風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

カラオケで詩吟

2015年05月15日 | 詩吟
カラオケで、詩吟、気持ちよかったなぁ。

女同士、声の高さも同じで、年齢にかなりの差があるものの、似たようなところもある二人の練習は、近来にない手ごたえありの二時間でした。
よーく声の出る人の隣にいると、自分まで声が出てくる。ろくに発声練習もしてないのに。
体が、吸収し共鳴する感じだった。

8本の大山が軽く出たのには、驚いた。と言っても、絶句を通してやったわけではないのだが。
それにしても、伸びやかに8本が出る。
吟道大学で、永周先生と声を出したときと同じ現象だった。 
              すごい!


上級者になると、カラオケで、高い音、低い音、滑舌の練習に良い早口の曲をチョイスして、勝手に発声練習を終えて、さっさと、自分の課題に取り組んで、素早いものだった。
ちょっとしたヒントが、思った以上に効果的に表れるので、小気味よく興味深かった。
ほぼ自力解決に等しくって、そばにいるだけだったような気がするけど。

わたしにも、こういう風に吟を聴いて、何か正直に言ってくれる人が欲しい。
欲張りな私であります。
師範というレッテルが貼られると、つまらないことも起こる。


ランチに行った秋葉原UDX内のピザ屋さんで、お箏のライブが明日あるそうな。
ピザ屋さんと男性の弾く琴とはまた面白い組み合わせ。
二人のうち一人は、この店でバイトをしているという。

「お箏の繊細さと男性ならではの力強さとを描き分ける表現には定評がある」と、チラシには書いてある。

大いにそそられるなぁ。

住まいと、詩吟の練習会場との行き来だけではなく、たまにはいろんなところに出かけないとね。
犬も歩けば棒に当たった。



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芍薬たち

2015年05月14日 | 


近くのバラ公園のバラも、蕾が美しい。




この日は、娘と花展を見に出かけた。
娘の所属する流派のものではなかったのですが、お勉強にと思っていく娘に付いて行きました。

流派が違うと同じ花材でも扱いや、形作られる曲線なども微妙に違って、どうもこれというのには会えなかった。

花を習っていない私が、立派な会場で、その道の練達の技が活けたはずの花をみているのに。
いつも娘が、先生や自分が教場で活けた花の写真をみせてくれたり、実際に我が家に活けてくれたのに接していて、その、形が体に入ってきているらしい。

娘も同じようなことを言っていた。流派とは、恐ろしいものだ。

同じことを詩吟でも、よく感じる。
関吟以外の流派では、上手下手ではないこれといものに巡り合わなかったのは、そんなことだったのか。
謙虚さが足りないのかなと思ったのだけれど、やはり育った場所、習いとかのそういうことなのかなぁ。


自分が育った流派と先生をこよなく愛する娘を、好ましく思い、絶大なる信頼を先生に寄せることのできる環境にいる娘に、良かったねと言う。


帰りは、最近少なくなった純喫茶に入って、コーヒーと紅茶、イングリッシュマフィンとミニケーキのセットを楽しみました。

娘とのデイト、楽しかったなぁ。




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コンポステラ

2015年05月13日 | 好きなこと
思いついて、「コンポステラ」をブログ内検索してみたら、コンポステラという言葉が入っている日記があっという間に30件も並べられます。
その一番最初の記事は2009年8月9日のライブの記事になっています。

帰国後休止中のブログを再開して間もないころで、いきなりのライブ情報です。
ライブのなかった時期から行っていたはずだから、始めて、この店を見つけたのは、いつのことだったろう?
始めて、お店に行ったときの優しい奥様の姿はすぐに思い出すけれど、いつ?というのがわからない。

行きはじめたころズタボロ状態だった。
奥様の気取らない自然な応対が、いい感じだった。
そして、この店とオーガニック料理と生の音楽がどれだけ、力をくれたことか。
どれだけ、励まされたことか。
オーガニック料理には、やはり何かの力があると思う。

そのころから、この店のファンが増えたらいいなぁと書いてある。



あれやこれやあって、なかなか、お店に行けなくなる時期もあったけど、久し振りに訪れても、ちっとも変りなく接してくれるマスター夫婦に、安堵を覚えたものです。


その、好きが高じて、ある一時期(23年9月から一年間月に1回)は、空き時間に教室として使わせて頂いたことがあります。
これは、秘密練習だったので、ブログでは公開はしていません。
ノートのメモには残っていますが、非公開ページにでも残しておけば良かったなぁ。残念!


