BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第122話 感想8: 夢オチって曲解されている?

2020-02-21 17:08:30 | 五等分の花嫁
ちょっと気になったので。

あの終わり方は夢オチじゃない、っていうのは、確かに初見ではそうかもしれない。

「あの時も同じことを思ったんだ」

っていう風太郎の独白の「あの時」が、結婚式後の時間から振り返って「あの時」という意味に聞こえるから。

でも、全く同じことは、目覚めた後に、さっき見ていた夢を思い出して「あの時」と言うこともできる。

だから、正確に言えば、あのセリフだけをとれば、どちらでも解釈は可能。

じゃあ、夢オチ、というのはどうしてか、ということだけど。

でも、その前にちょっと足しておくと、夢オチ、って作劇上のテクニックだから、言葉尻だけから自明な夢オチなんて、そもそもないんだ、ということ。

だから、セリフの上では、夢オチには見えない、ように書くのが第一。

で、あの最後のシーンは、まず、その要件を満たしている。

ただ、その上で、どちらとも取れる、ということ、

そして、わざわざ最後に夢見の場面を付け加える、ということは、

作劇上は、夢オチを狙いたい、という意図があったといえる。

だって、夢オチじゃないと断言している人たちの多くは、一度は、あれ、これもしかして夢?と思ったところで、先ほどの、

「あの時も同じことを思ったんだ」

を見て、ホッとしているはずだから。

でも、それで、本当に夢オチじゃないなら、わざわざ、ここで夢を見ていた、なんて場面を入れる必要はない。

そういう意味では、あの結婚式は「予知夢」だったのか?という言葉の使い方は間違い。

なぜなら、「予知夢」といった時点で、5年後の結婚式を作中ですでに起こった事実とみなしていることが前提にされているから。

予知かどうか、は関係なく、結婚式は、ただの夢かどうか、が適切な言葉遣い。

で、ここからさきは、作劇上の判断になるけど、それは、

これまで、この物語では、風太郎が夢を見ている場面が多々生じていること、

なにより、そもそも物語の冒頭で「夢」に触れられていること、

だから、そこから夢オチが試みようという仕込みがされていることは自明。

その上で、ミサンガや指輪をはじめとした、今まで言及されてきた結婚式場での登場アイテムの描写が見当たらないこと、

といった周辺状況がある。

そこから、これは、夢オチと、後で言ってもどうとでもなる、という仕込みがされていると考えてもいい、ということで。


ついでに言っておけば、最後の高校生の場面は、すでに四葉にプロポーズした後だから、四葉エンドは揺るがない、という見方もあるようだけど、

よく見ると、あの場面で、五つ子は、一花以外、夏服を着ているので、少なくとも時期としては、日の出祭前とみなしていい。

なので、時系列的には、まだ四葉を選ぶ前のいつか、ということになると思う。

日の出祭中は、ガーディガンを羽織っているので。

ちなみに、風太郎が夢から覚めた場所は、五つ子のマンションのソファーだから、屋内ということで、外では羽織っていたものを脱いでいる、という解釈も一応、可能。

ただ、それも含めて、時間は、四葉の選択後とは断定できない。

要するに、曖昧だ、ということ。

で、これは何回か書いたことだけど、このように頻繁に寝てしまう風太郎は、夢見がちという点で「信用のおけない語り手」であることは間違いない。

むしろ、作者は、そのことを、(特に最終話に限らず)これまで何度も作中で意図的に示してきている。

そういうことまで考えて、「夢オチ」と見ることができるということ。

というか、これは、絶対夢オチじゃない、と言い切れる最終話ではない時点で、あの終わり方に信用がおけない、ということ。


なので、これが夢オチじゃないという人がいるのは、理解できる。

だって、そのために両義的な終幕にしているのだから。

ただ、夢オチかどうかは、最後の一文の「日本語の読解力」とかで決定できるものではない、ということ。

だから、シンプルに、単行本化の際に、作者が、最後をちゃんと結婚式場の場面にもどして回想していた、というふうにはっきり書き直さない限りは、夢オチと解釈しておくほうが、この物語の全体を通じて読んだときは妥当だろう、ということ。

当然、最後の場面まで読み終えたところで、あ、これは夢オチだったんだ、というのは、そういう読み方をしてきたからで、だから、大事なのは、一文の解釈がどうこうではなく、これまでの文脈がどうだったかにある、ということになる。

そういう意味で、終幕直前で、夢のシーンを入れてきたことがすでに、確信犯であるということ。

ということで、ここでは、これは夢オチだった、と思った次第。

それが絶対的な正解だとまでは言わないけど、解釈が分かれる曖昧な描き方が始終されて来た時点で、これは夢オチでしょ、ということ。

ただ、夢オチと言っているやつは読解力がない、とか言われるのは違うだろう、と。むしろ、逆だろう、ということ。

まぁ、どうでもいいことといえば、いいことなんだけどねw


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五等分の花嫁 第122話 感想7: まさか『東京大学物語』が繰り返されるとは…

2020-02-21 12:13:39 | 五等分の花嫁
さて、そろそろ最終話から2日くらいたって、いい感じに反響も安定してきたところだろうから、ちょっと本音っぽいことも書いておこうかな。

今のところは、夢オチに至った背景とか事情とか、その(今後への)影響とか効果のほうに焦点を当てていたから。

でも、単純な一つの作品の終わりとしてみたとき、どうか?

