最終的に、四葉vs五月、という構図になったときに、
仮に
鐘キスの相手は、五月のふりをした四葉
零奈は、四葉のふりをした五月
だったとすると、互いに「完全な入れ替わり」になって面白いと思ったのだけど、でも、ちょっと考え直したら、やっぱり違うな、と思った。
というのは、多分、鐘キスも五月だと思えてきたから。
あの鐘キスの場面は、五月の格好をした子が自分は誰?と問いかけるのが、自然なのは確かなのだけど、あの五月が、ほんものの五月である可能性も十分ありえる。
一つは、あの「五月の森」の中で、そもそも自分のアイデンティティも揺らいでいたところがあったから、素朴に、自分自身をちゃんと見分けてもらえるのか?、心配になったから、ということ。
これ、理由としてはちょっと弱いけど、風太郎と温泉で待ち合わせる際に、合言葉で「デミグラソース」とか使っていたのが、さすがに屈辱的だったから、というのもあるとは思う。
ただそれでも弱いな、と思っていて、だから、あの五月は、やっぱり四葉だったのかな、と思いなおしたりもしたのだけど。。。
でも、もしも、あの時の仕草が、五月が、五月のことよりも、風太郎に「零奈」のことを思い出してもらいたくてやったとしたらどうだろう?
つまり、自分のため、というよりも、四葉のために、行ったことだったとしたらどうだろう?
それなら、五月の動機としても、十分ありえる。
なぜなら、まだ、あの時、風太郎は、五つ子のなかに「京都の子」、すなわち零奈がいるとは思っていなかったよね?
少なくとも確信はもっていない。
だから、五月の動機としては、まずは、京都の子が五つ子の一人であることに気づいてもらいたかったのではないか。
そして、次にそれが四葉であることに気づいて欲しいと思っていた。
というのも、四葉が、五月に零奈を演じてくれるようにお願いしたのって、要は、あの時の五月の姿が、5年前の小学生の時の五つ子の姿に最も近かったからでしょ?
で、あの鐘キスのときに五つ子が皆、五月の姿をしたのも、おじいちゃんに小学生の時と五人とも変わっていない、という安心感を与えるのにふさわしいと思ったからでしょ?
だとすれば、あの時の五つ子の姿は、(五月が演じた)零奈の姿に近かったはずで。
しかも、鐘キスの時点では、風太郎は零奈とはもう会えないと思っていたし、そもそも零奈が五つ子の一人であるとも確信してはいない。
零奈という名前を出して四葉が「え?」と驚いたのに、風太郎が目ざとく気づくのは、その後の79話の、修学旅行の準備のときだから。
しかも、その四葉の反応から、四葉が零奈ではないことを、ついでに確信しているよね。
となると、あの鐘キスの場面で、五月(の姿をした誰か)がやってきたのは、五月の姿と零奈の姿が被るよね?ということを気付かせたい五月だった。
それゆえ、あれだけ、顔を突き出してプルプルしてみせていた。
ね、ね、この顔、誰か思い出さない? ほら、零奈の顔に似てない? って。
で、そのままあそこで転んだのは、もちろん事故。
そして事故ゆえ、きっと鐘キスも、唇が触れたくらいのものだったんだとは思う。
でも、そんな事故であってもキスはキス、「初めてじゃないでしょ」と結婚式の時にわざわざいうのは、いかにも「生真面目な」五月っぽいじゃない?
それに、鐘キスのあった第62話では、実は、見過ごせないポイントが二つあって。
一つは、
あの時、鐘キスの前に、温泉に入りながら、五月は、二乃に言ってたでしょ?