コンャXテラのHPをちゃんと見ると、「レンタルスペースとして」の表示があることに気づく。
ライブ情報を確かめるために見ることがあっても、表のページをゆっくり見なかったなぁ。
この表示が始まったのは、いつのことだろう。


詩吟は、声をまき散らすから、あの頃、本当は迷惑をかけていたのかしら。
ちょうど1年で、その教室がおしまいになったとき、実は、マスターたちは、静かになると、ほっとしていたのかもねぇ。
客という立場になると、そのつもりはなくてもいつしか、強気になっていものなのだ。
それを、ゆるりと受けてゆるりとのがしてくれるから、本当のところを取り逃がしているのかもしれない。


あ、そうそう、ライブがお気に入りになって、友達を5人も誘ったのに(トリスタン ホンジンガーと向島ゆり子)、本人が風邪をひいてしまって、初めての人たちだけで参加させてしまって、ご案内もできなかったことがあったなぁ。

それからは、お誘いはしないで、ブログで告知をするだけに変わりました。

この告知を、どれだけの人が見て、感心を持ってくれているのだろうと思って、アクセス解析なるものを珍しく開いてみた。
訪れる人がほんとに少ない(ほぼ一桁、珍しく20人というのが数回、ゼロという日もある)この数では、体制に影響はないね。



一人では寂しいこともあるけれど、お世話下手の私には、自分のペースでのんびり楽しめるのがいい。

そんな場所が、自宅から徒歩圏内にある。贅沢なことだ。



別に頼まれたわけでもないのに、マスターのオーガニック料理を大事にする気持ちを、どう伝えたらよいのかと思う。
世の中、客に媚びる店主が多い中で、黙って、作り続けるマスターの心のうちは、どうなのだろう。


なかなか、一介の客に胸のうちを開いて見せるほど、軟な人ではない。
年代も違うから、余計に感覚が違うだろうし、会話の弾む時は最近、稀にしかない。
口数の少ない、もう少しおしゃべりしようよと思うくらいだ、そこがまた、魅力でもある。


熱く語りすぎる自分とは、対極にいるご夫妻だから、思いをはかりにくい。
私にとって、ある意味ミステリーなお二人なのだ。


それでも、それだから、やはり、また、行きたくなる店だ。





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山田先生

2015年05月08日 | 体を整える
整体を施してもらったり、井本整体の体操を指導していただくときに、私は、何の制約もなく喋りにしゃべることがある。
施術にプラスして、何のコントロールもなくたまった言葉を喋りにしゃべって、吐き出すことで体を軽くすることができています。
先生の施術の中には、このカウンセリングのようなものは、入っていないのですが、施術中に黙っていなくて良いので、こういう私にとってありがたい展開になりました。

そんな会話というより、一方的な私の喋りのなかから、山田先生が日頃感じていることと私が考えていること感じていることが、思いがけず一致附合することが多々あって、二人で驚き、喜びあい、笑い合う。

なんて幸せなこと。

心と体と教えたり教えられたり、すべてがつながり響きあい、助け合っていることを思う。

昨日の論語のあとのカラオケ特訓でのこと。

そこで息継ぎのひつようはありますか。
息継ぎをしても、揺るがないお腹をしてますか。
頭高の音をさりげなくだせませんか。
頭高の音を出すためには、おなかの準備が必要です。
そして、支えられた息に乗せて声を出せば、破裂しない柔らかな音が出せますね。
息を使いきることができたら、最後は快感ですね。
息が足りない足りない、どこで息を次ごうかと考えなくても、息は自然にすうことができますよ。
大きな間を置く必要のあるところ、そこは、大きな息を遠慮なく吸えますね。
そうではないところは、息を盗むか、息継ぎをしないで続けることを考えましょう。

