論語講座の一環から、「初めの一歩」として詩吟の練習が始まって、一年半が経とうとしています。
月にたった一度のたった一時間の練習でも、みなさんがゼロスタートであり、上級者の方の応援もあるおかげで、何とか形になってきています。
全くのゼロスタートで始まったので、ないものは数えることもなく、ゼロから積み重なったものだけを、数えていけるのは、誰にとっても、幸せなことです。
そして、バックアップしてくださる上級者の方は、ご自分の練習はできないのを承知で、来てくださり、さりげなくいてくださるのが、本当にありがたい。
尺八の先生も、その技を発揮するのは、せいぜい二から三吟ほどの伴奏で終わってしまいますが、これはあくまでも、須藤先生の講座の一環であること、私たちは論語の同級生であることで、成り立っています。
こんな幸運に恵まれていることは、はじめの一歩メンバーは、これが普通のお稽古風景とおもっていて、格別のこととはご存じないのです。
プラスを数え始めたら、自ずとマイナス面が、目に入らざるを得なくなるから。
これが当たり前として、更にのんびりと、あくまでも楽しく練習を続けることにいたしましょう。
今日は、春暁の三回目、32番のおさらいをして、順調に練習が進みました。
いつも熱心に、一番前の席を陣取るお二人の仲良しさんの声が、前に立っている私の耳に良く届くようになりました。
それで、32番のおさらいを私と声を一緒に出してみませんかとお声かけをしましたら、すんなりと発声してくださいました。
次に、お隣の方と一緒に、一節だけ、更に二行と伸ばし伸ばして、三人の合吟が続きました。
これだけできるならと、お二人で合吟してみませんかとお誘いしたら、なんと、すんなり受けてくださいました。
予想に反して、二人の合吟がスムーズに始まり、ドキドキしながら、いつ、途中で止まってしまうだろうかと見守っていました。
すごい!最後まで、滞ること無く吟じ終えました。
大事に大事におくるみで抱っこしていた子供が、するりと膝を降りて、とっとと歩き出したような感覚。
うれしくて、ウルウルしてしまいました。
たった1時間の練習で、10回ほどの参加だったお二人が、はじめは、とてもおずおずとしていて、ちょっと離れると、声など、つゆほども聞こえてこなかったお二人です。
最初は、聞こえない声を拾うために同じ最前列の真ん中の机に座っていたのですが、同じ高さにいても、届かなかったのに。
いまは、教壇に立っているのに。
教師冥利に尽きる、感動の時でした。
それの一部始終をみまもっていた先輩がたも、帰り道の話題で、「鳥肌ものだった」とおっしゃいました。
あぁ、なんて嬉しいことだろう。
あまりに私が喜ぶので、当のお二人は、かえって、きょとんとしていたようです。
そして、須藤先生は、いつもの後ろの席で、にこにこと見守っていてくださいました。
手探りのはじめの一歩に、手ごたえを始めて感じました。
鳥が何度も何度も羽ばたいて、何度も何度も繰り返して、ある瞬間飛び立っていく、その様子が『習』と言う字だそうです。
最高の羽の動きができた瞬間は、あれこれ考えること無く、無心で飛び立ったはず。
小賢しく考えているうちは、飛び立てないのです。
おめでとう!お二人さん。
そして、おめでとう!私。応援者さんたち。
月にたった一度のたった一時間の練習でも、みなさんがゼロスタートであり、上級者の方の応援もあるおかげで、何とか形になってきています。
全くのゼロスタートで始まったので、ないものは数えることもなく、ゼロから積み重なったものだけを、数えていけるのは、誰にとっても、幸せなことです。
そして、バックアップしてくださる上級者の方は、ご自分の練習はできないのを承知で、来てくださり、さりげなくいてくださるのが、本当にありがたい。
尺八の先生も、その技を発揮するのは、せいぜい二から三吟ほどの伴奏で終わってしまいますが、これはあくまでも、須藤先生の講座の一環であること、私たちは論語の同級生であることで、成り立っています。
こんな幸運に恵まれていることは、はじめの一歩メンバーは、これが普通のお稽古風景とおもっていて、格別のこととはご存じないのです。
プラスを数え始めたら、自ずとマイナス面が、目に入らざるを得なくなるから。
これが当たり前として、更にのんびりと、あくまでも楽しく練習を続けることにいたしましょう。
今日は、春暁の三回目、32番のおさらいをして、順調に練習が進みました。
いつも熱心に、一番前の席を陣取るお二人の仲良しさんの声が、前に立っている私の耳に良く届くようになりました。
それで、32番のおさらいを私と声を一緒に出してみませんかとお声かけをしましたら、すんなりと発声してくださいました。
次に、お隣の方と一緒に、一節だけ、更に二行と伸ばし伸ばして、三人の合吟が続きました。
これだけできるならと、お二人で合吟してみませんかとお誘いしたら、なんと、すんなり受けてくださいました。
予想に反して、二人の合吟がスムーズに始まり、ドキドキしながら、いつ、途中で止まってしまうだろうかと見守っていました。
すごい!最後まで、滞ること無く吟じ終えました。
大事に大事におくるみで抱っこしていた子供が、するりと膝を降りて、とっとと歩き出したような感覚。
うれしくて、ウルウルしてしまいました。
たった1時間の練習で、10回ほどの参加だったお二人が、はじめは、とてもおずおずとしていて、ちょっと離れると、声など、つゆほども聞こえてこなかったお二人です。
最初は、聞こえない声を拾うために同じ最前列の真ん中の机に座っていたのですが、同じ高さにいても、届かなかったのに。
いまは、教壇に立っているのに。
教師冥利に尽きる、感動の時でした。
それの一部始終をみまもっていた先輩がたも、帰り道の話題で、「鳥肌ものだった」とおっしゃいました。
あぁ、なんて嬉しいことだろう。
あまりに私が喜ぶので、当のお二人は、かえって、きょとんとしていたようです。
そして、須藤先生は、いつもの後ろの席で、にこにこと見守っていてくださいました。
手探りのはじめの一歩に、手ごたえを始めて感じました。
鳥が何度も何度も羽ばたいて、何度も何度も繰り返して、ある瞬間飛び立っていく、その様子が『習』と言う字だそうです。
最高の羽の動きができた瞬間は、あれこれ考えること無く、無心で飛び立ったはず。
小賢しく考えているうちは、飛び立てないのです。
おめでとう!お二人さん。
そして、おめでとう!私。応援者さんたち。