風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

肉じゃがのおいしいのを食べたい

2004年08月22日 | チンゲル亭過去日記

最近、UBでも牛肉の薄切りが手に入るようになりました。
モンゴルじゃが芋と煮たら、なかなかのものができるようになりました。
ここに、日本酒があったらなぁと思っていました。

日本の酒を売っているよと聞いて行ってみると、焼酎だったりして、中国の料理酒をやむなく使っているのです。

日本から、はるばる運んでいただかないと日本酒はモンゴルではまだ手に入りません。
最初に頂いたお酒は、家で集まりがあったときに持ってきていただいたお酒で、その夜のうちになくなりました。

そして、二度目に頂いたのが、つい2~3日前。
「日本盛特選」袋から出して、「肉じゃが」と叫びました。
夫は、「え、肉じゃがをもらったの?」と驚いたものでした。

夫の、「もらった人に煮物に使ったといわないでくれ」との願いに、使いかねているときに、日本での知人のお祝い事がありました。

それで、「特選」の口開けは、そのお祝いにすることになり、夫もほっとしたことでした。
日本酒党ではなくても、ひんしゅくものでしたね。

先日の、娘へのメールに「和食ではなくて、日本食をたべたい!」と送りました。
会席でもなく精進でもなく、お惣菜料理と言ったらよいのでしょうか。
日本で、日本の食材で、日本人のプロではない人が作ったおかず!

たとえ、高級日本酒と日本から運んだしょうゆを使っても、運良く超おいしく出来上がったとしても、ここで食べるのでは、味が違うのですよね。

と言うことは、やはり、「特選」は煮物に使ってはいけないのよね。
肉の味も違うのよねぇ。
モンゴルジャガ芋はおいしいのだけれど。。。
知人のご主人様にも、なんたることを!と言われないでおこうかなぁ。

帰る日のカウントダウンが始まった今、とうとう禁断の扉を開けてしまったみたいです。

すべて、「UBで手にはいるもので生活をする」と決心してスタートしたUB生活でしたが。
3ヶ月目に、みそ、しょうゆ、出しの素、化粧品をおくってもらい。
叔父が来るときには、梅干、とうふの素、おせんべい、お茶を持ってきてもらうようお願いました。

おいしかった。

「○○○○○」の言葉は、今しばらく封印しておきましょう。

まだ、もっと、モンゴルを楽しむぞ!

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ジーンズ事情

2004年08月21日 | チンゲル亭過去日記

自分から、「Gパンを買わないと」と言い出した!
一番やせていたときに、こちらで買ったGパンが、娘といったウンドゥルシレットで乗馬をしたときに、少々きつくなっていたらしい。
Gパン愛好家にはちょうど良いくらいのフィット感なのだけれどね。

目当てのジーンズショップの隣に、同じジーンズの店が出ていて、そちらのほうが人がたくさん入っているので、それにつられて入ってみた。
店の中もこざっぱりしていて、日本語を少々話せる店員もいました。

そして、とうとう店の中にミシンが置いてある店の登場です。
ワンサイズ上に決めて、フィッティングルームに入ろうとすると、一つしかないので、3人も並んでいる。
すると、やにわに、その最後尾の若者が、目の前で脱ぎ始めた。
おっとっと、長いシャツをきているからいいようなものの。。。。。

次に、ミシンの部屋で、印をつけてもらいに行くと、こちらでは、長い上着を着てない女性の下着姿に!
うわっ!

今度、はいてきたチノパンに履き替えようとして、前の人がカーテンの中から出てきたので、入ろうとすると、横から女性がスイットくぐり抜けて先を越されてしまった。

一つ良かったことは、すぞあげの料金は、いらないことだった。
今までのモンゴル事情では、ジーンズはすそ上げしないで、足首にしわを寄せてはくか、別の仕立て屋さんに持っていって料金を支払って、すそ上げをしてもらわねばならなかったのですから。