絶句の結句に、弐段上げに続いて大山が出てくる箇所があります。
弐段上げを心おきなく声を伸ばして、そして大山に至るところで、息つぎをしないと、次の大山の最後まで息が続かないと恐れることはありません。

「そこで息継ぎをしなくてはいけませんか?」その一言で、弐段上げの後に無駄に息継ぎをしなくても最後の大山が息絶え絶えにならなくても吟じきることができました。

その中には、上記のたくさんの項目を体で表現する必要があるのです。
こまごまと説明のあとで、その吟法を吟じてみるのとでは、大きな手間暇がかかります。

一瞬で体が理解するのは、女性には良くありますが、男性では珍しいことでした。
いつもは、言葉を多くすればするほど、本当に伝えたいことから遠ざかっていくので、四苦八苦です。

吸わなくてもはいてくる息のこと、丹田に力がこもっていると、きっと横隔膜が柔軟に動いていて、呼吸は自在に操れるものなのだということ、山田先生は、すごくよくわかってくださった。





そして、固まったところをほぐしてくれる整体は、多いけれど、長年使い続けてゴムのように伸びきってしまったところをを引き締めてくれる整体は、あまりないようだと、おっしゃった。
山田先生の指導の下、体操をしながら、自分の体では、伸びきっていたことすら知らなかった体の部分が、引き締められたり、伸ばされていることを実感しつつあることです。
その感受性も、鍛えてもらっていると感じています。



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足立論語

2015年05月07日 | 論語と
今日のこの会は、何というタイトルなんだろうなぁ。
呼び名が二転三転したので、ついうっかりする。
第一木曜日が足立論語 第三木曜日は、菜根譚と詩吟の会だったよね。

ぼんやりしている私は、その場所にその時間に須藤先生のお話が聞けるんだ、楽しいなぁ。
と、出かけるのである。

名前とかタイトルとか、あまり気にしていないので、説明する時にいつも困ることがある。
それでも、何とかやってきたけど、今の立場になると困ることが増えてくるのは、やはり、伝えるためのツールとして、呼び名は、大事なのだねぇ。

母の晩年を思う。母は何もかもなくしたのではなく、その呼び名を忘れたから、意思の伝達ができなくなっただけだったのだ。
その、思いや一番大事な心は、みずみずしく感受性豊かであったのではないかと、今にして気づく。

以心伝心を超えたテレパシーとか超能力的な心を読む能力があったら、よかったなぁ。。。





今日の先生の警告  
「論語」を万能の薬だと安易に解釈せず、その言葉、その一文字が示す教えの真意を、自ら熟慮することで、よろしく活用頂きたいと

さて、私は、その熟慮するところまで到達していないから、ただただ、先生の言葉を正しく受け取ることに心がけよう。

五月のテーマは,泰伯第八を読む(論語185)
泰伯は孔子の言う究極、理想の徳を備えた人だった。
孔子の言う至徳とは。

私にはとても及びの付かないことだ、だって、ちょっと頑張っただけのことでも、みんなとは言わないまでも、ャCントの人には知ってほしいとあからさまするのだから。

しかし、なぜ泰伯は父の意を汲み弟に王位を譲ったのか。そしてその善行が人目につかないようにあえて、王位継承の資格なしとまで言われる形に動けたのか。

その表の形よりも、泰伯の真意は?
   それはね、「徳を超越した至徳」ですよ。
              う~~ん、至徳

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夢松風 5月1回目

2015年05月06日 | 詩吟
総会が終わりました。
いつも淡々とお稽古をしていますが、総会が終わるとまた、改めて今年度の活動が本格的に始まるなぁと感じます。

Aその1≠P「江南春望」杜牧作に取り鰍ゥっています。
譜(吟法)32番 26番 12番を復習しました。マグネットを白板において、声を出しながら音程を指さしながら追いかけます。
完了と言っても、満足したくない人が居て、いつも、更にもう1回練習をしたいと要望が出ます。

どこまでできれば満足できるのか、一体その日が来るのか、私自身も迷うところです。
その方法が、この松風の特徴といえばそうです。

さて、毎回はやらない独吟は、完了と宣言した今日の吟題を吟じてほしいのです。
独吟って、やっぱり、直しを入れてほしくないのよねぇ。
でもね、上達するには、手直しをしなくてはねぇ。
でも、自信喪失になるのかなぁ。
パチバチと拍手で、終わった方が良いのかなぁ。