「あったとしても言えないから隠し事なんです」って。
あそこでいう「隠し事」とは、明らかに、五月が零奈のふりをして風太郎の前に現れたことだよね。
つまり、温泉で二乃と話して以降、五月は、自分が零奈のふりをしたことを思い出して、なんとかしたいと思ってしまった。
で、今なら零奈のことを風太郎に思い出させることができるかも、と思ったに違いない。
なぜなら、さっきも書いたとおり、あの時の五月たちの姿は、小学生の時の面影を残したもので、それはまた零奈に似ているはずだから。
それから、もう一つ大事なことは、五月たちの祖父が、風太郎に対して、彼の娘、つまり五つ子の母の名前が「零奈」であることを伝えたこと。
だから、風太郎は風太郎で、零奈のことを意識しないではいられない状態になっていた。
となると、鐘キスの場面で起こったことは、
五つ子の誰かが、零奈であると、風太郎が確信したこと。
そして、
零奈の姿を漠然と思い出させた五月(の姿をした五つ子)とキスをしたこと。
(ついでにいえば、だから、風太郎は、108話で(零奈と思い込んだ)四葉にキスされたことで、この鐘キスのときのことを思い出していて、だから、その直後(111話)で、五月と階段で顔がニアミスした際に、バッチリ鐘キスのことを思い出して、ビビったのだと思う。)
その結果、風太郎は、修学旅行に行く前に再び接触を図ってきた零奈(=五月)に対しては、すでに、五つ子の一人であり、そして、かなりの確度でその時の零奈が(状況証拠も含めて)五月であると推測することができた。
あの場面で「わからん!」といって即答しているのは、すでに零奈が五月とわかっているから、半分以上、からかっていたということで。
ということで、
鐘キスの相手は五月、
風太郎がその時から意識してしまったのは「零奈」
なのだと思う。
つまり、風太郎が、恋しているのは、やはり(五月が変装した、と同時に風太郎は京都の子その人だと思っている)零奈。
けれども、零奈からは、すでに一度「さよなら」と言われ、しかも、それが五月となるなら、これ以上、追いかけても仕方がない、
という半端な状態にずっといたところで、立て続けに二乃やら三玖やらから、好きだ、答えが欲しい、と迫られて、日の出祭に至ってしまった。
ただ、あの時点では、実は風太郎は、こんな半端な状態では「選べない」と思っていたのだけれど、そのことを一花に「誰も選ばない」と、かなりいろいろなニュアンスや説明を省いて答えてしまったがために、結果として、「何がなんでも一人選べ、それが誠実さ、ってもんでしょ?」と詰め寄られて、三日目に選択しなければならなくなった。
となると、やっぱり、心の底からこの子、すなわち零奈=五月、というのではなく、あれこれ考慮して判断した結果、四葉にした、ということになってしまった。
・・・のだと思う。
ただ、114話で四葉を選んだ時に、四葉が京都の子で、だから零奈かもしれない可能性はあると風太郎は思っていて、だから、四葉にそのことを念の為、確認しようと思ったのだけど、残念ながら、問いをきちんと口に出せないまま、四葉に遮られてしまった。
そのことがどこか引っかかっていて、だから、風太郎は「好きだ」と言いそびれてしまっていた。
となると、この先こじれることが必至なのは、確かに四葉は京都の子だったけれど、でも、零奈ではなかった、という事実が判明した時。
その時になって初めて、風太郎は、四葉か五月か、という選択を迫られることになる。
ただ、そこで最終的に選ぶのは、零奈というよりも、素の五月だった、となるように思う。
そして、その時、五月も、もはや「好き」と言われて拒む理由はない、というのが最終的な選択ではないかな。
もちろん、その場合、四葉も納得してのことで。
ただし、こういう展開になった時、一つ気になるのは、やっぱり、風太郎はどうやって、京都の修学旅行の後、フォトブックを渡すために、零奈を呼び出したのか、ということ。
どう考えても、この時点で五月が零奈であるとわかっていないと呼び出しようがないよね。
あれ、でも、もしかしたら、こういうことか。
風太郎は、とにかく中立的な五月に連絡して、零奈を呼び出してほしいと頼んで、結果的に、五月がそのまま変装して現れた、ということか。
いわば、風太郎も五月も、互いにとぼけたまま、互いに零奈が誰かはわからないまま、会っていた。
そして、風太郎は、すでに、零奈には「さよなら」と言われていた、つまりは、五月には振られた、と思われていたから、日の出祭の時、零奈であり、風太郎はそのまま京都の子と思っていた五月は選択対象から外し、今まで自分のために尽くしてくれた四葉を選んだ、という流れか。
それなら、一応、筋は通る。
それに108話の最後で、四葉を夢うつつで零奈と誤認した時、風太郎は無意識のうちに、すでに零奈との関係は終わってしまっていると思っていたことを含めて、「昔のことより大切なのは今だろ」と言ったのではないか。
いや、そうか、あの夢うつつの時に、すでに、無堂事件が起こっているのだから、風太郎は、その混濁した意識の中で、零奈だと思っている五月に対して、無堂なんていう昔のことは忘れて、先に進め、というつもりで言ったんだな、きっと。
うん、そのほうが筋が通る。
さらにいえば、このとき、四葉は、風太郎を「君」と呼びかけ、時系列的にこの後になる111話で、五月が「君」とさらに呼びかけたことで、風太郎の中で、零奈=五月は確実なものになったのだろうな。
だから、彼は、その後、零奈=五月ではなく四葉を選んだ。
うん、筋が通る。
となると、やっぱり、零奈は五月だったけど、京都の子は四葉で、五月に零奈を演じさせたのは四葉だったとバレた時、何が起こるのか。
そのバレに、四葉が京都の子と知っている一花が絡んだりしたら、さらに状況は激変するね。
そして、その話を行うには、これだけ綿密にプロットが組まれていれば、2話か3話あれば十分じゃない?
