


だから、繰り返しになるけど、この3つの出来事の畳み掛けで示されたことは、物語当初では、というよりも林間学校の頃には、父親嫌いから男性嫌いの気があった五月が、日の出祭以降、風太郎に対する意識の封印をどんどん次々と破ってきているのであって、それが今回でマックス!に達したということ。

だって、五月はとうとう明確に恋心を自覚した上で、四葉を思って「引く」決意をしたのだから。

だからこそ、今思えば、確かに日の出祭の時、五月には、無堂という実父の負わせた枷を外すエピソードが必要だったことになる。

あのとき、最初に無堂が現れたときは、なんでこの「風太郎が五つ子の一人を選ぶ」なんて一大イベントが控えている時に、五月だけ、こんなハゲオヤジの相手をしなくちゃいけないの? って、真剣に思ったけど。

でも、あれは、むしろ、今、五月が末脚を発揮して、風太郎ラブマックスとなるために必要な、まずは突破すべき第一の関門だったんだよ。

あれで初めて五月は、父親嫌いに発した男性不信から解放されたのだから。

しかも、その不信を取り除いてくれたのが風太郎なのだから。

これで惚れないわけがないじゃない?

五月にとっては、あの時が、始まりだったんだよ。

もちろん、それまでに、風太郎ならびに上杉家とは長いお付き合い、それに竹林に対して啖呵を切るくらい「深い」お付き合いがあったわけだけど、でも、それを恋心と認識するには、父親嫌い=男性不信、という障害が邪魔していた。

そういう意味では、竹林に対しては、自然と制動がかかる姉妹に対するのとは違って、あの時点での五月の本音(=すでに風太郎ラブ)がダダ漏れしてた、ってこと。


ともあれ、こうして五月が、風太郎ラブに向けて急速にゲージを上げつつある間に、114話で風太郎に選ばれた四葉は、115話から118話までをかけて、一花、二乃、三玖からの了承を得ることに奔走した。

そして、次回の119話以降、ようやくきちんと風太郎と対峙することができるようになった。

裏返すと、いまだに四葉は、京都の子の話をしていない。

もちろん、五月に頼んで零奈を演じてもらった、という話もしていない。

何が言いたいかというと、この四葉がいよいよ過去話をすることになるまでの間に、五月の気持ちが風太郎ラブという点でマックスな状態にまでゲージを引き上げておくことが、115話から118話までの、もう一つの「裏」の役割だったということ。

つまり、四葉も、五月も、いまや「アイム・レディ!」ということ。


そして、ここから、ようやく京都の子のこと、そして「零奈問題」の話題に移るはず。

問題は、誰がどのような状況で、どんなふうに風太郎に伝えるのか?

順当に、四葉が(多分、例の公園でブランコを漕ぎなら)話すのか?

それとも、五月がいたたまれなくなって思わず話してしまうのか?

あるいは、一花がうっかり話してしまうのか?

これは、その手順によっては、話は思い切りこじれるはず。

そして、仮にこの話に日の出祭期間中の竹林もからんでいるとすれば、二乃や三玖が口を挟む可能性もなくはない。

ということで、零奈問題の扱いは、状況を一変させる破壊力を持つはず。


もっとも、零奈問題が、相変わらず不発で終わる可能性もなくはない。

ただ、その場合、四葉は、風太郎に、彼との関係上、最も重要な話を秘匿したまま付き合っていくことになる。

さすがにそんな理不尽な結末にはしないと信じたい。

ということで、119話。

さて、どうなる?

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五等分の花嫁 第118話 感想3: むしろ五月エンドは温まり始めている

2020-01-22 18:28:01 | 五等分の花嫁
流れを知ってからもう一度、第118話を読み直して思ったのは、

あれ、風太郎はホントに四葉のことが好きなのかな?