この会は、お稽古のあとのランチとか飲み会とかは、有りません。
勤労会館の玄関で、右と左へ分かれます。

課題を抱えた人の申し出で、カラオケ特訓に出かけることもあります。
今日は、電車で歸る三人が意気投合して、ちょうど、ナチュラルカフェコンャXテラにほど近い住まいの方がいるので、場所確認を兼ねてランチをしに行きました。

前回、男子二人を伴って場所確認だけに立ち寄ったときは、ちょっとマスターは緊張気味でした。

今日は、女子二名でゆっくり楽しくマスターの作ったランチを食してからだったせいか、それとも、前日に20名の予約客を取り扱って成功を収めた後だったからか、とても穏やかな応対をしていただいて、ほっとしました。

場所とりや、細かい詰めの契約をするなどの交渉事は初めてのことなので、私自身が緊張しているせいなのでしょうか。
どうも、話がしっくりと組み合っていない気がします。気のせいであったらよいのですが。

お二人は、コンャXテラの雰囲気と、食事をとても気に行ってくださいました。
食に気づかいをしているお二人ですから、オーガニック料理にも、興味を持って頂けたようです。

一人でも、この店に興味を持って頂けたら、6月の合同練習は、穏やかに終えることができるでしょう。

この店は、20人満席のレストランです。
少しずつ話やら相談やらを進めていくうちに耳に入った人から順に、非公式の申し込みがあり、一般に告知する前に満席になりそうです。
まず、夢青葉と夢松風との合同練習ですから、こんな形で、決まっていくのが良いのでしょう。





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コンポステラ ライブ 星空音楽會

2015年05月03日 | 徒然に日々のことを
2015年5月3日(日)

星空音楽會 `usica en Compostela=@第十八夜

関島岳郎presents


出演:酒井俊(vo)
    高岡大祐(tuba)
    関島岳郎(tuba)


ボーカルとチューバ二本での、コラボってどういうの?

三人で、こともなげに演奏をしているのを鑑賞していると、これとこれは合うとか合わないとか考える方がおかしいのではないかと思えてくる。

酒井俊の歌唱が圧涛Iであることもそうだろうけど、お互いの信頼関係が強いとか弱いとかなどという言い方が、おかしいくらいに、超越しているようで、まったく違和感がない。

関島さんの何気ない言葉「特に編曲(といったんだったかな?)してないんですけど、合いますねぇ」という言葉で、そうだねぇと、わかった次第。

「コラボ」という表現にも、ピンからキリまでの技や成り立ち思い合いがあるなぁと、知りました。

道理で、引き込まれすぎて、身じろぎもできないくらい前のめりになって聞いている私。
体にしみこむようなボーカルに、小賢しい感想はいらない。
幸せな瞬間。

ほぼ、コンポステラのファンとしてライブをできる限り聞きに行っているのだけれど、この、チームは、何があっても聞きに行きたいと思うチームだ。

マスターが、すみこさんがとても気にいるはずの歌手と言い切ったのも、うなずける。
そのような、断定的なもののいいかたをしないマスターがそう言いきったのだから。やはりそうだったのだねぇ。

マイクがないことをすっかり忘れていたと、最初は慌てたそうです。
それでも、歌うごとに滑らかになって、感情をあふれさせる時も、抑えて小さい声になるときも、言葉ははっきりわかる。すごい歌手だ。

明後日中野でライブなんだって!何はさておき、行かなくちゃと思うのだけれど、どうしても都合が付かない。残念!

久しぶりに、大満足な夕べでした。




今、調べたら、2011年1月27日のコンポステラ第2回星空音楽会に、同じメンバーでのライブをしていて、チャンと私も聞きにっていました。
35人と言う大人数の参加でした。
その時も、すごく感動したとコメント有り。
















今、調べたら、2011年1月28日のコンャXテラ第2回星空音楽会に、同じメンバーでのライブをしていて、チャンと私も聞きにっていました。
35人と言う大人数の参加でした。
その時も、すごく感動したとコメント有り。



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