風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

はじめの一歩

2015年09月17日 | 詩吟
論語講座の一環から、「初めの一歩」として詩吟の練習が始まって、一年半が経とうとしています。

月にたった一度のたった一時間の練習でも、みなさんがゼロスタートであり、上級者の方の応援もあるおかげで、何とか形になってきています。

全くのゼロスタートで始まったので、ないものは数えることもなく、ゼロから積み重なったものだけを、数えていけるのは、誰にとっても、幸せなことです。

そして、バックアップしてくださる上級者の方は、ご自分の練習はできないのを承知で、来てくださり、さりげなくいてくださるのが、本当にありがたい。

尺八の先生も、その技を発揮するのは、せいぜい二から三吟ほどの伴奏で終わってしまいますが、これはあくまでも、須藤先生の講座の一環であること、私たちは論語の同級生であることで、成り立っています。

こんな幸運に恵まれていることは、はじめの一歩メンバーは、これが普通のお稽古風景とおもっていて、格別のこととはご存じないのです。
プラスを数え始めたら、自ずとマイナス面が、目に入らざるを得なくなるから。

これが当たり前として、更にのんびりと、あくまでも楽しく練習を続けることにいたしましょう。


今日は、春暁の三回目、32番のおさらいをして、順調に練習が進みました。
いつも熱心に、一番前の席を陣取るお二人の仲良しさんの声が、前に立っている私の耳に良く届くようになりました。

それで、32番のおさらいを私と声を一緒に出してみませんかとお声かけをしましたら、すんなりと発声してくださいました。
次に、お隣の方と一緒に、一節だけ、更に二行と伸ばし伸ばして、三人の合吟が続きました。

これだけできるならと、お二人で合吟してみませんかとお誘いしたら、なんと、すんなり受けてくださいました。

予想に反して、二人の合吟がスムーズに始まり、ドキドキしながら、いつ、途中で止まってしまうだろうかと見守っていました。

すごい!最後まで、滞ること無く吟じ終えました。

大事に大事におくるみで抱っこしていた子供が、するりと膝を降りて、とっとと歩き出したような感覚。

うれしくて、ウルウルしてしまいました。

たった1時間の練習で、10回ほどの参加だったお二人が、はじめは、とてもおずおずとしていて、ちょっと離れると、声など、つゆほども聞こえてこなかったお二人です。

最初は、聞こえない声を拾うために同じ最前列の真ん中の机に座っていたのですが、同じ高さにいても、届かなかったのに。
いまは、教壇に立っているのに。

教師冥利に尽きる、感動の時でした。

それの一部始終をみまもっていた先輩がたも、帰り道の話題で、「鳥肌ものだった」とおっしゃいました。

あぁ、なんて嬉しいことだろう。

あまりに私が喜ぶので、当のお二人は、かえって、きょとんとしていたようです。
そして、須藤先生は、いつもの後ろの席で、にこにこと見守っていてくださいました。

手探りのはじめの一歩に、手ごたえを始めて感じました。

鳥が何度も何度も羽ばたいて、何度も何度も繰り返して、ある瞬間飛び立っていく、その様子が『習』と言う字だそうです。

最高の羽の動きができた瞬間は、あれこれ考えること無く、無心で飛び立ったはず。

小賢しく考えているうちは、飛び立てないのです。

おめでとう!お二人さん。
そして、おめでとう!私。応援者さんたち。

コメント

足利を終えて

2015年09月17日 | 詩吟
足利薪能の宿泊の計画が進行している時、タイミングよくショートステイが取れて、介護中にも拘わらず泊りがけで、論語と薪能と詩吟の会に参加なさった方がいました。

いつも、静かに、あまり感情を表されない方だったので、須藤先生の授業の流れで参加してくださっているのかと思っていました。

一日目二日目とスケジュールが消化されていくにつれて、お顔が明るくにこやかになっていく変化は見ていて、嬉しいものでした。

そして、朝食後、先に帰る方たちと帰路につくのかと思っていましたら、詩吟の講座にも参加されて、早雲美術館観光も含めて全スケジュ<汲アなされました。

そして、帰りの電車は、空いていてゆっくり座れるので、隣り合わせた方たちと、少しずつなごんで会話が進んでいく様子が見えました。

さらに北千住に着いて、遅めのランチまで、参加して、本当に楽しそうに帰っていかれました。

須藤先生のご縁で、こうして詩吟にも参加され、気の良い詩吟仲間ともご縁が深まって、本当に良かった。


忘れていたのだけれど、私が師範をとって教室を持ちたいと思ったのは、介護中の人対象に、大きな声を出して発散する場所を提供したいと思ったことからです。
それは、母の介護の長~いトンネルの中で、ほんのちょっとだけ、忘れる時間が欲しいと思い続けていた経験からです。

幸い、私は、40代で介護が始まったので、体だけは元気で、詩吟のおかげか腰が安定していたのでしょう、腰痛になることもありませんでした。

保健所のママ向けの講座を受講する時の赤ちゃんや幼児の臨時保育のお手伝いをすることで、エネルギーの循環をしていました。
気持ちは疲れていても、体だけは元気でいたので、だいたい、保育をしていても、泣き叫ぶ子やおんぶをしなければならないような子供が、いつの間にか私のそばに来ていました。
たまには、おとなしくおもちゃで遊ぶ子の見守りをして静かに過ごしたいなぁと、思ったこともありましたが、若くて元気なんだから仕方ないなぁと思いつつ、楽しんでいました。

赤ちゃんや幼児からいっぱいエネルギーをもらって、母の介護へのエネルギーに充填していました。

介護も終わり、二人の娘も手元から飛び立ち、夫とこたろうとの暇でしょうがない生活が始まったとき、パートの仕事と休眠中だった詩吟とがぼちぼちと始まりました。

師範の資格を得て、10周年の大行事を終えて、さて、教室を開いてみたら、若い(詩吟では)元気な人たちが集まっていて、当初の予定は、叶えられませんでしたが…


こうして、たまたま、私の予想していたような方が詩吟で出会ってみて、疲れている人の元気の素になるなどという上から目線の教室は、たとえ、始められたとしても、早々ととん挫していただろうと、気づくのです。

夢組の二つの教室を運営してみて、育てられたから、偶々出会った方が、当初考えていたような環境の方で、偶々足利論語と薪能という行事があって、初めてその方の手助けになったのです。当初の甘い考えで始めた詩吟教室では、とても、歯が立たない難問であったのです。


いつも「須藤先生の論語のお話で、頭がほぐされて、論語の素読で体もほぐされて、その上での詩吟だから、最高の環境なのですよ。」と言葉だけで相手向けに言っていたました。
その本当のところは、初めて詩吟をする人に向けていっていた言葉は、実は、私にとって都合のよい好条件で練習が始められることであったと、今頃実感が伴ってきました。

「あなたのため」という言葉には、おおいなる誤解があることなのねぇ。


足利合宿ありがとうございました。




コメント