ということだった。

具体的な理由は、第100話の最後で風太郎がナレーションとして語ったことからなのだけど、あそこでは

「この選択は、あるいはこの選択をすることは、正しかったのだろうか」

と自問したうえで、

「そんなことを考えるには、三日間はあまりに短すぎた」

といい、とりあえずは自分を納得させている。

これ、普通に考えれば、この選択をこれが語られた後日において、後悔しているという表明だよね?

要するに、三日間では、正しい選択をすることができなった、ということ。

もちろん「この選択」とは、四葉を選んだことね。

で、117話冒頭の風太郎って、実はこの「後悔」モードの数歩手前の、117話の五月的にいえば、なんか「もやもやした」感じになっているんじゃないの?

あれ、これで、ほんとに良かったんだっけ? という感じ。

風太郎にとって、四葉って、あの日の出祭の勢いの中で、無理やり選ばされた感じも拭えない、という気にもなっていると思う。

その点で、やらされていることは、京都の修学旅行の時の映画村での三玖と大して変わらない。

周りのサポートがあって、むりやり正解(とおぼしきもの)を掴み取らされたという感じ。

でなければ、普通に考えて、今回、風太郎も、好きだ、と四葉にいってもいいシチュエーションだよね。

もしも、四葉のことが好きで好きでたまらないのなら、四葉の気持ちを盗み聞きした上で二乃に見つけられてしまった時点で、四葉に対して、言い残していた「俺もお前が好きだ」といってしまえばよかったのに。

それを、あそこで言いよどむかな。

むしろ、五月が「モヤモヤした感情がなくなった」ということに、「?どういうことだ」と問い直していたりして。

いまさらながら、風太郎って「好き」ってどういうことなんだろう?って悩んでたりしてはいないのかな?


先に言ってしまうと、今回までの話は、四葉が姉妹の不安を取り除いて、いよいよ風太郎にちゃんと向き合えるようになる、というお膳立てをしてきた回だったわけだけど、実は、それと同じくらい、五月が自分の気持ちにきちんと気づくことができたという意味では「アイム・レディー」、つまり「準備は整った」という回だったと思うのだよね。

つまり、一見すると、五月もまた二乃と同じように風太郎に対する気持ちに区切りをつけたように見えるけど、その実、五月が、風太郎を、二乃と同じくらいにまで「好き」になっていることを認める回だった、ということ。

そして、これは五月の悪い癖だけど、今回、けじめがつけたと思えたのも、単に二乃の威勢のいい宣言を聞いて納得してしまっただけのことで、実は、彼女自身の言葉で、風太郎に対して区切りをつけたわけでは全くないのが実情。

ホント、五月って、優等生なんだから!、ってこと。

だから、五月の場合は、むしろ、エンジンが温まってきた、ってことだと思うよ。

でなければ、今回のラストでわざわざ、「五月の思い出」として「零奈の姿で」風太郎とボートに乗ったシーンなんか思い出さないでしょ?

あれは、物語展開の上でも、五月が思い出すことで、同時に(こんなふうに毎回感想を上げてしまうような呆れた読者wではなく)普通の読者にも、改めて零奈のエピソードを思い出させるための誘導としてのシーンだった、のだと思う。

単行本なら、次の回のシーンにそのまま続くわけだし。

で、問題は、やはり、そんな「モヤモヤした感情がなくなった」という五月に対して風太郎が逐一気にかけていること。

ついでに言えば、彼が前回、五月に相談を持ちかけようとした内容が、明らかにされてはいない。

その意味では、四葉以上に、いま、風太郎がなにを考えているのか、全くわからない。


で、多分、風太郎的にどうしても気になるのが、零奈のことなんだろう。

そして、だからこそ、彼は99話で、日の出祭初日の午後3時に、わざわざ五つ子を「全員」招集して、

「俺はお前たち五人が好きだ」

と言ったのではないか。

すでに告白している二乃と三玖、加えてほぼ告白したような一花は、そう言われるのは理解できるとして、あの時、「あれ、え、私も?」と、四葉と五月も、慌てていたわけで。

で、あのシーンは、今から振り返れば、四葉については、純粋に、いつも俺を救ってくれてありがとう、というのが、風太郎の本心だったわけで、それが高じて「好意」に変わっていた。

