風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

市民講座その2

2015年09月16日 | 論語と
今日の市民講座は、西東京市。

足利学校編「論語抄」と須藤明実著 「史跡足利学校『論語抄』を読む資料」

全員で素読をして、先生の解説。

素直に心にしみこんでくる言葉は、何かの時々に、あ、これかもしれないと思うことがある。


孔子は、生まれたままの素直な心で生きることを説いてきた。
そして、弟子によって、内容を変えて変幻自在に教えを授ける。

教えはそれぞれの個性に合わせてするものだ。

整体の先生も、そうおっしゃる。

一つの理論をもって振りかざすのではなく、その人の特性を良く見て、この人には右と言い、あの人には、上と言う。

相手の心に寄り添わねば、繰り出せない言葉。


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プログラム印刷

2015年09月14日 | 詩吟
練成会のプログラム印刷のため、幹事が東大島に集まる。

4人で手分けして、パソコンに打ち込んだ原稿を印刷機にかける。
二つ折りにして、二枚重ねる。
それぞれの教場の出席者数を数えて、それぞれに分ける。
今日、出席していない教場には郵送の手配。

印刷の後は、デニーズで、一服しながら、かんかんがくがく。






話かわって、夢組は、明るく楽しく上品にがモットーだから、家族のように親しんで、基本的規律や礼儀を大事にしながら、切磋琢磨をする。
それぞれの思いは、家族仲良くなのです。
もちろん、詩吟については、こだわりを持って日々精進していますが、そのことが、どうやら、誤解されているようです。
日々の精進や厳しさは、誰のためでもなく自分へ向かうものです。


それぞれの教場の会員の考え方は、それぞれでよい。
そして、その歴史の積み重ねに沿って、決して背伸びをしてはいけないと思う。

その、成長に応じた計らいこそが大切なことと思います。

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足利論語と薪能の夕べ

2015年09月12日 | 論語と
須藤先生主宰の足利論語と薪能の夕べがいよいよやってきました。

台風接近のため、地方では、長雨と河川の氾濫で大きな被害がでていて、心配な毎日を送っていました。
そして、前日には、越谷、せんげん台あたりにも、水が出て、東武線の運行も怪しくなったり、心配が山ほどありました。

運よく、当日は雨も上がり、東武線の運行は平常通りになり、予定通り最寄り駅を出発し、待ち合わせのみなさんと無事会うことができました。

渡良瀬川の河川敷にも、かなり水が上がってきたようですが、足利市駅から鑁阿寺へと向かう道すがらや橋の上からの眺望には、さほど変わったところは、見えませんでした。

まちなか遊学館で、お昼を頂き、先生の講義、そして、漢詩二題の吟詠と予定通り、進みました。

薪能だけを見に来てくれた友人は、一人で、JR足利からやってきて、ちょうど講座が終わるころに間に合いました。

鑁阿寺の薪能は、国内の様々な場所での薪能の中でもピカイチの条件の良いところです。
町のざわめきの届かない静かな環境で、能舞台の松は、描いたものではなく、境内に植えられた能舞台用に枝ぶりを整えられている松です。

演目は、狂言は「鐘の音」 能は「通い小町」
山場に差し鰍ゥったとき、何かが訪れたかのように、風が吹いて、私たちの上に覆いかぶさるように茂っている枝が、さわさわとなりだしたのは、神がかっているような、幽玄の世界をより近くに感じる様な瞬間でした。


いつものホテルで、おいしい心づくしの夕食を頂き、早々と部屋に帰って、のんびりとした時間を過ごしました。

このビジネスホテルは、渡良瀬川のほとりに建ち、閑かで、空気がよく、水は柔らかいので、居心地良くお気に入りです。
何より、おかみさんが優しくて気づかいの行き届いたお方です。


翌朝は、6時に河川敷で素読です。
全日本素読の会のメンバーと、昨日の狂言師さんも参加してのにぎやかな顔ぶれで、論語の素読が続きます。

熟練者から初めての人まで、足利学校発行の論語抄を最初から最後まで、一人が一つの章句を先導し唱和します。

はじめの一歩で数か月詩吟を練習した方と最近論語の講座を受けて今日初めて、詩吟を聞くという方も、ご一緒でした。
朝食後の詩吟の時間も、特別心地の良い部屋を提供していただいて、二時間練習しました。

先生と私との縁を取り持ったキューピットさん〈と先生は言う)の想い出話の中で、早雲美術館も出てきました。
先生と李白の詩「山中問答」を書いた大きな掛け軸と縁がわでのとりとめのない話で縁が深まったエピソードは、皆の興味を引き付けたため、練習後の観光の目的地は、早雲美術館に決まりました。

とても小さな心地の良い早雲という人そのもののような場所は、先生も私も好きなところだけれど、どうやら、万人向けではなかったようで、あまりに私が熱く語るものだから、興味だけを引き起こしたようでした。
「これだけ?」というのが、感想になるほどの小さな美術館ですから。