残りの話数で十分こなせる。
しかし、こうなると、むしろ、なぜ、ねぎ先生が14巻で完結!って最初から言っていたのかも理解できる。
もう残り話数がないから、という理由で、もう四葉で決定でしょ!と思わせておいて、
さらにいえば、それまで「好き」と言っていた、一花、二乃、三玖の、落選は日の出祭の時に済ませてしまっておいて、
残り1冊分で、五月を急速に変貌させる。
ただし、その変貌は、小説で言えば、一文で済んでしまうような内容かもしれないけれど、その一文が十分な効力を発揮するくらい、風太郎と五月のやり取りについては、いままできっちり描かれてきている。
そうして最後の最後でどんでん返しをかます。
全てはそのためだった。
しかも、そのための仕掛けは、いままでしっかり仕込んできているから、あとは、名探偵よろしく、その謎をドミノ倒し的にひっくりかえしていけばいい。
うーむ、まるで、西尾維新のような、メタフィクション的ひっくり返し!
うん、きっとその展開だな。
仮に
鐘キスの相手は、五月のふりをした四葉
零奈は、四葉のふりをした五月
だったとすると、互いに「完全な入れ替わり」になって面白いと思ったのだけど、でも、ちょっと考え直したら、やっぱり違うな、と思った。
というのは、多分、鐘キスも五月だと思えてきたから。
あの鐘キスの場面は、五月の格好をした子が自分は誰?と問いかけるのが、自然なのは確かなのだけど、あの五月が、ほんものの五月である可能性も十分ありえる。
一つは、あの「五月の森」の中で、そもそも自分のアイデンティティも揺らいでいたところがあったから、素朴に、自分自身をちゃんと見分けてもらえるのか?、心配になったから、ということ。
これ、理由としてはちょっと弱いけど、風太郎と温泉で待ち合わせる際に、合言葉で「デミグラソース」とか使っていたのが、さすがに屈辱的だったから、というのもあるとは思う。
ただそれでも弱いな、と思っていて、だから、あの五月は、やっぱり四葉だったのかな、と思いなおしたりもしたのだけど。。。
でも、もしも、あの時の仕草が、五月が、五月のことよりも、風太郎に「零奈」のことを思い出してもらいたくてやったとしたらどうだろう?
つまり、自分のため、というよりも、四葉のために、行ったことだったとしたらどうだろう?
それなら、五月の動機としても、十分ありえる。
なぜなら、まだ、あの時、風太郎は、五つ子のなかに「京都の子」、すなわち零奈がいるとは思っていなかったよね?
少なくとも確信はもっていない。
だから、五月の動機としては、まずは、京都の子が五つ子の一人であることに気づいてもらいたかったのではないか。
そして、次にそれが四葉であることに気づいて欲しいと思っていた。
というのも、四葉が、五月に零奈を演じてくれるようにお願いしたのって、要は、あの時の五月の姿が、5年前の小学生の時の五つ子の姿に最も近かったからでしょ?
で、あの鐘キスのときに五つ子が皆、五月の姿をしたのも、おじいちゃんに小学生の時と五人とも変わっていない、という安心感を与えるのにふさわしいと思ったからでしょ?