でも、あの時、五月をも、風太郎が「好き」だと言った理由は、まだ風太郎からは明かされていない。

となると、風太郎としては、五月が零奈であると踏んでいて、それが理由で、五月に対しても好意を持っている、という判断をしたのだと思う。

だから、やはり、風太郎からしてみたら、零奈は誰かを突き止めるイベントを、誰が本当に「好き」なのか、はっきりさせるためにも、外すわけにはいかなくなる。


要するに、四葉が、風太郎のことは好きだけど、同時に、姉妹のことも大事です、というのと同じくらい、風太郎にとっては、「零奈」ならびに「京都の子」が誰か、はっきりさせないではいられない。

多分、この問題が、実際に四葉を(まずは)選んだ、という決断をしてから、具体的に風太郎の気持ちに覆いかぶさってきたのだと思う。

だから、風太郎は風太郎で、どこか四葉に対して、よそよそしい態度をとる。

なので、順番として、次回まずは、四葉と一緒にブランコを漕ぐことになるのだろうけど。

でも、それだけでは終わらないと思うのだよね。


そこで一つ気になるのが、日の出祭最終日(だけ)に、五月がわざわざ、

「君だって私の理想なんだよ、それだけ聞いてほしかったの」

っていったこと。

キーワードは「君」という呼称ね。

絶対、このタイミングで風太郎を「君」と呼ばせたのは、時間軸的には、日の出祭三日目の、この五月とのイベントの前に起こっていた、四葉による「夢うつつ」の風太郎のキスを五月がしたのではないか?と、風太郎に誤解させる、というよりも、ミスリードさせるためのものなのではないか、と。


しかも、五月がこう呼びかけるシーンの直前では、階段を降りてくる五月が(鐘キスのときの五月のように)風太郎に覆いかぶさるようにするカットが挟まれて、あまつさえ風太郎自身、鐘キスのことを思い出して赤面しているような場面に続いている。

しかも、わざわざ、階段の前後で話す、という形で。

この五月との階段のシーンは、

6年前の京都で、京都の子(=四葉)が風太郎に声をかけてくれたシーン

を思い出させると同時に、

直前の夢うつつの風太郎に対して、今の高3の四葉が、しかし口調だけは「京都の子=零奈」としてキスするシーン

をも思い出させるものだから。

この、四葉から五月へという流れで行けば、風太郎が、五月を零奈、そして京都の子と誤認してもおかしくはないと思う。

もっといえば、この結果、風太郎は、四葉は「京都の子」ではないと誤認して、それもあって、四葉を選ぶことになったのではないか。


ただ、その判断がだんだんわからなくなってきた。

多分、風太郎は風太郎で、零奈のことが気になって仕方がない。

そのため、零奈の最有力候補として五月も「好き」の対象に入っていた。

とにかく風太郎は五月が「零奈」であり「京都の子」であることをはっきりさせたくて仕方がない

それが、117話で、風太郎が、五月を昼飯に呼び出した理由だったのではないか?という気がしている。

もっといえば、風太郎は、五月が零奈であってほしいと思っている。

要するに、118話の話を受けても、いまだに、四葉エンド以外のルートがあるんじゃないか、と思っているわけで、そのなかで、可能性が高いのが、やはり五月エンドではないかな、ということ。

そして、そのためのお膳立てが、五月自身、「零奈」を演じたことを今回の最後で思い出したことで、本格的に整ったのではないか、ということ。

だって、あの、らいはにせがまれて撮ったプリクラが、いま振り返られるなんて、反則以外のなにものでもないじゃない。

ただ、問題は、京都の子は四葉であって、零奈は五月であること。

そういう意味では、風太郎がどちらを選ぶのかは、五分五分かもしれない。

ただ、それでも五月が優位だと思うのは、風太郎の100話最後のナレーション。

「この選択」は正しかったのか?