いや、案の定、ツイッターとか見ると、素晴らしい作品をありがとう!、とか、四葉の花嫁、よかったです、とか、あの終わり方を肯定するものがどんどん流れてくるし、

「堂々完結!」とか「大団円」とか、えー、さすがにあれでそれはないでしょ?という礼賛の表現が、臆面もなく使われたりしていて。


でもさー、ぶっちゃけ、あんなヌルい、ぼんやりした終わり方、一つの作品としては、全然ダメでしょ?

はっきりいって、失敗作だし、よく行っても、あまたある凡作にまで落ちたよね。


そもそも四葉エンドって、それまであった伏線やら展開からしたら、無理がありまくりだし、これはちょくちょく触れてきたことだけれど、四葉って、あの五つ子の五人の中では、別格なくらい魅力に欠けるよね?

いや、それだけじゃなく、そもそも邪悪じゃない?

さんざんっぱら、キスとかそういうものから遠い存在と思っていたら、無意識のうちにあれこれ風太郎に手を出すし、

三玖には、なりすましで付き合おうとするのは倫理的にダメだと思う、とか素でいいながら、少なくとも、作品の公式見解としては、四葉が五月の姿のままで鐘キスの相手だった、ということでしょ?

まぁ、あの鐘キスは、風太郎の夢の中での描写となったから、現実世界ではノーカンだけどさ。

とにかく、鐘キスについては、まったくもって納得ができず、この点では、他の姉妹を推している人たちの憤懣やるかたない気分の方にまったくもって同意。


加えて、京都の子も、写真のことも、零奈のことも、全部、無視だし。

ありえないよね、それは、マジで。

それに、「全部、ウソ」(一花)も、「この恋がかなわないのも知っている」(三玖)も、「あなたに、つたえなければならないことがあります」(五月)、も全部、ぶん投げたまま。

ミサンガは? 指輪は? ついでにいえば、ウェディング・ケーキは?

もう、全部、どこに行っちゃったんだよ?


で、それを、語りの上では、全部、風太郎の妄想でした!、というオチで済ますのだから。

これじゃあ、江川達也の悪名高き『東京大学物語』とさして変わらないじゃん。

いや、あちらのほうが、いろいろな意味で悪質で悪趣味だったけどさ。

でも、今まで読んできたものは何だったんだよー!、という、読んで直後の憤りだけは、全く同じでしょ。

もちろん、『五等分の花嫁』は、事実上、2周目がほぼ約束されたようなものだけどさ。

それに『東京大学物語』のときとは違って、いまはマルチエンディングと、別ルートへの分岐は、読者の側にむしろ、ストックされた常識となっているから。

でもなぁ、やっぱり、あの夢オチは、予測してはいたけど、いただけない。

仮に、一休み的終幕にしても、別のやり方があったと思うけどね。

結局、「誰も選ばない」というエンドなのだから。


うん、悪態をつき始めると止まらなくなるから、今はこれくらいで。

おいおい続き的なものを書くかもしれないけどw

その一方で、ちょっと「総評」めいたものも考えていいかな、とは思っている。

あー、しかし、ホント、騙されたー、悔しいなぁ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五等分の花嫁 第122話 感想6: 改めて『ネギま!』の最終回にそっくりでビックリ!

2020-02-20 18:23:20 | 五等分の花嫁
ちょっと気になったので、昔、書いた『ネギま!』の最終回の感想を読み直してみたのだけど、『五等分の花嫁』の最終回と似たような感想を述べていて、びっくり。

ついでに、憤っているところまでそっくりw

ということで、ご参考まで、以下にリンク残しておきます。

******

【最終回・感想】

魔法先生ネギま! 355時間目 『3-Aよ永遠に』

魔法先生ネギま! 355時間目 感想追加

魔法先生ネギま! 355時間目 再開予想

で、ついでに、

【単行本最終巻・感想】

魔法先生ネギま! 第38巻 感想

******

で、この作品の読者の一人が、後にマンガ家になって『五等分の花嫁』を描いたのだから、いろいろと思うところはあるよねw

そういえば、『ネギま!』の主人公のネギくんは、もともとは「風魔法」が得意だったはずなので、風太郎の名前は、そこから取ったのかもね。

四葉については、前にも書いたように『君の名は。』の三葉からヒントを得ていると思っているけどね。

ついでにいえば、『五等分の花嫁』という女子攻略?のプロットは、これも前に書いたように『ネギま!』と同じ頃に連載していた『神のみぞ知るセカイ』の影響も受けていると思う。

神のみぞ知るセカイ 最終回 FLAG 268 感想

風太郎の人物造形も『神のみ』の主人公である桂馬のキャラに、少なくとも初期は習っているように思えるし。


しかし、夢オチかぁ。

結局、誰がゴールになったかは、ぼんやりとしたまま、とりあえず、一旦は着地した、という感じだよなぁ、やっぱり。

問題は、この終わり方が、作者が望んだものだったかかどうか、というところだよなぁ。

作者が『ネギま!』のファンだったことを考えれば、実は本人もその気になっていた、と言う気もなくはない。

ちなみに『神のみ』の最終章は、なんともメタな展開で、主人公の桂馬自身が、過去に戻って、それまで自分が関わってきた本編の物語を、いわばゲームとしてプログラムし、再び現在に戻ってくるという、思い切り「自作自演」の終わり方だったw

なので、ラブコメをもう一度、リスタートポイントにもどってやり直す、というアイデアは、もしかしたら『神のみ』の影響も受けているのかもしれない。

まぁ、ゲームシナリオの流儀なんだけど。


ということで、『ネギま!』の終わりにそっくりだったね!ということでした!

