風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

こたろう受難

2016年02月22日 | こたろう
19日より、二匹の客人滞在中。
餡と福 2歳の若者は、傍若無人である。

いつもの、こたろうの冬のお気に入りの場所、ウッドカーペットを、占拠。
走り回り、物を落とし、いないと焦って探したら、とんでもないところに潜り込んでいる。
これは、二匹つるんでいるためなのかとあきれる所業。

こたろうは、小さいときから、おとなしかったよねぇ。
まず、物を落とさないから、大きな音を立てることもなかったしねぇ。

そんなわけで、仲良くなれそうもないので、リビングを挟んで、あっちとこっちの部屋にすみわけをした。

三度目で慣れてくれるかなぁとの甘い期待は打ち砕かれ、ばわーアップした餡と福は、こたろうをノイローゼに追いこみそうだ。

まず、昨日から食欲をなくし、静かすぎるくらいに気配を消して、日がな一日眠っている。
触ると、痛みでもあるのかと心配するくらい神経質に拒否をする。


可愛そうにねぇ、うつろだよこたろうさん

なるべく、二組を目合わさないように、気を付けて、とりあえず、痛いのかと思う反応を示すのを、心配の余りクリニックに行って調べてもらった。

幸い何も異状ないとの診断に、「うるさ~い」を体で表現したのだと、判断する。


おかげで、今日は、家にぎりぎりまで居て、講義が終わったら、風の如くに帰宅。
クリニックの開始時間前に、診察券をもって駆けつけたという次第。
今は、穏やかにしています。目に力が戻りました。
「かあさんが、僕のためにあたふたしてくれたからね」と、言ってるのでしょうか。






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新越谷論語の会

2016年02月22日 | 論語と
須藤先生が主宰されている論語あるいは素読あるいは菜根譚などの教室は、数多くありますが、その内の月に3回、三か所で開催されている教室に参加させていただいています。
その三回の学びの中に、漢詩を取り入れ、その漢詩の吟詠鑑賞が習いとなってきました。

今日は、荀子の性悪説のお話でした。
孟子の性善説と対で語られることが多く、相対しながら学問が進んできたのかと思っていたら、孟子と荀子は、重なることがなかった。

そして、性善説があったから、性悪説を唱えたのかと思ったら、そうではなかった。

理想主義の孟子に対して、荀子は現実主義だった。


だから、性悪説が生まれたのだとわかる。

善と悪という感じが並ぶと、正しいのと正しくないの、正と負と感覚ではとらえてしまうが、須藤先生のお話を聞いていると、その、対立した考え方、白か黒かと分けてしまうことのほうが、難しく、無理があるとわかってくる。


学び始めると、面白いことがどんどん出てくる。
簡単に、物事を決められなくなる。
今までの、価値観が、薄っぺらいもので、もっと、学び考えたら、厚みが出て、陰影がついてくるなぁと、楽しみになる。


さて、今日は、新越谷の方たちにも、菜根譚とはじめの一歩の、告知がなされました。
今日と同じ会場に、第三木曜日の須藤先生の講座が引っ越してくるからです。

さて、何人の方が、参加してくださり、詩吟にも残ってくださるやら。

須藤先生の講義は好きだけど、詩吟まではねぇとか、教えを乞うには私では物足りないねぇという方もいらっしゃることでしょう。

また、今まで参加できていても、場所が変わって、遠くなる方は、来たくてもいらっしゃれなくなるかもしれません。

すべて良しの方向は、無理だから、与えられた環境で、あるがままに進むしかないねぇ。


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