閑古鳥の鳴いている、隣のショップもついでに入ってみた。
厚手のを探してみたら、ありました。
ここのは、夫の足の長さにちょうど良い長さでした。
夫の趣味からは、長すぎたので、念のためすそ上げをしてもらえるか尋ねたら、「ない」との答え。
悪いね、も申し訳ないも無くて、ただ叱られているかと思うくらいの勢いで「ない」なのです。

おかげで、短めのジーンズにならなくて良かったのですけれど。

先の店は、若い足の長い人にあうように、長い丈の品物を置き、ミシンを備えて新しいやり方です。

後で入った店は、一番短い丈の品物を置き、ミシンがありません。
新しい店に取って代わられるか、それとも、ミシンを手に入れて、対抗するしかありません。

今日は、バーゲンをしていて、25,000トグルクのものが15,000トグルクになっていて、二人で、上機嫌で帰宅です。
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第3回映画界「ローマの休日」とうるぎーの話

2004年08月19日 | チンゲル亭過去日記
オードリーは素敵でした。

昨日のの映画会は、リクエストされて行ったものです。
こちらからご招待するのとは、違ったうれしさがあったのです。

買い物前に、事務所に書類を出しに行ったら、日本から航空便が届いていま
した。
それから、メンバーが集まったころ、知人からのおすそ分けが届いて、なんだか、雰囲気も盛り上がりました。

ビールは、モンゴル製の瓶ビール。
夫は、しきりに、缶より瓶入りのほうがいいですよと勧めています。

今日のメンバーは、PCと服飾と空手の指導の女性隊員と、遠来の新人の4人です。
遠来さんは、モンゴル一番西の端のウルギーに派遣されている隊員です。
ウルギーの珍しい話を映画が終わっても目を輝かせて聞いている夫は、いかにもうれしそうでした。
あのまま、ストップをかけなかったら、朝になったかもしれません。

肉は、馬と羊、ほとんど野菜の無い地域なので、いとこが持ってきてくれた豚味噌をつけた太切りきゅうりにたいそう感激してもらいました。

ウルギーは、UBから、車で3日間、飛行機で4時間。時差1時間。
カザフスタンと中国と国境を接しており、カザフ人がたくさん住んでるので、公用語はモンゴル語とカザフ語だそうです。
その、モンゴル語もかなり訛があるようで、苦労をしているんだろうなぁと思ってしまいました。

彼は、初めての日本人で大切にされているようです。
サッカー大好きの彼は、日の丸のついたサッカーのユニフォームを愛用しています。今日も、そのブルーの上着を着ています。
こんなに遠くまで来て、日本人だ!と、とても喜ばれ会話が盛りあがるとか。

ウルギーは、これから、観光地として売り出すところです。
すでに、日本から、鷹匠を見物したり、4千メートルの万年雪の山に登山に来たりし始めているそうです。

最近できた、ホテルは、なかなかのもので、お勧めとか。
温泉もあり、興味をそそられます。

夫は、来年行きたいといっていますが、11月に帰国なのに、どうするつもりなんだろう。
温泉なら、今からでも行きたいなぁ。

楽しく、愉快な映画会も、明日にならないうちに無理やりお開きにしました。
ローマの休日って、コメディだったんだなぁ。
オードリーが、初主演で、グレゴリーペックの競演と、ワイラー監督の指導の元に、オスカーを獲得したんだなぁ。
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ゲスト チロ

2004年08月16日 | チンゲル亭過去日記

二晩、わがやですごした、生後2ヶ月のチロ君。
お迎えが来て、帰って行きました。

チンゲル亭の庭のおかげで、犬を飼った経験もないのに、これで3匹目のワンコとのお付き合いです。

今回は、突然の外出予定で、私の留守の間に預けられたワンコなので帰るまで、心配でした。

予定を大幅に遅れた帰宅だったので、さぞ、夫は疲れ果てていることだろうと思ったら、自分で引き受けたこともあって、立派に父親代理を果たしてくれていました。

庭の短い草でさえ、体が隠れてしまうほど、小さいチロは、夫の後ろを追いかけ、草を飛び越え、よくはしりましたよ。
ぬいぐるみではなく、やはり犬でした。

どんなにかわいがっても、やはり、よそんちの犬は両親の元に帰っていくのですよねぇ。
見送るときは、寂しかったよ。

鼓太郎、もうすぐ帰るからねー。
帰っても、しらんぷりしないでね。
帰ったら、鼓太郎一途で、よそ見はしないからね。
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ズーンハラ