『ネギま!』の卒業式にあたるのが、『五等分の花嫁』の結婚式だったわけだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五等分の花嫁 第122話 感想5: 結局、最終話の夢オチの夢はいつ始まったのか?

2020-02-20 12:25:47 | 五等分の花嫁
最終話の最後で、今回描かれた四葉との結婚式は、風太郎の見た夢だったことが明かされたわけだけど、

じゃあ、具体的に、その夢はいつから始まっていたのか?

が気になってくる。

で、構成的に考えると、やっぱり日の出祭からなんだろうなぁ、と。

あのあたりから、明らかに風太郎の言動がちょっとおかしくなり始めてきたから。

で、具体的には、多分、風太郎が、お前たち5人が好きだ、と告げて、その後に、一人を選ぶゲームが始まった99話なんだろうね。

なにより、あのときの一花が思わず口にしたように「いきなりだね」と読んでた方もおもわずにはいられないくらい、唐突だったから。

そこから、風太郎なりの、夢の形をとったシミュレーションがはじまった、ということだったのだろうなぁ、と。

よく言われるように、あの頃から風太郎の「俺様」性が徐々に減って、代わりにとても受動的な、されるがままの感じになってしまったわけだけどw

それに、あの回には、二乃が変な100円玉が描かれた謎解きにぶつかっていて。

あの絵もよく考えると、

100円玉 → 「100」が「輪」に囲まれている → 100話?

「20 0月0日」はちょっと変だけど、
数字はまとめて「2000日」
「20 0月」は「20」と「0月」の間のスペースを「空=から」として、
「月」の下をつなげると「目」と同じになるから、
ちょっと入れ替えをして、「から2000日目」とすることができるかな、と。

とすると、あの謎解き全体で

「100話から2000日目に進め」

となって、このマンガで「2000日目」といえば「結びの伝説2000日目」のことと思ってよく、それはまた「結婚式」を意味するから、

「100話から結婚式に進め」、すなわち、「100話から最終2話に進め」

ということになると解釈していいと思う。

となると、100話から122話までが全て風太郎の見た「長い夢」と思ってもいいのかもしれない。

ということで、この99話が一番大きな分岐点、ということね。

もっとも、この作品の中では、しばしば風太郎が眠っている場面が描かれているので、「夢見の開始」、すなわち「ストーリーの分岐点」は、これだけに限るわけではないけれど。

でも、100話の後に続く、五つ子ごとの「最後の祭りが…」のエピソードの並びを考えると、この100話が、五つ子ごとのルートの分岐点になっている可能性は高いと思う。


とはいえ、改めて日の出祭のエピソードが、基本的に全部、風太郎の見た夢だとすると、彼は、自分から、一花、二乃、三玖、そして四葉とのキスを望んだことになる。

いやー、恥ずかしいねぇw

ただ、それ以上に、彼は、それでも、五月とのキスは望まなかったことになる。

このことがなにを意味するのか

つまり、五月との距離のとり方を、風太郎自身も考えあぐねているということで。

このあたりが、大きな意味で、この物語の肝になるのかもしれない。

何が言いたいかと言うと、マルチエンディングを考えてもよくなった以上、今度は、

それぞれのルートが、全部、均等な価値をもつものなのか、

それとも、

ルートには、一種のステージのレベルがあって、つまり、5番目に明かされるルートが「真エンド」に向かうルートなのか?

という問いが生じる。

つまり、Fateの桜ルートのような、真エンドのルートがあるのかどうか、そして、あるとすれば、それは誰のルートになるのか?、ということ。

この点で、五月にだけ、風太郎は自分の見た夢の中でもキスをしなかった、というのが、あとで効いてくるのかもしれない。

そして、もしも、そうした「真エンド」をたどる物語がこのあと展開されるとすれば、もうしばらくの間、この『五等分の花嫁』を楽しめるのかもしれないw

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。第7話『防御特化と強化。』 感想: あっという間に天使の第2形態w

2020-02-20 10:27:46 | 防振り
いやー、ほんとに呑気なギャグ枠になってきた。

シルリンのプリズマイリヤっぽい作画もいい感じに馴染んできてw

動きがあるところはとことん動かすけど、ギャグのパートはとことんボヤーっとした雰囲気を徹底するw

ギャグ枠のSAOって感じ。

にしても、ヒドラのあとは、天使ですか。「見捧ぐ慈愛w」ですか。

黒い悪食から、白い守護天使、って、キャラのあり方も極端から極端に移るのが、いやはやなんともw

確かに、こういう天然の異常枠に、多くの攻略を経てガチで強くなったプレイヤーがぶつかって負けたりしたら、思い切り、トラウマ化するんだろうなぁ。

ギルドどうしの争いが迫ってきたってことは、そういう「えー!?」って展開が待ってるからでしょ?