だとすれば、あの時の五つ子の姿は、(五月が演じた)零奈の姿に近かったはずで。
しかも、鐘キスの時点では、風太郎は零奈とはもう会えないと思っていたし、そもそも零奈が五つ子の一人であるとも確信してはいない。
零奈という名前を出して四葉が「え?」と驚いたのに、風太郎が目ざとく気づくのは、その後の79話の、修学旅行の準備のときだから。
しかも、その四葉の反応から、四葉が零奈ではないことを、ついでに確信しているよね。
となると、あの鐘キスの場面で、五月(の姿をした誰か)がやってきたのは、五月の姿と零奈の姿が被るよね?ということを気付かせたい五月だった。
それゆえ、あれだけ、顔を突き出してプルプルしてみせていた。
ね、ね、この顔、誰か思い出さない? ほら、零奈の顔に似てない? って。
で、そのままあそこで転んだのは、もちろん事故。
そして事故ゆえ、きっと鐘キスも、唇が触れたくらいのものだったんだとは思う。
でも、そんな事故であってもキスはキス、「初めてじゃないでしょ」と結婚式の時にわざわざいうのは、いかにも「生真面目な」五月っぽいじゃない?
それに、鐘キスのあった第62話では、実は、見過ごせないポイントが二つあって。
一つは、
あの時、鐘キスの前に、温泉に入りながら、五月は、二乃に言ってたでしょ?
「あったとしても言えないから隠し事なんです」って。
あそこでいう「隠し事」とは、明らかに、五月が零奈のふりをして風太郎の前に現れたことだよね。
つまり、温泉で二乃と話して以降、五月は、自分が零奈のふりをしたことを思い出して、なんとかしたいと思ってしまった。
で、今なら零奈のことを風太郎に思い出させることができるかも、と思ったに違いない。
なぜなら、さっきも書いたとおり、あの時の五月たちの姿は、小学生の時の面影を残したもので、それはまた零奈に似ているはずだから。
それから、もう一つ大事なことは、五月たちの祖父が、風太郎に対して、彼の娘、つまり五つ子の母の名前が「零奈」であることを伝えたこと。
だから、風太郎は風太郎で、零奈のことを意識しないではいられない状態になっていた。
となると、鐘キスの場面で起こったことは、
五つ子の誰かが、零奈であると、風太郎が確信したこと。
そして、
零奈の姿を漠然と思い出させた五月(の姿をした五つ子)とキスをしたこと。
(ついでにいえば、だから、風太郎は、108話で(零奈と思い込んだ)四葉にキスされたことで、この鐘キスのときのことを思い出していて、だから、その直後(111話)で、五月と階段で顔がニアミスした際に、バッチリ鐘キスのことを思い出して、ビビったのだと思う。)
その結果、風太郎は、修学旅行に行く前に再び接触を図ってきた零奈(=五月)に対しては、すでに、五つ子の一人であり、そして、かなりの確度でその時の零奈が(状況証拠も含めて)五月であると推測することができた。
あの場面で「わからん!」といって即答しているのは、すでに零奈が五月とわかっているから、半分以上、からかっていたということで。
ということで、
鐘キスの相手は五月、
風太郎がその時から意識してしまったのは「零奈」
なのだと思う。
つまり、風太郎が、恋しているのは、やはり(五月が変装した、と同時に風太郎は京都の子その人だと思っている)零奈。
けれども、零奈からは、すでに一度「さよなら」と言われ、しかも、それが五月となるなら、これ以上、追いかけても仕方がない、
という半端な状態にずっといたところで、立て続けに二乃やら三玖やらから、好きだ、答えが欲しい、と迫られて、日の出祭に至ってしまった。
ただ、あの時点では、実は風太郎は、こんな半端な状態では「選べない」と思っていたのだけれど、そのことを一花に「誰も選ばない」と、かなりいろいろなニュアンスや説明を省いて答えてしまったがために、結果として、「何がなんでも一人選べ、それが誠実さ、ってもんでしょ?」と詰め寄られて、三日目に選択しなければならなくなった。
となると、やっぱり、心の底からこの子、すなわち零奈=五月、というのではなく、あれこれ考慮して判断した結果、四葉にした、ということになってしまった。
