週末の足利合宿は、江戸川詩吟道場という一教室主宰で、少人数参加の良い企画でした。
照準を初心者に向けて、行いましたが、実は、上級者にとっても、基本に立ち戻って詩吟の基礎に思いをいたし、自らの吟詠を振り返る作業ができたことは、地味ですが、とても大事なことだと思います。
螺旋の理論です。
それぞれの持つ個性が、癖ではなく、よき個性として発揮されるには、やはり、基礎固めをきっちりしてこその個性だと思います。
相田みつをの書は有名ですが、彼の修業時代の「般若心経」は、緻密に正確にまるで印刷のようにぶれない文字を書いていらっしゃいました。
あの、絶対的な基礎があるから、あの文字ができて、人に感動を与え、飽きさせないのだという事実を知ったとき、大きなカルチャーショックでしたが、あの事実が、さらにさらに基礎をしっかり、更にしっかりという気持ちを駆り立てています。
そして、上級テクニックを真似して早く先輩を追いつき追い越したいとの願いで精進を続けるのは、とても良いことです。
基本が固まっていないうちに下手な真似をすると、小賢しい吟詠になってしまいます。
しかし、もう大丈夫と判断する力は、当の本人には、まだ備わっていないのだから、そんな時、
初心者のあなたにとって、まだ、背丈の足りないテクニックなのよ、まだ、無理をしないようにとの判断を押し付けるのは、余計なお世話なのだろうねぇ。
今年は吟道大学で大山のレクチャーを受けてから、大山について、話をする機会を頂きました。
基本の大山と揺りの入った大山とを、私なりの考えで、わかりやすくお伝えしたつもりなのですが、揺りは、あくまでも基本の大山をマスターして、定まった音が出るようになってからと、お話したことを、すっかり忘れて、揺りの大山に果敢に挑戦された方がいました。
それで、却って、大山がかすんでしまって、力のないものになっていることに、ご自分では気づいていないようでした。
こんな時、私の教室で物事が起これば、どんなに時間がかかっても、訂正あるいは理解を深める努力をすることができるのですが、教室を出て限られた時間内では、そこまですることができません。
良い話を聞いてきたら、すみやかに、より正しく伝えたい。そして、より正しく表現してほしい。
参考になる良い話は、なるべくたくさんの人に知ってほしいけれど、間違って伝わったら、聞かない方が良かったことになります。
近く、ちょっとだけ時間を頂けることになりそうですが、今、一刻も早くお伝えしたいという気持ちが、そがれているのは、そのことに起因しています。
先輩として、知識を伝える、技を伝えるのは、これほどに難しいことかと、いまさらに思う。
夢組のメンバーは、息遣いのわかる距離で、接して来ているので、誤解を早いうちに解消できています。
人数が多くなりおたがいの距離も感覚も遠くなると、私には、力が足りないのです。
大山について、とても大事な内容を学んできましたが、大事だからこそ間違って伝わってほしくないと、切に願います。
そして、間違って伝わってしまったとわかったとき、勇気をもって、訂正したいのですが、そのチャンスを頂けるかどうかが、頂いたとして、私に訂正して伸ばしてあげる、その力があるかどうかが問題だなぁ。
なんだか、最近上から目線だこと。
きっと、吟道大学で習ったことが、本当にはこなれてないのだろうねぇ。
伝えなくては、広めなくては、一刻も早くと焦ってはいけないよね。
一人で焦れて、焦って、しょうがないことに、もがいている。
こんな時は、どんな言葉を思いだせばよいのだろう。
夢組のメンバーに思いを実現するだけで、それ以上を望んではいけないのよねぇ。
所詮は、他教室の人と言ってしまってはおしまいだなぁ。
他教室の人でも、ご自分から働きかけて来てくださる人たちはだいじにしなくてはと、考えたらとても楽になる。
後姿を追いかけ追いすがる必要が、どこにあるだろうか。
柄にもなく講座に参加した人を全部何とかしようと思うから、焦るのだよ。
夢組プラスアルファで、十分だと、今までは思っていたよね。
吟道大学で大興奮したばかりに、道を踏み外しそうになっていたみたい。危ないなぁ。
地道に、しっかり足元を見つめて。
気になるからと、こちらからちょっかいは出さないのだよ。
冷心 冷眼 冷耳 冷情