きっと、ペインって人が、不幸にも「勇者(笑)」みたいな枠に収められることになるのだろうなぁ。

ともあれ、久しぶりに、大沼心が監督らしいバランスの良さで素晴らしい。

大沼心ってともすれば、ちょっと過剰な方向にギャグをもっていってしまう傾向があって、それがここのところ、ちょっとしんどかったのだけど、この『防ふり』について、メイプルの天然もあってか、そのあたりがトーンダウンしているのがいい感じ。

まぁ、でもきっとサリーがバーサーカー的にやばくなるところで、本来の大沼心らしさが発揮されるのかもしれないけれど。

ということで、ギルド戦、はよ!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五等分の花嫁 第122話 感想4: キャラマンガの1ルートとしてアニメ第2期は五月エンドになるのか?それとも三玖エンド?

2020-02-20 00:00:10 | 五等分の花嫁
どうやら、将来のマルチエンディングを可能にするための落とし所として、四葉エンドが採用されたようだけど、その結果、ラブコメとか花嫁当てミステリーとしてはとうてい成功作とはいえないものになったものの、キャラマンガとしては延命できたのかもしれない。

この作品にとって大切なのは、物語よりもキャラ。

その場合、キャラクターは、複数の物語の間を飛び回る、一種の俳優のような存在になる。

その点では、『五等分の花嫁』には女優・一花がいるし、もともと五つ子ゲームを行うくらい、誰かに化ける訓練は、皆、幼少期の頃からこなしてきている。

だから、今回の(とりあえずの)終幕にしても、まさに「第1幕」を演じましたよ!、という感じが強い。

だってさ、なんで、最終話なのに、風太郎は、

五月と痴話喧嘩してるわけ? 

三玖に抱きつかれてるわけ?

二乃を口説いているわけ?

一花をいじってるわけ?

四葉が主役の結婚式でこれ、どう考えてもおかしいじゃん?


でも、このそれぞれに掛けた言葉は、きっとこの先の第2幕、第3幕で、彼女たちをヒロインにした物語のティザーなんだよ。

そういうマンガシステムを構築する、ということなんだよ、きっと。

実際、ツイッターをみると、多くの人が「推し」のストーリーを求めている。

面白いのは、「推し」の読者って、一度は思いっきり四葉エンドに毒ついているのに、しばらくしたら、ケロッとして、『五等分の花嫁』がすきでした、ねぎ先生、ありがとう、とか、平気で言ってるのだもの。

だったら、一度、「推し」をもっている人たちの期待を思い切り裏切って、

でもね、大丈夫、第2幕があるからね、そっちも見に来てね!

と煽ったほうがいいに決まってる。

『五等分の花嫁』劇場の興業的にはw

ということで、キャラマンガとしては成功だったと思うのだよ。


で、そうしたキャラマンガ化としての道を模索していたからこそ、あえて、ヒロインとしては、魅力の一番低い四葉をあえて本命にし、むしろ、いやいや四葉よりも他の五つ子のほうが魅力があったと「推し」の人たちに勝手にバズらせて、それで落ちかかっていた人気を再びアゲアゲにするw

でなければ、こんな終盤のタイミングで、キャラブックなんて、売らないでしょ?

五月のキャラブックなんてまだ、売り出されてないんだぜ。

つまり、キャラカードの売れ行きを見るのと同じように、キャラブックの売れ行きをみながら、この先の、第2幕、第3幕のヒロインを決めていく、という商業的判断からなんじゃないかな。

そういう商売っ気をひしひしと感じるよ。

そして、それが最終話をもってあからさまに伝わってきたので、なんか、まぁ、これはこれでいいかなー、という気にもなってくる。

いや、四葉エンドはできればやめてほしかったし、伏線丸投げにも腹は立ったけど。

でもまぁ、作者というか「運営」の狙いはそこにはなかったわけだから。

ラブコメを読んでると思っていたら、実はソシャゲの第1ステージを見せられていた、という感じなので。

まぁ、しかし、そうすると、アニメ第2期は、最初から別エンドになる可能性もあるかと。

というか、そうでもしないと、いまさら見ないよねw

そういう、マルチストーリーの作品として売り出すプロトタイプにしようとしているのだと思う。

ということで、アニメは、五月エンドとか三玖エンドでいいんじゃない?

もちろん、一花でも二乃でもいいけど。

そうして、二次創作的妄想力も、本家がちゃんと刈り込んでいく。

きっとそれがこれからの正しいマンガ商法なんだろうな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五等分の花嫁 第122話 感想3: それにしてもなぜ風太郎と四葉の「誓いのキス」を描かなかったのだろう?

2020-02-19 20:14:20 | 五等分の花嫁
最終回の、花嫁・四葉の言葉を聞いて改めて感じたけど、四葉って、一人の登場人物として見たとき、他の姉妹と比べて、人間的面白みに欠けてた。

端的に言って、ヒロインとしての魅力に欠けていた。

かわいくない。

真面目すぎる。

姉妹が五人いるからこそ、元気っ子というキャラがぎりぎり成立していたレベル。

それでいて、本質は邪悪。

かつて姉妹を出し抜こうとしていた、いわば厨二的増長気味のヤバさがあったことが、表向き、まるまる封印されてしまっていて、実は、裏のある性格ではないのか?という疑いが最後まで消えない、というか、今も消えていない。

まぁ、だから、四葉って、キャラとして好きになれないんだよね、いまだに。

あの「邪悪さ」を正直に風太郎に告げたわけでもなく、せいぜい、自分が姉妹を巻き込んで転校させてしまったことを悔やんでみんなに尽くした、というところまでしか風太郎には伝わっていない。