2004年08月15日 | チンゲル亭過去日記

昨日は「ハラ川の東」と言う意味の土地へ向かって、車を走らせたのです。
ダルハンへの道は、モンゴルでは、超高速道路!です。

なにしろ、列車をすいすいと追い抜いて車が走れるなんて、モンゴルでは、超越した道路なんです。

ウランバートルから150キロの場所へは、渋滞の無い道路なのですから、あっという間に行って帰ってこられるのです。

列車から見えた、山と川と木と花の咲き乱れる光景を、是非もう一度見たい。
強い思いに動かされ、その言葉に私も心動かされ、彼女の手配した車の人になりました。
彼女の予想するマイナス要因は、「10日前のことだから、花の盛りは過ぎているかもしれないけれど、まだ花はあるはず」だけでした。

モンゴルは、いろんなことが起こります。
道路は、選び間違えると横につながった道はありません。
大きな町の分岐点まで、戻るか進むかしないと道路の乗り換えはできません。

私達は、選択を間違いました!
運転手のアドバイスを無視して、こっちの道を選んだのです。

私達の車は、マークII。揺れながら、ジャンプしながら、たまにお腹をこすりながら、車がかわいそうと言いながら、モンゴルではこのくらいは普通の道と言いながら。

巻き上げた、細かい砂が、窓ガラスをさらさらとすべりおちる。
起伏のむこうがわから、砂煙が上がるので、対向車の接近を知る。
そうこうするうちに、雨がぱらぱら。
ウインドグラスに大粒のしずくがかかります。
ほっとします。しかし、雨は地面につく前に消えてしまいします。
それで十分です。そうでないと、道がぬかるんで、マークIIは、にっちもさっちも行かなくなりますから。
よい、お湿りです。

何度か、引き返すことを考えながら、彼女の思いは列車から見た光景が忘れられなかったようでした。
そして、私は、何があるか分からない好奇心に突き動かされて、「あなたが、決めることについて行くから」と言い、決して、「戻ったほうが。。。」は口に出しません。
と言うことは、今考えると、「進め!」と脅迫していたことになったのかなぁ。

おかげで、川と木と緑と花を、モンゴルでは珍しい思いがけないほど大きな木の橋(これは思いがけないビッグプレゼントでした)を見ることができました。

ばんざい
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ハプニング小旅行

2004年08月15日 | チンゲル亭過去日記

お友達の、お誘いで、まだ残っている花を尋ねて、でかけました。
遅くとも3時ごろには帰れるので、もし、おなかがすくようだったら、ちょっと食べ物を持ってきてね。

そういわれて、昨日散歩のときに買ったドイツパンのスライス、冷蔵庫のチーズ、温室のきゅうり、テーブルの上に残っていて、しわしわになる寸前の杏(?)と、のど飴、水、娘が来たときに買ってあったジュースを持って、出かけました。

ところが、いろいろとあって、帰宅したのが明日になる寸前!
しかも、家には、突然預かることになった、ワンコまで首を長くして待っていました。

と言うことで、今日の日記は明日の15日未明にかいてます?
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はさみ

2004年08月13日 | チンゲル亭過去日記

母は、はさみを鮮やかに使っていました。
特に切れないはさみで布にささくれを作らないでまっすくに切るのが、ほんとにすばらしかった。

はさみを大切にし、布用と髪用と紙用と厳しく使い分けていました。

錆の出た、歯と歯が大きく食い違った握りバサミでも、ちゃんときれいに切ってみせてくれました。

「馬鹿と、はさみは使いよう」と、そばで姉が言っていたような、いなかったような。。。

いま、重いアイロンと、足元の不確かなアイロン台で、大きなシーツにアイロンをかけながら、「馬鹿とはさみ・・・」が、あたまのなかを回っています。

力を入れると唐黷サうになるアイロン台と大きなシーツと格闘していると、はさみを初めとしてどんな使いにくい道具も、涼しい顔で使いこなしてしまう母のことが思い浮かびます。