つまり、まだまだ、簡単には終わらないと思う。

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五等分の花嫁 第118話 感想2: 物語の語り手は風太郎ではなく〈彼女〉だった?

2020-01-22 11:50:20 | 五等分の花嫁
118話の結果を受けてこれで首尾よく、四葉と風太郎がお付き合いするようになりそう。

ただ、こうなってくると気になるのは、風太郎も四葉とともに、小学生のときの京都での出会いをすっきり「健忘」でもしない限り、彼のナレーションが成立しないのだけど。

このあたり、どう解決するのだろう?

で、思いついたのは、第1話冒頭の独白として、

「夢を見ていた、君と出会った高校二年の日、あの夢のような日の夢を」

と語っているのは、今まで風太郎だとばかり思っていたのだけれど、実はそうではなく、五つ子のほうであった、ということ。

となると、、風太郎のことを「君」と呼ぶのは誰か、ということ。

それは、四葉、五月、しいていえば、一花、なのだけど。

でも、118話に出てきた「恋の思い出」という言葉につなげれば、第1話冒頭の言葉を告げていたのは、五月、でもいいように思える。

つまり、この『五等分の花嫁』という物語の「語り手」は、今までずっと新郎である風太郎だとばかり思っていたのだけど、そうではなく、結婚式のシーンを眺めている「五月」だったのではないかということ。

『五等分の花嫁』という物語は、(風太郎のではなく)五月の回想として語られていた。

だったら、一応、整合性はつくし、五月が最初から、物語の要所要所に関わってきてもおかしくはない。

なぜなら、この物語は、五月が回想して語っているものだから。

それなら、いわゆる「五月皆勤賞」という現象にも説明がつくし。

いや、こう考えるのは、多分に118話のタイトルである「五月の思い出」に引っ張られているからなのだけど。でも、それなら、五月に、日の出祭の時に、風太郎を「君」と呼ばせた意味もあるよね。

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五等分の花嫁 第118話 『五月の思い出』 感想: 第119話は四葉&風太郎があの公園でブランコを漕ぐシーンで決定かな?

2020-01-22 10:48:15 | 五等分の花嫁
うーん、なんか、もう完全に、ねぎ先生の手のひらの上で踊らされてるなぁw

前回の盛り上がりはどこに行った?というくらい、キレイに納めた、二乃と、ついでに五月の、決着回。

・・・って、そうだよね? これ?

二乃は、いつもどおりの「いつでもフーくんを狙っている!」と宣言し、

五月も、零奈として過ごした日々を「思い出」として封印し、「恋の記憶」にしてしまう。

で、結局、物語開始当初のような、でも確かに一周回ってきました!、という感じの、五つ子と風太郎の距離感の再演。

ホント、ねぎ先生にいいようにあしらわれているなぁ、読者はw


それから一応、確認しておくと、どうやら、前回の作中時間は、日の出祭が終了してから、大して経っていない、というか、三玖とカラオケで貫徹した翌日、ないしは翌々日くらいでいいみたい。

前回の五月と下田さんのやり取りを見ると、もう少し日にちが経っていたようにも感じたけど、それも含めて、ねぎ先生にやられた、ってことだね。

ともあれ、118話をもって、一応、四葉以外の五つ子の、風太郎に対する気持ちは一通り整理がついた、ってことかな。

となると、逆に気になるのは、前回、風太郎が五月に相談しようとしたことは何だったのか?ということなのだけど。

あれも、今回の、四葉と二乃の会話の盗み聞きで、風太郎的にはすっきりした、でいいのだろうな。

まぁ、多分、四葉が自分をどう思っているのか、よくわからなくなった、どうしよう? というくらいのことだったのかもしれないけれど。


しかし、これでまた、状況はもとに戻ってしまった。

相変わらず、四葉は、京都の子の話はしない、五月は、今回、回想でこそ出ていたけど、零名のことにも触れていない。

そうすると、やはりねぎ先生としては、「四葉=京都の子」という事実のバレには、完全に目をつぶって、最終コーナーまで行く、ってことなのかな。

それとも、今回をもって、四葉の姉妹に対する憂いはひとまず解消されたので、四葉の希望通り、風太郎と四葉が「おつきあい」を始める中で、四葉の口からすべて語られて、風太郎の了解をとっていくのかな?