だったら、あんな邪悪な本質、わざわざ(作者は)描くなよ、というのが、今だから言えること。

いや、もちろん、十分反省して真人間になったじゃない!と言われればそうみえないこともないのだけど。

でも、四葉を真ヒロインとして物語を締めるのなら、そのような「四葉の邪悪さ」が払拭されたことを、ちゃんと風太郎なり、一花なり、あるいは、マルオなりの口から言葉にし、四葉とやり取りしている場面を描くべきだった。

これは意図してのことかどうかはわからないけど、この物語の作者は、そういうところは、正直、手抜きが多い。

ちゃんと言わなくても、読者が勝手に想像してくれる、と思っているフシがある。

でも、それはやはり読者に甘え過ぎで、キャラクターに邪悪から善に転身した「変化」があったのなら、それは、ちゃんと「成長」として示さなければいけない。

なんというか、そういうところが、最後までぼやけたままにされていたので、四葉エンドをすっきり受け入れることが難しかった。

ていうかさ、もっとはっきりいえば、そういうやり取りを含めて、

最後、ちゃんと、風太郎と四葉で、誓いのキスをしたところを描けばいいじゃん。

なんで描かないかな?

ついでにいえば、指輪の交換もなかったし。

いや、あの結婚式は、高校生の風太郎が夢に見たものだから、妄想したものだから、風太郎がよくわかっていないディテールは想像されようがない、という理屈が成り立つのはわかる。

でもさ、それはそれ、これはこれで、ちゃんとキスシーンとか指輪の交換シーンとか描けばいいじゃない。

そうしたら、あぁ、四葉が花嫁なんだ、・・・、って読者の方も、徐々にその結果を受け入れることができるのだから。

そういうステップを一切合切省いているのは、真面目にいただけない。


そういう意味では、式場で行う五つ子ゲームもマジでいただけない。

悪趣味にすぎる。

せめて、式の前日に、最終打ち合わせのときに、突如として始められた、というくらいにしておけよ、と思う。

いや、あれも、風太郎の夢/妄想の中での出来事なのだから、式場で、五つ子ゲームが介されるということは、それだけ、夢を見ていた時点での、高校生の風太郎が、自分の選択、すなわち四葉を選んだことに、今ひとつ自身を持っていなかったことの現れなのだ、と言わればそれまでなのだけど。

でもねー。

「終わりよければ全てよし」という言葉があって、やっぱり、「締め」の場面は重要なのだよ。

これで終わった、という充実感がまずは必要なのだよ。

それが、徹底的に欠けていたからなぁ。

どうせ夢オチにするなら、ちゃんと、式での誓いのシーンを描けばいいのに。

「花嫁」なんだからさ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五等分の花嫁 第122話 感想2: しかしホントに伏線丸投げの『ネギま!』エンドになるとは…

2020-02-19 17:24:14 | 五等分の花嫁
いや、122話のラストの夢オチで、もう『五等分の花嫁』という物語は、物語であって物語でない、美少女攻略ゲームの展開をマンガで表現する、という方針が明らかにされてしまったので、別に、伏線も何もあったものではないのだけど。

にしても、丸投げだったね。

まぁ、「鐘キス」は、一応、風太郎の夢=妄想とはいえ、触れられはしたけど。

結局、

京都の子、とか、

零奈バレ、とか、

ミサンガ、とか、

御守の中身、とか、

全部、嘘、とか、

この恋が叶わない理由を知っている、とか、

私には秘密があります、とか、

その他もろもろの、思わせぶりなネタは、全部、忘れ去られてしまった。


いやー、この丸投げ感は、全く『ネギま!』の最終回のときと同じで、嗤うしかないw

読者からすれば、放っぽられた!感。

でも、きっと、こうした伏線もどきのネタは、この先の、「2周目の五等分」とか、「3周目の五等分」で、ちょこちょこ小出しにされながら、あぁ、そういうことだったんだー、って、あと付けで明かされていくと思うよ。

それが、春場ねぎの敬愛する『ネギま!』のやり方だから。

で、その中で、

実は無堂が良い父親だった世界とか、

その結果、マルオが五つ子にかかわらない世界とか、

場合によったら、風太郎の母が登場する世界も、

描かれるかもね。

なにせ、夢オチだから。なんでもありだからw

風太郎の夢=妄想が尽きない限り、物語はエンドレスに、ヴァリエーションを少しずつ変えながら、読者に飽きられるまで続けられるはずだから。

そうやって、強引にでも、金のなる木を延命させないと、実際、マガジンも厳しいんだろうね。


いや、ホントは、こんな製作サイドの大人の事情のことなんか、考えずに、純粋に『五等分の花嫁』という「物語」について語りたいのだけど、でも、年が明けて以降の、115話から122話までの展開を見ると、まともに、物語だけに、作品だけにフォーカスして、何か語るのが虚しくなるよね。

うん、虚無。

これは虚無だよ。

『ネギま!』が、ラスボス討伐をすっ飛ばして、みんなハッピー素晴らしー!って終わり方をいきなりしたときに感じたのと全く同じ「虚無」。

そういう意味では、ホント、あの『ネギま!』エンドは、後続のマンガ家にもマンガ読者にも悪い影響を残したんだな、と思った。

だって、ほかでもない『ネギま!』の大ファンだった、『ネギま!』の主人公の名前ネギ・スプリングフィールドをちょっとひねってペンネームにしたマンガ家が、なんのてらいもなく、全く同じような、丸投げエンドを敢行してしまったのだから。

