旅行していて宗教に接するといつも落語の「コンニャク問答」(注1)と狂言の「宗論」(注2)を思い出します。私はこの二つは日本人の一般的な宗教観を表現していると思っています。この芸能は日本が世界に誇る文化遺産で日本国憲法9条とともに世界文化遺産に登録すべきだと日ごろから思っています。しかしそうはいってもこの3つが世界の常識になることなかなか難しいでしょう。というわけで「コンニャク問答」「宗論」の世界から宗教を考えるのはどだい無理ですが、イランでは宗教が生活の一部または全部を支配していることを考えイランでの宗教を少しばかり紹介します。間違いがあったり不敬なことがあればどうか寛容の精神でお許しください。
まず宗教生活の第一歩はお祈りでしょう。写真はメッカの方向に向かい(後記)お祈りをしている5月21日に紹介した運転手フセインさん親子の息子さんです。おやじさんは紹介したように休憩時は水タバコですが、息子さんはこのようにお祈りをよくしていました。親父さんのお祈りは20日間見たことはありませんでした。スンニ派は一日5回の礼拝ですが、シーア派は3回です。(スンニ派とシーア派については後記の予定)
(注1)「コンニャク問答」 旅僧のしかけた禅問答を住職に化けたコンニャク屋の主人が受け、互いに誤解して滑稽なやり取りをする話。
(注2)「宗論」 身延山へ参詣した法華僧と善光寺へ参詣した浄土僧が道ずれになりお互いにわが仏が尊いとして争う。浄土僧は「南無阿弥陀仏」を唱え、法華僧は「南無妙法連華経」を唱えるうちにその文言が互いに逆になり分けが分からなくなる話。