風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

湊川神社

2011年07月05日 | 詩吟
所用にて神戸に行きました。それにあわせて、旧交を温めることも出来ました。

おかげで二人の友人に会えて、取り止めの無い会話でしたが、それが、なんともうれしくて、懐かしくて、優しい気持ちになれたのでした。


有馬温泉に宿を取ったので、そちらに向かう電車の路線には、湊川神社があるのを発見して、急遽下車。
親切な駅員さんが、湊川公園と湊川神社は一駅ほど違うと教えてくれた上に、出来ないはずの切符の差額を払い戻ししてくれました。
夕刻であったため、やむなくタクシーで、湊川公園から湊川神社に向かいついたのが社務所の人が片づけを始めた頃でした。

おみくじを買い、楠公さんの墓参りをし、ろうそくをともして、ほぼ片付け終わった窓口で、楠公さんの話をしていたら、詩吟をしたらどうですかと言っていただいたので、思わず「はい」と答えて、墓の前に戻りました。

何の準備も無くいきなり始めたので、声は震えて、思うような吟は出来ませんでした。

私が手にしていた、縮刷本を見てあの方は、詩吟をなさいませといってくださったのだなぁ、あの方も吟をなさるのかもしれません。
おみくじを買うときは、威厳のある気難しい顔をしていたのですが、詩吟をなさいと言う頃には、優しい顔になっていましたから。



  〈意解〉
豹は死して皮を留め、人は死して名を留めるという諺があるが、人が名声を後世に残すのは決して偶然ではなく、必ずそうなるべき原因がある。南朝の忠臣大楠公が戦死を遂げた湊川の遺跡に来てみれば、川の流れが天に連なって今も昔も変わりがない。
 人の一生には限りがあるが、立派な人物の名声は、永遠に尽きることがない。大楠公のように純粋な忠義の精神は、いついつまでも伝わって、忘れ去られることがないのである。
                     関西吟詩文化協会HPより




良い経験をさせていただきました。
ありがとうございました。


ふるさとの友人と、もう一人は、お互いが介護で駆け抜けていた頃の友達です。

ベンチで座っている姿を見つけて、互いに気がついて目を合わせると、そのまま、普通の会話が始まり、久しぶりの邂逅とは思えないなじみ方でした。

一番つらい介護の時期に知り合った友人で、ある部分は深いところまで知り合っているから、久しぶりの挨拶などもろもろはすっとばして、伝えたいことをいきなり話し合うのでした。

今は、二人とも介護を卒業して、それぞれバァバの道をまっしぐら。
私は、近くに居ないので、毎日は会えないけれど、彼女は同居こそしていないけれど、毎日のように世話をやいている。

その忙しいさなかに、1時間もかけて会いに来てくれた。
ありがたいこと。
うれしいこと。
やっぱり彼女だわ。
また、会おうね。


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