そういう意味では、ラブコメというジャンルも終わった、ということなのかものしれない。

でも、それがまた既成事実になり、今度は、この『五等分の花嫁』の読者の中から、そうか、マンガの終わり方ってこれでいいんだ、って妙に納得してしまった人が、また7-8年経ったところで、似たような、形だけ終わった気にさせる終わり方を繰り返すことになるのだろうな。

はーあ。

なんだかなー、だよ。


しかし、今思うと、あの日の出祭期間中の『最後の祭りが…』シリーズが、時系列が行き来するパズル的な展開を繰り返したのも、後日、2周目や3周目の「ごとよめ」をやるときの「リターンポイント」を設定しやすくするためのものだったんだな。

まじめに、時系列を整理して整合性をつけようとしたのは、まさに作者の思うつぼだったってことだな。

だって、あれで、読者の間にも、多数の分岐点による未来シナリオがあれこれ考えられてしまったのだから。

当然、あの最後で、四葉ではなく、一花が選ばれたバージョンとか、即座に展開可能だからね。

そのためにも、そこら中に穴だらけの、とりあえずデフォルトのシナリオが用意されていればいいだけのことなので。

でもさ、そんな、あれもこれも「やり直す」ことのできる世界って、読者が望んでいるものなのかね?

単に、各キャラの支持者たちが、それぞれ喜ぶだけのことで、それは引いた目で見れば、作者に、というか、もはやこれは五つ子ゲームの「運営」といってもいいと思うのだけど、その「運営」にいいように巻き上げられているだけじゃない。

はーあ。

どうしてこうなった?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五等分の花嫁 第122話 『五等分の花嫁』 感想: やっぱり夢オチで『君の名は。』になりそこねた『ネギま!』エンドだった!

2020-02-19 14:21:08 | 五等分の花嫁
我ながら、ひどいタイトルだなぁ(苦笑)。

でも、ほんとに最終話のタイトルは『五等分の花嫁』だったねw

五等分の花嫁 第121話 感想4: 最終話(第122話)のタイトルはきっと「五等分の花嫁」だね

まぁ、五つ子ゲームをやると言われた時点でわかっていたことだけど。


それにしても、なんともまぁ、締まらない終わり方だったな。

だって、結局、夢オチでしょ?

今回の最後の場面を素直に受け止めれば、高校の卒業式前の時点で見た夢、ということ。

だから、最終2話の5年後の結婚式は、全て風太郎が見た夢、というか、妄想だった。

ホント、とても最終回とは思えないヒドイオチだ。

ということは、今回、明かされた「鐘キスの相手」は四葉だった、という「バレ」も、なんだ、風太郎の見た夢、つまりは願望だった、ということで。

つまり、例の日の出祭中に一花に聞かれた「鐘キスの相手は誰だったら嬉しい?」という問いへの風太郎の答えが映像化されただけにすぎない。

引き続き、真相は闇の中。

結局、真の「鐘キスの相手」はわからずじまい。


でも、この夢オチの物語のたたみ方ではっきりしたのは、この物語は、風太郎という「信用のおけない語り手」によって語られた、一種のメタ物語であったこと。

ということは、これまで巻かれた伏線(らしきもの)は、すべて、今後、どうとでも解釈できるものになった。

で、それが意味していることは、きっと、このあと、四葉エンドではない、一花、二乃、三玖、五月、それぞれのターンが、個別に始まるはずだ、ということ。

とりあえず、フルカラー版?だっけ?、その展開は、きっと、途中で、『シュタゲ・ゼロ』みたいに分岐して、一花ルートなり、二乃ルートなり、三玖ルートなり、五月ルートが始まるはず。

読者にとって問題は、どこで分岐するかわからないから、とりあえず、最初からもう一度付き合っていくしかない。

なんとも、いやらしい終わり方!


裏返すと、今回の「最終話」は、あくまでも四葉ルートのエンドでしかない。

Fateでいえば、最初にクリアしないといけないセイバー・ルートみたいなもので、そのあとに凛ルートと桜ルートが控えている。

で、きっと、まさにFateと同じように、2周目のルートで、たとえば風太郎の将来の夢はなんだったか?とか明らかにされるのかもしれない。


ともあれ、一応、終わったは終わったけど、いやはや、なんとも、終わった感じのしない、なんのカタルシスもない終劇だった。

ふりかえってみれば、115話から122話まで、すべてが、規定演技の消化試合。

そりゃあ、風太郎の心情が掴みづらいはず。

最初から描く気がなかったのだから。

だって、風太郎は、五つ子ゲームを攻略するプレイヤーキャラになってしまったのだから。

過度に彼の内面を描いてしまうと、以後の展開で「なんでもあり」を実践できなくなる。


しかし、まさか、

本当に「夢オチ」で、

五等分の花嫁 第121話 『五分の一の確率』 感想: これって絶対、式場でうたた寝している風太郎が見ている夢だよね?(らいは談w)

とりあえず「運命の相手」と結ばれる『君の名は。』のパクリで、

五等分の花嫁 第121話 感想5: 最終話(122話)次第だけど、『五等分の花嫁』は、きっと『君の名は。』の日常版をやりたくて、でもやりきれなかった。

でも、結局、パラレルワールドでの物語の展開を可能にする『ネギま!』エンド

五等分の花嫁 第120話 『五年前のとある日』 感想: 結局、五つ子ゲームの『ネギま!』エンドなのか!