着物を縫う母にとって、はさみの切れ味はとても大事だったので、布用のはさみで紙を切ろうとしたものなら、怒りはしないまでも厳しい言葉が飛んできたのでした。

ぶきっちょな私のことを、愛情を込めて(今だったらそう思える)「すこどんな」と言いながら、使っているはさみを取り上げ、代わりに切ってくれたのでした。

母の時代と違って、物のあふれる使い捨ての時代に主婦を始めた私は、自分のぶきっちょを棚に上げて、次々と使いやすそうな道具を買いもとめ、使い捨てていったのでした。

母に、ほらこんなに使いやすいよ!と得意げに手渡し、「ほんまに、楽じゃなぁ」と母もいったんは使い始めるのですが、気がついたら、また、元の道具を使っている母を発見するのでした。

今、手元にある裁縫箱には、一番使い辛かった思い出の有る握りバサミが、ちょんと納まっています。

そして、糸を切るたびに、はさみを握ると「馬鹿とはさみ。。。」が唄のように頭の中で、回り始めるのです。

介護のホームページで知り合ったホームネームmamaチャンの、お母様がなくなられました。
長い介護の末でした。
この私のページの掲示板にも書き込みをしてくださって、ご自分も大変なのに、寂しい私を励ましてくださいました。
「明日があるさ♪」http://cyobikun.at.infoseek.co.jp/

心よりご冥福をおいのりもうしあげます
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隊員時代の娘

2004年08月12日 | チンゲル亭過去日記

隊員として活動をしていたときの娘を、隊員として考えたことはなく、ただ、遠くで仕事をしていると捕らえていました。

隊員の基本は、青少年の育成と聞いています。
隊員が、派遣先の国で、一歩先に進んだ日本人として生活することでお互いに学びあい刺激しあうことが基本なのです。

娘が中国で活動を始めたとき、言葉の問題も大きいのですが、受け入れ先の担当者との、国民性の違いによる葛藤がまず一番にあったのではないかと思います。
そして、その担当者が、勉強熱心であればあるほどの葛藤、無ければまたそれ以上の葛藤がおこり、そこまでしなくてはいけないの?と思わず口から出そうになることまで、しなくてはいけない羽目に陥っていたのではないかと、思われます。

そこいるだけで良いと言うのは、挫折しそうな人にのみ、言う言葉であって何か成したいと思っている若者は、娘に限らず大いに悩んだはずです。

そんなときの娘の相談相手は、活動分野は違っても隊員仲間であったようです。
相談できる隊員がそばにいない時は、どうしたのでしょうか。
派遣元の担当官はそんな時、頼りになる人だったのでしょうか。

娘は、楽しい話ばかりメールで知らせてきました。
私には、そこに日本人としているだけでよい生活のように思えていました。
しかし、夫は、長年企業の中で、戦士のような働き方をしていましたから、伝えられない言葉の中からもさまざまな困難のあることを予想し、隠された思いを娘から受け取っていたようでした。

その一つは、隊員として張り切って指導をしたいと思っても、派遣先には、彼女よりも年上の担当者とその上には、はるかに年長の責任者がいて、協力的に動いてくれるとばかりは限らないことが、多かっただろう。
あるいは、無関心を装われることもあっただろう。

そんななかで、日本のやり方、彼女のやり方を如何に工夫して、相手の心に届かせ、相手の国にあったやり方を模索し発展させていくには、大きな苦労があっただろう。
彼女なりの達成感を味わうまでには、どんな苦労をしたのだろう。

