母は、はさみを鮮やかに使っていました。
特に切れないはさみで布にささくれを作らないでまっすくに切るのが、ほんとにすばらしかった。
はさみを大切にし、布用と髪用と紙用と厳しく使い分けていました。
錆の出た、歯と歯が大きく食い違った握りバサミでも、ちゃんときれいに切ってみせてくれました。
「馬鹿と、はさみは使いよう」と、そばで姉が言っていたような、いなかったような。。。
いま、重いアイロンと、足元の不確かなアイロン台で、大きなシーツにアイロンをかけながら、「馬鹿とはさみ・・・」が、あたまのなかを回っています。
力を入れると唐黷サうになるアイロン台と大きなシーツと格闘していると、はさみを初めとしてどんな使いにくい道具も、涼しい顔で使いこなしてしまう母のことが思い浮かびます。
着物を縫う母にとって、はさみの切れ味はとても大事だったので、布用のはさみで紙を切ろうとしたものなら、怒りはしないまでも厳しい言葉が飛んできたのでした。
ぶきっちょな私のことを、愛情を込めて(今だったらそう思える)「すこどんな」と言いながら、使っているはさみを取り上げ、代わりに切ってくれたのでした。
母の時代と違って、物のあふれる使い捨ての時代に主婦を始めた私は、自分のぶきっちょを棚に上げて、次々と使いやすそうな道具を買いもとめ、使い捨てていったのでした。
母に、ほらこんなに使いやすいよ!と得意げに手渡し、「ほんまに、楽じゃなぁ」と母もいったんは使い始めるのですが、気がついたら、また、元の道具を使っている母を発見するのでした。
今、手元にある裁縫箱には、一番使い辛かった思い出の有る握りバサミが、ちょんと納まっています。
そして、糸を切るたびに、はさみを握ると「馬鹿とはさみ。。。」が唄のように頭の中で、回り始めるのです。
介護のホームページで知り合ったホームネームmamaチャンの、お母様がなくなられました。
長い介護の末でした。
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「明日があるさ♪」http://cyobikun.at.infoseek.co.jp/
心よりご冥福をおいのりもうしあげます