なってしまうとは。

それだけ、『ネギま!』への愛が深かったことだったんだなぁ。

五等分の花嫁 第120話 感想2: 『五等分の花嫁』は『魔法先生ネギま!』への完全なトリビュート!


それにしても、マルチエンディングを狙うところまで、『ネギま!』を真似しなくていいのに。。。

ちゃんと伏線を回収して、きちんと完結させてほしかったけど・・・。

でも、これが、マガジン編集部が、ソシャゲの時代のマンガのあり方として選択した道だったんだろうなぁ。。。


うーん。

ともあれ、まだ消化できていないところもあるので、とりあえず、ここでいったん、終わりにしておく。

多分、いつもどおり、またあとでちょっとアップすると思うけど。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五等分の花嫁 第121話 感想5: 最終話(122話)次第だけど、『五等分の花嫁』は、きっと『君の名は。』の日常版をやりたくて、でもやりきれなかった。

2020-02-18 12:27:49 | 五等分の花嫁
四葉エンドでこのまま押し切られた場合、物語構造的にどうにも解せないことが多くて、ここのところ、ぼんやり考えていたのだけれど、どうやら『ぼく勉』もうるかエンドに邁進中なところから、こんな感じに思えてきてしまった。

ラブコメって、いつから「セカイ系」化しちゃったのだろうか?

って。

だって、四葉なら5年前の小学生の頃に出会った、その後の風太郎の人生(といってもたかだか高校生ぐらいまでだが)を決めてしまった「運命」の相手だった、

ってことだし、

うるかなら、中学生のころに、父をなくしてどん詰まりだった成幸の心を支えた「運命」の相手だった、

ってことになりそうで。

どちらにしても、以前のように、単なる幼馴染枠=滑り台枠、というお約束を覆してきている。

もっとも、どちらにしても、かつて自分を支えてくれた相手、という設定は、終盤になって明らかにされるわけだけど(特に、うるかの場合は、終幕の直前w)。

要するに、世界には自分の「運命の相手」がどこかにいて、その人と赤い糸で結ばれている、という世界観。

つまり、一昔前の「セカイ」系。

もっとも、一般にメジャー化したのは、新海誠の『君の名は。』からなのかもしれないけれど。

ともあれ、「赤い糸」の伝説ね。

もっとも、純然たる「セカイ」系と言えないのは、特に風太郎も成幸も、世界の危機を救うわけではないから。

せいぜい、赤点を取らない、とか、入試に合格する、というチマチマした、日常、誰もが経験するような「試練(笑)」くらいのもの。

まぁ、だから、セカイ系って、とうとうここまでセカイが矮小化したのか?とも思うわけだけど。

でも、まぁ、そういうこと。

そこで、一応、登場人物たちにとっての「小さな、でも切実なセカイ」の不幸となるのが、どうやら、家庭に問題あり、ということ。

風太郎にしても、五つ子にしても、あるいは、成幸にしても、片親の家庭。

親がそもそもいなかったり、シングルファーザーだったり、シングルマザーだったりする家庭。

そこで、不在の父なり母を埋め合わせるという「小さなセカイの救済プログラム」が発動される。

四葉やうるかといった、幼馴染枠が正ヒロインとして特権化されるのは、この「小さなセカイの救済プログラム」において、主人公に決定的な助力を、まだ自我が曖昧な子どもの頃に行っているから。

まぁ、だから、一種の「無垢な、イノセントな母性」がそこで発揮されてしまうというか。

けれども、その「イノセントな母性」を示された子どものころの主人公が、自分にとっての「不在の母」の場を埋めてくれたものとして、決定的な存在として受け止めてしまう。

本人も気付かない「心の傷」を埋めてくれた相手として、「運命化」されてしまう。

だから、風太郎は、いろいろと他の五つ子との心のやり取りがあったにもかかわらず、そのような、一花、二乃、三玖、五月との、濃密な分厚いエピソードの全てを放り投げて、ステルス・ラブ(忍ぶ恋)に徹していた四葉を決め打ちで選んでしまったのだろうなぁ、と。

なぜなら、「運命の相手」は、もう、最初の出会いで、特権的次元に格上げされた存在になってしまっているから。

でも、その特権性は、あくまでも「京都の子」と会ったというたった一つの事件から生じた絶対性なので、読んでる側からすると、

はぁ、なんで四葉?、いや、四葉が風太郎争奪戦のステージに上がることは予想できたし、歓迎もするけれども、なんで、ステージに上がった途端、即「花嫁」決定なの?、いくらなんでも、それ、途中経過を省きすぎで、イミフなんですけど? ていうか、風太郎の心情、まったくわからないんですけど。。。

というのが率直なところ。

で、結果として、四葉以外の五つ子推しの人たちが不満を述べ、特に「推し」はないけれどこの物語をミステリーとして楽しんできた人たちからは伏線丸投げじゃん!と憤られ(←このブログの立場は基本的にこれ)、結果として、四葉じゃおかしいよ!、という声が強まったことに対して、遂には四葉推しの人たちの中にも、四葉をもっとちゃんと描けよ!、という声も上がってくる始末。