美術館といえば、歩き疲れるくらいたくさんの展示があって当たり前なんだなぁ。。。

今度は、一人で来ることにしましょう。

さて、お昼前に足利市駅について、帰途につきました。

必ず座れるので、2回の乗り換えのたびに自然と隣り合わせたご一緒メンバーの誰かとおしゃべりが続く、のんびりとした2時間弱の旅は、親交を深める役にも立っていました。

最初から最後まで、楽しくて、面白くて、おだやかで、有意義な旅でした。

須藤先生、ありがとうございました。

これから先、論語の学びを深め、詩吟に親しむこの学びピアの教室は、これからも末永く続くでことを願っています。

詩吟の魅力を発見した人、課題を見つけた人、なによりも、私自身の多いなる学びがあり、先生の講義の、家の中がおさまってこそ、国が繁栄するのだという言葉は、私の詩吟の基礎を大事にして、いたいという思いにも通じる気がします。


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市民自主講座

2015年09月11日 | 論語と
東久留米市在住の須藤先生のお弟子さんのグループの運営する市民自主講座
「今こそ道徳の教えを孔子に学ぶ」に講師として須藤先生が招かれました。

お弟子さんとは、学びピアにも学びにいらっしゃっている方たちで、私にとっては大先輩の方たちです。

というわけで、三回シリーズの第一回しか参加できませんが、それでも良いですよとのことで、少しでも多く先生のお話を聞きたく、行ってきました。

どこに行っても、穏やかで、ちっとも偉そうにしないそのようなところが、受講生に親しみを持って迎えられ、穏やかな雰囲気で、学びが進みます。

終わった後では、リーダーが、顔見知りであるということから、私のことも紹介してくださり、詩吟をと所望されました。

弟子ともいえないほどの未熟者の私を紹介し詩吟に時間をとるよりは、先生のお話を少しでも長く聞いたり、質疑などにあてていただいた方がよほど、参加者のためになったのにと思うのですが、固辞するのもみっともないので、ほんの少し。

私の隣の席で、とても素晴らしい響きで、素読をなさる女性は、現代浄瑠璃に取り組んでいらっしゃる方でした。
おかげで、その方と知り合いになり、これからの、展開が楽しみになったのですが、それはそれとして、やはり、乞われてやすやすと詩吟をしてしまったことに大いなる後悔があります。

詩吟では、一応先生と呼ばれてはいますが、論語では末席に位置する若輩者なのですから、立場をわきまえて、断るべきは断らねばねぇ。




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夢松風9月1回目

2015年09月09日 | 詩吟
8月の2回目の練習は、お休みだったので、久し振りの感あり。
台風接近で、長雨の続いているさなか、風も吹いてくる可能性のある中を、ゲストさんは、いつもの時間に来て、いつものように、ロビーで待っていてくださいました。

長靴を履いてきたのに、「家を出る時は、降ってなかったから」と、こともなげにカラリと答える。
そして、明るくは、は、は、とみんなで笑う。



今日の吟題は、8月に続いて、峨眉山月。

新しいテキストもお見せして、11線譜なるものも添付されたことを、説明しましたが、思ったほどの興味は、無かったようでした。

すでに、初心者向けの20詩を集めてコピーしたのを、まとめて、お渡ししているので、夢組さんたちには、購入の必要はないかな。
指導資格を持っている人には、購入していただきましょう。

先回の中央会でも話題になった、譜名表追加分の譜名のリストにある22番譜について、質問がありました。
私なりに解釈した、初心者向けの音階を正しく把握して、揺りは入れない吟法で吟じると、経験者には、譜名表とは違う吟法をしているように、思えたようです。

ゲストさんは、他の教室の指導を受けていますから、私の吟を聴いて、譜名表を確認したうえで、質問になったのです。

このあたり、松風さんの、他の先生を知らない会員さんにとっては、何の疑問も起こらないのです。
上級者や揺りのできる人たちと練習をしてきたゲストさんとは、感じ方が違ってくるのです。
また、上級者の多い教場では、一番シンプルな吟じ方をしている夢組とは、違う表現になるでしょうから仕方がありません。

初心者さんには、私の真似をしてくださいと申し上げていますが、経験者さんは、やはり、譜名表の音階、他教室での指導、助言の蓄積があり、柔らかく言えば、質問。
厳しく言えば、間違っているのではないかとの思いが湧き上がるようです。

まず、音階を正しくとらえるということを大事に当分の間練習を続けます。
その先、自然に揺りができるようになるだろうことが、予感できたら、吟詠の先導をするときに揺りを入れる方向に持っていこうと思います。
そしてまた、この時、正しく真似をしていただけるよう、揺りのスキルアップを私に課そうと思います。


万が一、その努力の末、十分に揺りができなくて、お手本になるほどにならなければ、HPとCDをたよりに、耳を働かせてもらいます。
私自身は、その譜名の意味するところ、関吟の流派として望まれているところをしっかりと把握しなければなりません。
そうすれば、力が足りなくても、会員さんの上達に寄り添った練習になると思います。


今までは、過去の積み重ねを直感だけで、良しあしを判断して練習をしていましたが、いずれは、直感のみでは、対応しきれないことが起こってくると思います。
まだ、もう少しの間は、大丈夫かな?