外堀はすでに埋めてあるから、安心して明かすことができる、ということで。

となると、次回は、四葉と風太郎が、あの公園で、あのブランコを、一緒に漕ぐシーンなのかね。

あの場で、すべて明かされる

なるほどねー。

ただね、こうなってくると、風太郎も四葉とともに、小学生のときの京都での出会いを「健忘」でもしない限り、あの場面が成立しないのだけど。

このあたり、どう解決するのだろう?

それとも、もうそのあたりは完全に不問にして決着させるのかな?

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バビロン 第11話 『開幕』 感想

2020-01-21 15:40:25 | バビロン
いよいよ、G7サミットと新域サミットが同時並行で開催。

山場となるのは、アレックスたちG7首脳たちによる善悪談義。

・・・だったはずなのだけどw

何なんだ? あの不思議宇宙空間みたいなところでのディスカッションは?

あんな、なんちゃってニュータイプwみたいな感じで演出するくらいなら、普通に議論している様子をとればいいのに。

トロッコ問題のところは、あんなに力をいれて、トロッコ問題の状況を背景にアレックスを線路に寝かせるようなアホな演出をしているくらいなのだから、原作者に了解をとった上で、他の倫理問題ネタを入れるなりして、絵面的には繋げばいいのに。

ホント、製作者は、なんにも考えてないんだな。

もう一つ、原作既読者としては、この先で重要になる同時通訳の話が全部すっ飛ばされていたのだけど、それは次回冒頭で補うのかな?

といっても、次回が最終回だよね?

あと、演出的にあれれ?と思ったのは、あの自殺しようとする女性、まだ顔を見せちゃダメだよねw

あんなふうに見せちゃったら、この女、曲瀬じゃないの?、って丸わかりだよね。

少なくとも正崎のカットを入れたので、それがもうわかっちゃう感じなんだけど。

となると、あそこで、物語を切ったのも失敗でしょ。

あのシーンは、曲瀬かどうか、わからないまま、一気に観てしまうように、次回冒頭に持ち越した方がよかったろうに。。。

ホント第三部(原作第3巻)に入って、演出がダメすぎる。

正解のカド、の終盤と全く同じようなダメ感w


しかしこうなってくると、原作第4巻がちゃんと出るのかどうか、心配になってくるな。

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ぼくたちは勉強ができない 第143話 『泡沫の人魚姫は約束の[x]に濡つ』 感想:文乃のお手つきってことでいいのかね?

2020-01-20 14:25:23 | ぼく勉
ぼく勉も、受験がみな、首尾よく終わって、なんのひねりもなく、まさに物語のまとめに入っているところ。

そうなると、もう関心は、ひたすらアニメラストにあった「うるかエンド」になるの?ということだけで。

とはいえ、こちらは『五等分』と違って、何でもありのスラップスティックだから、ノリで決まるかなー、と思っていて。

で、まずは、うるかがきちんと告白したところで、今回、自分の想いに遂に負けてしまいそうになった文乃のターン、ってことかね。

ただ、まぁ、風邪ひいて寝込んでいる成幸に、しかも相手が「うるか」という名を出してうめいている時に、キス未遂の場を、理系とうるかの二人に目撃されるとか、どんだけー、とは思った。

ともかく、次回、ってことだろうけど。

でも、これは、先手は悪手、という点で行くと、文乃はオウンゴールしちゃうのだろうか?

そこはちょっと気になる。

まぁ、もともと不幸体質だとは思っていたけどw

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鬼滅の刃 第190話 『ぞくぞくと』 感想: 赫刀化は物語の「刀剣乱舞」化を促す?