要するに、読者からすると、今の(121話までの)展開は、わけがわからなすぎて、もうこれ、作者が、読者置いてけぼりで、好き勝手なことを書いているだけだろ?という思わずにはいられない。

で、多分、そういう感想は正しいんだと思う。

きっと、作者は、この物語を、ラブコメと考えてはいないから。

家庭に問題を抱えた子どもたちの日常におけるセカイ系と思っているから。

作者なりに『君の名は。』をやりたいだけだから。

要するにそういうことなのだと思う。

で、このような考えに至ったのは、121話で唐突に語られた、風太郎の母の話があったから。

風太郎の母親は、どうやら、自分の店(=飲食店)を始めたものの、開業から日の浅いところで死去してしまったようで。

で、その母の死を風太郎は、多分、小学生にあがったかどうかくらいの頃、らいはがまだ物心つかないくらいの頃に経験したのだと思う。

とすれば、彼なりに心の傷として抱えていたはずで。

竹林が子どもの頃の風太郎を、まさに姉のように気にかけていたのは、母の死の結果、無鉄砲になった様子を知っていたから。

だから、日の出祭に来た竹林は、現在の風太郎を見て、ほんとに大きくなったね、と姉のような感想を持ったのだと思う。

その荒れていた風太郎が、京都から帰ってきて以来、一心不乱に勉強するようになったのだから、竹林からしたら、どんな魔法がかかったのだろう、というぐらいに感じていたのだと思う。

つまり、それだけの変化をもたらした「運命の相手」が四葉だった、ということになる。

問題は、その運命的な重要性が、今までの描写では、他の姉妹とのやり取りに沈んで、大して重要なものには見えない、というところで。

これは、端的に、作者の描写ミスだし、担当編集者の構成ミスだと思う。

ただ、裏返すと、作者も担当編集者もともに、「運命の相手」認定を、読者が四葉に対して勝手に思ってくれるだろうと、暗黙のうちに期待していたことになる。

それだけ、読者も含めて、『君の名は。』モードの、「赤い糸」伝説が自明視されていると信じていたということなのだと思う。

そして、今更ながら、その運命性を強調するために「風太郎の母の死」というエピソードを加えてきたのだろうな、と。


要するに、簡単に言えば、風太郎って、母の不在から生じる、本人も気付かないほどの、重度のマザコンだったわけで、その「母」の場を埋めたのが京都の子=四葉、だったということ。

まぁ、だから、そう考えても、まだ、四葉が京都の子であるかどうかは明らかにされていない、とか、零奈が五月だったこともバレていない、とか、いろいろと伏線の回収方法事態では、四葉以外に相手が花嫁になる、という土壇場のどんでん返しもないことはないと思うけれど。

でも、そうした「バレネタ」についても、すでに高校卒業から作中時間を5年間飛ばすという「キンクリ」によって、その間に実は、四葉が風太郎に話していました、と言われてしまえばそれまでのことなので。

なので、純粋に、なぜ、四葉だったのか?といえば、それは、風太郎が、『君の名は。』ばりに、四葉を運命の子だと感じていたから、ということで、一応の説明はついてしまう。

にしても、いろいろと細部で矛盾が生じるところはあるわけど。

でも、そうしたものを全部、ふっとばして、作者は、『君の名は。』の日常生活版としてのセカイ系をやりたかった、ということで。

もっともほんとうにそうだとしたら、お世辞にもその試みは成功したとは言い難いけど。

だって、四葉を運命の相手にするにしても、その説明や描写がなさすぎるから。

加えて、これは作者にとっても誤算だったかもしれないけれど、四葉以外の姉妹の描写が、あまりにもうまく行き過ぎて、どの娘も、つまり、一花も、二乃も、三玖も、五月も、気がつけば、四葉以上に魅力的な存在になってしまっていたから。

彼女たちを覆すだけの魅力を四葉が描かれているわけではないし。

あ、今気がついたけど、『君の名は。』のヒロインは「三葉」だったね。

となると、もう、四葉という名前は、この「三葉」にあやかったもので決定だなw

ともあれ、ただ「赤い糸」、すなわち「結びの伝説」で「運命」を説明するには、四葉の魅力はわかりにくかった、ということで。

率直に言って、四葉エンドという結論だけから見れば、四葉はただのあざとい女子、普通に言えば「泥棒猫」と言われるに等しい存在だから。

その点で二乃が、「いいわね、あなたは。待ってれば向こうの方からよってきてくれるのだから」というのは、けだし名言。

全くそうだと思うし、いまでも、その印象は消えない。

そのあたりは、作者や編集者も気にかけて、115話以降、あれこれ、四葉に弁明の機会を与えたのかもしれないけれど、でも、それでかえって、彼女のあざとさのほうが目立ってっしまった。


とはいえ、この物語が、運命の相手を赤い糸で手繰り寄せるセカイ系の変種だとすれば、風太郎が、あの、バカ丸出しのプロポーズをしたのも理解できる。

なぜなら、運命の相手とは、結ばれる以外の選択肢はないから。

だって、それは、運命だから、自明だから。


・・・とまぁ、こういうこと。

惜しむらくは、作者にこうしたセカイ系的構成を入念に組み上げるだけの力量がなかったこと。

ということで、四葉エンドのままなら、荒れることは必至。


さてさて、最終話、どうなることやら。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする