風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ぎっくり腰は痛いけど、

2008年01月07日 | 風のこたろう裏日記
ぎっくり腰は痛いけれど、いつかは痛みは薄れるのね。
昨夕、仕事をお休みしますとの連絡を入れてから、気持ちがずっと楽になった。

そして、年賀状を出してないために姉から心配して電話がかかりました。
遠くに居る年の離れた姉たちのことは、全く当てにしていない、もう居ないも同然となぜか思ってしまっていたから、心配して電話をくれたことで、そして、法事のことも気にかけていてくれたことを知り、解き放たれるものがあった。

もしかして、一番根深くて、痛みの根源はこちらの方の家族だったのだろうか。
治るべき時期にきたから治ってきたととるべきだとは思うのだけれど。

朝起きたとき、長い時間眠ったと思った。
寝返りが、ちっとも痛くなくて目が覚めなかったのです。ばんざい!
起き上がりも、ベッドからだと1回の痛みを感じるだけで終わった。
1回の痛みで済んだのも、回復してきたからだろうとは思うが。。。ベッドにして良かったのだろう。

目覚めて、2時間ほどは、体もこわばっているので、いつも強烈な痛みに襲われるのだけれど、今日は、座っている限りにおいては、体をひねっても、前にかがんでも、痛みや痛の予感すらなかった。
やがて、歩く程度の体重移動には、何の不自由も感じなくなった。

包丁を持って切るだけでも背骨のある1点に痛みが走って以来、台所も鬼門だったのだが、今日は、進んで足が台所に向いていく。

どんどん、気分も晴れ、痛みが無くなってくると、無いものに気がつくのでした。
隣のスーパーまで、みかんと半そでの肌着を買いに出かけることに。
傘を差して、冷えないように丸々と着こんで、意気揚々と。
階段を下りるとき、忘れていた痛みが帰ってきた。でも、あまり、がっかりはしなかった。
上りは、ん?、大丈夫だった。

これなら、エスカレーターを使えば、あさっての仕事にもいける。と、先のことを考えられるようにもなった。
朝、起きてみないことには、痛みの襲い方が違うので、明日のことやまして、あさってのことなど、考えることすらできなかったのだけれど、「行ける」と、迷いも無く思えるのが、奇跡のように感じる。

そして、うれしいことに、喜怒哀楽が少し戻ってきたような気がする。
そして、私は、誰かの手助けができるかも知れないと思い始めた。
これまでのは、産みの苦しみで、何かが産まれそうなのだろうか。
それなら、うれしいのだが
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ぎっくり腰は痛い その6

2008年01月07日 | 風のこたろう裏日記
筋肉痛であることを、半信半疑でいたわけで、それがなぜか確信されたとき、頭と体が、懸命にそれを直そうと動き始めるものらしい。

ホメオパシーのレメディも選択するものが変わってきて、筋肉痛のときのお垂ナ造るドリンクも思い出したりして、いっせいに意識集中と言う感じ。

その気になると、普段ならすっぱいと思うドリンクも、ぐいぐいと飲めるものだ。
体が、酸性に傾いていてもどうしても甘いものが欲しくてたまらない食行動もこのドリンクが体に染み渡るように、入っていく。

朝、横臥の姿勢から立ち上がるときの苦痛といったら、もうこのまま寝たきりでも良いと一瞬思うくらいのもの。

元旦前後のあの痛みの薄れ加減は、不思議でならない。
それでも、一日の痛みの量を比べると確実に少なくなっていっている。

なのに、痛みの記憶と言うものは、深く刻み込まれるもののようで、痛みが来ると分からなかった時期は、計測するならはるかに大きい数値だったはずなのだけれど耐えられても、楽になってからのほうが体が痛みを覚えてしまったら、痛かったときの記憶とともに体に蘇るものだから、苦痛が大きくなってくるものらしい。

体力も気力もうせてなお痛みに襲われるとしたら、これほど辛いことは無い。
もし、死に行くたびが始まったとしたら、痛みを極力抑えてもらって、ゆがんだ顔を人に見せないで済む様にしてもらいたいものだ。

立ち上がる苦痛を軽減するために、寝むのをベッドに変更しました。
寝具合が代わることで、翌朝の痛み具合が変わる(増す)浮ウから、寝床を帰られなかったのだけれど、マットレスを取り払い、木製のすのこのベッドなので、畳に近いことから、薄い敷布団を2枚重ねて、眠ることにしました。

その前に、モンゴル岩塩のお風呂に入ります。
低温のお湯でもあっという間に肌が赤くなるほど、よく効く岩塩のお湯は夫も驚くほどの保温効果がある。
そして、マグネシウムの少ないお陰で肌がべたべたしない。

腰と左の肩甲骨に蒸気温熱パワーのオンシップを張り、明日の朝、痛くありませんようにと祈りつつ就寝。<
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