彼女は、一個の大人として行動したのだけれど、若いせいで、子ども扱いされたりもしたのではないか。

協力がないなら、それはそれで仕方が無いと待ちの体制に入ってみようとすることなど、若さゆえに思いもつかなかっただろう。

あの時気がついてあげなくて、ごめんね。
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モンゴル料理

2004年08月11日 | チンゲル亭過去日記

http://www.h4.dion.ne.jp/~solongo/A6_1.htm
モンゴル料理のページです。

夫が羊の肉のにおいに非常に敏感なことは、モンゴルの知り合いのご家庭に招待された時に、特別に夫用に牛肉で作ったボーズを供されるくらい知人の間では有名になっています。

それで、夫とはゴアンズには今まで行くことがなかったし、これからも行くことはないのでしょう。

長女と花ちゃんと市内散策したとき、お昼にゴアンズでボーズを1個ずつ買いました。
ほんとは、その店で食べるつもりで入ったのですが、カラカラの喉を潤すビールを売ってなかったのです。

それで、テイクアウトして、ビールの飲めるピザのオープンテラスの店に行きました。
持ち込みOKを確認して、ビールと小さ目のピザとを頼んで、明るい風の通るテーブルで舌鼓を打ちました。

娘と花ちゃんとボーズの味とビールの冷たさと涼しい風と笑い声と。
ここちよく思い出します。

おいしいものが好きで、お酒が好きで、アルヒを飲んだ銀杯が気に入って、自分用の小さい銀杯を持ち帰ったほど、モンゴルも気に入って。
 
明るい笑顔とエネルギーを振りまいて帰った娘を、思います。

この旅で、いろんな思いを夫の胸に刻んで帰った娘を、もう一度呼び戻したいなぁ。

父親らしいことをすることを恥ずかしがって、なかなか表現できない夫を歯がゆく思い、「もっと表現して、現してよ」といい続けた私。

それを、拒絶し続けた夫。

娘を中国に送り出した時、初めて残される者の寂しさを知った夫。
仕事で、残して出かける寂しさは何度も経験しても、その逆の立場は想像もしなかったことでしょう。

頑固に、言葉に出して言う必要はないのだといい続けていた夫が、少しずつ変わってきました。

気持ちは表したほうが良いと体で理解してから、その後ずいぶんの時間がたって、やっと、今頃になって、少しずつ表現し始めた夫。

モンゴルに来たおかげか、それとも、私達の年齢に達したからなのか。。。

いずれにしても、良かったなぁ。
私も、せっかく動き出した列車に、「もっと早くもっとたくさん」と急かさないようにしょうっと。

娘達が、私達の手の中から、飛び立つ前でよかったなぁ。

いまごろむすめたちはなにをしているのかなぁ
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ゴアンズ デビューしそこなった

2004年08月11日 | チンゲル亭過去日記

モンゴルを訪れた隊員のお母様とそのお友達と、午前中イフデルグールの散策をしました。

初めてお目にかかったのに、ざっくばらんにお話をさせていただきました。
お二人とも、日本で、仕事をお持ちのようでうらやましくもありました。
お土産など、購入して、隊員さんと合流して、ゴアンズへという予定出した。

ゴアンズとは、大衆食堂のことで、店を選べばおいしく安全に安くモンゴル料理が食べられるのです。
羊の嫌いな夫とは、つい行くチャンスがなく、今日まで来てしまいました。

夫と私の時間の読み違いで、ゴアンズにご一緒ができなくて、デビューはまた後日と言うことになりました。

皆さんと別れたあとで、郵便局、ワクチン接種のためにヨンセイ病院、かねてから行きたかった、ちょっと新しいお店の3箇所に行きました。
それぞれ、歩いていける距離でしたが、日中歩いて移動するには、3日間家に閉じこもっていた私には、ちょっと骨でした。

午前中の歩きは、建物の中でしたから、それでは決して疲れたのではないのです。
急に、モンゴルの強い日差しを2時間近く浴びると、いつもなら建物の中に入ってひんやりとした空気にあったら、元気回復するのですが、今日は、早く帰りたくなりました。

トメン・エヘの民族舞踊のコンサートにお誘いいただいたのですが、かえって、お昼寝したら、起きられそうもないので、お断りしました。

お母さま、お断りしてごめんなさい。
また、あさって、良かったらお目にかかりましょう。
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