2020-01-20 14:09:12 | 鬼滅の刃
タイトル通り、善逸、伊之助、カナヲの三人が「ぞくぞくと」無惨戦の現場に現れてきて、戦況を少しは変えてみせるという回。

そして、伊黒の赫刀がきっかけになって、柱もまた「ぞくぞくと」赫刀化を図っていく、という展開。

うん、なんか、とにかく「ぞくぞくと」が続いた感じのリズム回w

こういうところ、作者も半分は遊んでいるのだろうけど、うまいよね。

まさにリズムカルでw

あとは、無惨戦に入ってから意外と愈史郎が要所要所で活躍している。

彼の御札があればこそ、不可視のまま、善逸たちは無惨に切り込むことができたので。

しかも、意外とあっさり腕を切り落としたりしていて。

決して、無惨が無敵ではない、という姿を見せてくれるのはいいね。

もちろん、無惨は無惨で即座に対抗策を打ってくるわけだけど。

一進一退。

いかにも持久戦な感じがしてくる。

あとは、柱がどこまでもつのか。

そして、炭治郎と禰豆子、さらには恋柱がいつ、戦線に復帰するのか。

やっぱり土壇場になるんだろうなぁ。

しかし、となると、地味に、善逸たちの参戦によって鬼滅隊の手数が増えて、最悪でも時間稼ぎの手が増えたことは大きい。

それだけ、炭治郎が復活するまでの時間も稼げるから。

それにしても、赫刀か。

太陽の力を、生命の呼吸を通じて結晶させる。

まさに、ジョジョの波紋法。

なんか、どんどんジョジョ第2部のことが思い出されて。

最初、無惨はディオと思っていたのだけど、ここのところの、もう生命体として人間の形状をやめてしまっているのを見ると、あれ、むしろカーズだったか!、と思ったりw

まぁ、そうすると、上弦の壱は、武人かぶりでワムウだった、ってことで。

無一郎は、シーザー・ツェペリだったっかー、と。

連想はどんどん広がっていくw

とはいえ、無惨戦で気になるのは、今回、悲鳴嶼や実弥が使った、武器どうしをぶつけることで赫刀化させる、という奥の手。

間違いなく、武器の摩耗を早めることになるから、はたしてこの持久戦という状況で好手なのかどうかは、微妙なところか、と。

冒頭の伊黒のシーンを見ると、呼吸による赫刀化は、むしろ、剣士の意識を持っていってしまうようなので、ということは、刀と剣士の間の生命エネルギーの配分が勝機を左右するということになりそうで。

つまりは、「刀・人・一体」。

なんか、刀剣乱舞みたいだけどw

でも、炭治郎の実家の「鉄を鍛える」というところからして、すでに、刀に太陽の力を埋め込む手続きのようにも思えてきてw

とにかく、「刀・人・一体」を極めたものが、無惨に引導を渡すようにも思えてきたw

というか、それが竈門炭治郎の宿命なんだろうね。

ということで、炭治郎、早く今際の際から戻ってこい!

頼むよ、禰豆子!

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五等分の花嫁 第117話 感想7: 「風太郎がすでに四葉に振られている説」を考えてみる

2020-01-20 07:56:08 | 五等分の花嫁
そう、物語を一気に動かす大技として、「四葉がすでに風太郎を振った説」を考えてみる。

といっても、117話の風太郎と四葉って、どう見ても告白しあった男女の雰囲気ではなく、異様によそよそしかったから、確かに「すでに振られていた」というのはありかも。

たとえば、117話のメインの日の朝?とかに、風太郎は四葉から正式にお付き合いはできません、という回答を受け取ってしまって、さてどうしたものかぁ、と思っていたところで、五月と出くわしたので、そのまま相談に昼食の声をかけた、というのが、実情かな。

そう考えれば、今回の最後で風太郎がとぼけていたのも、彼自身、ここで、四葉が二乃に、風太郎を振ったことを改めて聞かされる、という、針のむしろになることが、この先予想されるからなのだろうけど。