・・・のだと思う。
ただ、114話で四葉を選んだ時に、四葉が京都の子で、だから零奈かもしれない可能性はあると風太郎は思っていて、だから、四葉にそのことを念の為、確認しようと思ったのだけど、残念ながら、問いをきちんと口に出せないまま、四葉に遮られてしまった。
そのことがどこか引っかかっていて、だから、風太郎は「好きだ」と言いそびれてしまっていた。
となると、この先こじれることが必至なのは、確かに四葉は京都の子だったけれど、でも、零奈ではなかった、という事実が判明した時。
その時になって初めて、風太郎は、四葉か五月か、という選択を迫られることになる。
ただ、そこで最終的に選ぶのは、零奈というよりも、素の五月だった、となるように思う。
そして、その時、五月も、もはや「好き」と言われて拒む理由はない、というのが最終的な選択ではないかな。
もちろん、その場合、四葉も納得してのことで。
ただし、こういう展開になった時、一つ気になるのは、やっぱり、風太郎はどうやって、京都の修学旅行の後、フォトブックを渡すために、零奈を呼び出したのか、ということ。
どう考えても、この時点で五月が零奈であるとわかっていないと呼び出しようがないよね。
あれ、でも、もしかしたら、こういうことか。
風太郎は、とにかく中立的な五月に連絡して、零奈を呼び出してほしいと頼んで、結果的に、五月がそのまま変装して現れた、ということか。
いわば、風太郎も五月も、互いにとぼけたまま、互いに零奈が誰かはわからないまま、会っていた。
そして、風太郎は、すでに、零奈には「さよなら」と言われていた、つまりは、五月には振られた、と思われていたから、日の出祭の時、零奈であり、風太郎はそのまま京都の子と思っていた五月は選択対象から外し、今まで自分のために尽くしてくれた四葉を選んだ、という流れか。
それなら、一応、筋は通る。
それに108話の最後で、四葉を夢うつつで零奈と誤認した時、風太郎は無意識のうちに、すでに零奈との関係は終わってしまっていると思っていたことを含めて、「昔のことより大切なのは今だろ」と言ったのではないか。
いや、そうか、あの夢うつつの時に、すでに、無堂事件が起こっているのだから、風太郎は、その混濁した意識の中で、零奈だと思っている五月に対して、無堂なんていう昔のことは忘れて、先に進め、というつもりで言ったんだな、きっと。
うん、そのほうが筋が通る。
さらにいえば、このとき、四葉は、風太郎を「君」と呼びかけ、時系列的にこの後になる111話で、五月が「君」とさらに呼びかけたことで、風太郎の中で、零奈=五月は確実なものになったのだろうな。
だから、彼は、その後、零奈=五月ではなく四葉を選んだ。
うん、筋が通る。
となると、やっぱり、零奈は五月だったけど、京都の子は四葉で、五月に零奈を演じさせたのは四葉だったとバレた時、何が起こるのか。
そのバレに、四葉が京都の子と知っている一花が絡んだりしたら、さらに状況は激変するね。
そして、その話を行うには、これだけ綿密にプロットが組まれていれば、2話か3話あれば十分じゃない?
残りの話数で十分こなせる。
しかし、こうなると、むしろ、なぜ、ねぎ先生が14巻で完結!って最初から言っていたのかも理解できる。
もう残り話数がないから、という理由で、もう四葉で決定でしょ!と思わせておいて、
さらにいえば、それまで「好き」と言っていた、一花、二乃、三玖の、落選は日の出祭の時に済ませてしまっておいて、
残り1冊分で、五月を急速に変貌させる。
ただし、その変貌は、小説で言えば、一文で済んでしまうような内容かもしれないけれど、その一文が十分な効力を発揮するくらい、風太郎と五月のやり取りについては、いままできっちり描かれてきている。
そうして最後の最後でどんでん返しをかます。
全てはそのためだった。
しかも、そのための仕掛けは、いままでしっかり仕込んできているから、あとは、名探偵よろしく、その謎をドミノ倒し的にひっくりかえしていけばいい。
うーむ、まるで、西尾維新のような、メタフィクション的ひっくり返し!
うん、きっとその展開だな。