あるいは、まだ正式には振られていないけれど、一向に色良い返事を四葉からもらえないものだから、さすがに不安に感じていたのかもしれない。

だとすれば、今回の最後は、期せずして、覗き見しているような、出歯亀しているよう感じで、四葉が自分に対して思っている本音を耳にしてしまうことになってしまって、もうマジで心中穏やかではない、ということなのかもね。

でもまぁ、生真面目な四葉からしてみたら、前回のような三玖の決意まで聞かされてしまったら、四葉が、姉妹大事の態度をとっておかしくはないよね。

なにしろ、四葉は、自分の気持ちとは別に、ずっと三玖を応援してきていたわけで。

四葉的には、あの三玖を応援していた気持ちも嘘ではなかったと思うのだよね。

で、姉妹をとるか、風太郎をとるか、という選択を迫られた結果、姉妹をとる、という決断を最終的に下しても、おかしくはない。

ただ、四葉エンドが消える、というのもそれほどむちゃくちゃな話ではなくて、それは何度も書いてきてたように、物語的には、京都の子バレだけで花嫁要件を満たさなくなるし、さらにもっとメタなレベルで考えると、やっぱり、幼馴染エンドはなかったね、ということ。

正直言えば、これは、114話で四葉が選ばれた時に、率直に覚えた違和感でもあったし。

114話って、四葉の側も、ついでにいえば風太郎の側も、京都の子問題を不問にしておうじていたわけで。

でも、それはさすがに、今までもメタ語りのストーリー要件からすると、無理やりだったわけで。

だから、114話以降の、四葉が選ばれた問題は、いわゆる「幼馴染=滑り台」ルートの、今までになかったパタンを示したってことになるよね、四葉が振った、ということになったら。

ただ、この物語の裏テーマは「愛」でもあるから、ここで、家族愛、姉妹愛が説明変数として浮上してもそれほどおかしくはないと思う。

四葉にとって、風太郎も大事だけど、それ以上に、姉妹の絆が重要だ、ということ。

読者の不満の理由の多くは、こういうことになるならもっとはやくやれよ!、ということなのだろうけど、でも、今、起こっていることは多分、ドラマが起きるときは、それは立て続けに、連鎖反応として一気に起こるものだ、ということで、それを地道にやってみせているだけのこと。

むしろ、最終巻となる14巻が全部敗戦処理になることに比べたら、はるかに面白い。

要するに、最終コーナーでの畳み掛けを素直に楽しめるかどうかだけのことだと思う。

それにさ、告白が一回だけで成就することを前提にすること自体、おいおい、恋愛、舐めんな!って言われそうなことではある。

だいたい日の出祭のところまでって、風太郎が一方的に五つ子に好意を寄せられるだけの話だったので、それって、さすがに、風太郎にとって美味しすぎる話だろ、と。

だとすれば、日の出祭でひとり選ぶ、という枠組みを五つ子たちに示されたあたりから、風太郎も少しは、男子らしく、苦労しろよ!ということなんじゃないないかな?ねぎ先生的には。

そうして、マニュアルではなく、実地に恋愛を学べよ、ということなのかもね。

もっとも、五つ子が相手では、「失恋」といっても、それだけですまないのだけど。

だって、風太郎がフリーになったから、といって、じゃあ、また以前のように風太郎争奪戦に精を出せるかといったら、さすがにそれは厳しいだろうから。

そうなると、ずっと相談役を務めてきた五月が浮上するのもわかるかも。

彼女だけが、今まではいわば非武装中立地帯だったわけで。

問題は、五月がもはやそうは思っていないこと。

そのニュアンスを風太郎が察することができるかどうか。

風太郎の男子力wが改めて試される。

しかし、そう思うと、この作品、やっぱり登場人物たちの心の中だけにしまわれているものが多すぎだよねw

いい加減、全てさらけ出してほしいけど。

その時は、本当に物語の幕を閉じるときなんだろうな。

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