その時こそ、上から目線ではない、共に歩み共に上昇することができるようになるのだろうなぁ。


自分が、今、何を伝えたいのかを、しっかり把握しておかないと、初心者を抜けようとしている会員さんたちにとって、間違った吟法をしている印象を与えてしまうことになります。

今日のように素直に、質問をしてくださったら、説明もできますし、まだ、初心者の音階を大事にしなくてはいけない段階の人たちにとっては、将来のとらえ方も垣間見えて、良い学びとなります。

関吟の将来への展望と言ったらいいのか、どう表現したらよいのかちょっとわからないのですが、譜名に一部追加された部分に関しては、指導者間で、よく研究協議をした方が良いように思います。

現状では、HPと、4枚のCDから、あるいは、時々に出される本部研修の模範吟のCDで学ぶしかなく、今吟じられている生の吟詠に接する機会のない私たちには、互いに協力し合い、研究しあうことが、より、会員さんのスキルアップにつなげる方法かと思いました。

会員さんたちは、所属会の枠を超えて、練習ができています。
指導者たちも協力し合って、研究をしあえるはずです。
指導者になると、どんどん孤独になっていきます。
芦孝会のオープンなシステムを最大限発揮して、孤独に陥らない方法が、どこかにあるはず。

何かと忙しい中、レベルアップをはかり、あたらしい会員さんを迎えても、困らない指導体制は?

指導資格を持っていても、なかなか、指導する機会を持てない人もいて、その人たちの、機会を何かの形で作って、指導資格者の数だけが増えるのではなく、指導力も増していかねばならないと思います。


コンクールを忌避している私が、もっと、生の吟詠を聞きたいというのは、わがままなことでしょう。
コンクールに足を運べば、上級者の生の吟詠を聞くことができるのだから、応援に行けばよいのだけれど、「がんばれ!勝て!」と言っているみたいなのが、好みではないのだ。
好みではないから行かない・・・わがままだなぁと思う。




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もうふ

2015年09月08日 | こたろう語録
僕のお気に入りの毛布が出てきた。
此の処の、冷え込みに、タオルケットでは、間に合わなくなったみたい。
でもね、これはあったかいから、かあさんは、明け方には、汗をかいてめをさましたみたいだねぇ。

今日も、一日雨が降って、冷えてきたから、出窓は寒くてねぇ。
この毛布は、さいこうだよ。よしよし。

身づくろいをして、快適さ倍増中。




この毛布は、10年前のウランバートルで買ったやつだ。
やすいからといって、家族中の毛布を買って、得意がっていたよねぇ。
堅実派のお姉ちゃんからは、クリーニング代がかかると文句を言われていたねぇ。

10年前というと、お姉ちゃんが結婚した年。今は、もう、子供が三人で、上は小学生。

同じ年に、つくばエクスプレス(TX)が開通して、最寄り駅まで5分になった。
おかげで、いろんなところに散らばっている関吟芦孝会の教場に通うのに、30分の時間短縮になったと、喜んでいたねぇ。
そう言えば、その、2年後に帰国してからは、ずいぶんあちこちの教場に練習しに行ってたねぇ。
TXのせい?
10年のブランクを埋めようとしてたの?
埋まるはずもないのになぁ。。。
そして二人目の姉が、結婚して、ぼくと二人きりの時もあったね。
今は、とうさんの仕事も、せいぜい1~2週間の出張になったから、ほどほどに三人で仲良くやってるし。

久しぶりの、その時の詩吟での積み重ねは、いろんな収穫があったよね。
今年は、その実を、おいしく頂いたね。
おいしい余韻に浸ってばかりいると、自分で自分を誤解することになるからね。
きをつけて、今度は、また次の収穫へと、向かわなきゃねぇ。
こないだも、失敗しかけだでしょう?あぶない、あぶない。








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足立『論語』

2015年09月03日 | 論語と
孔子が生まれてからの歴史を紐解きながら、その時々の弟子とのかかわり、そして、孔子が弟子たちに語った言葉を、素読していきました。

論語の一つの章句として、学び、先生の解説を聞いているのとはまた別の生きた言葉が、目の前に展開されました。

時系列、歴史などということにとても弱い私でも、今までのちょっとした積み重ねがあって、今日のような、解説の仕方をしていただくと、活字が、言葉として起き上がってきます。

先生からいただいた2枚のレジメは、一つは、「私のメモ」としてびっしりとA4の用紙に肉筆でかきこまれたものと、そのメモを、清書して、ワープロで簡潔に整えられたもの。

ごちゃっとしていても、先生の肉筆のものが、読んでいて、理解が届きます。


さて、今日は、授業が終わった後で、学びピアでは無い会場を先生と見に行きました。
第三木曜日の、詩吟対応の部屋探しです。
大きな声を出しても構わない部屋であれば、細かいことは問わないと、先生はおっしゃいます。

先生の授業のためではなく、詩吟のために先生にご足労願うのは、申し訳ないのですが、同じ生徒さんが参加している教室の1時間目と2時間目ですから、同期して動かねばなりません。

3か月前に場所取りをするのは、どこの会場も同じですから、条件としては、変わりません。
3か月前のその日から取れるのと、三か月前のついたちというのとの違いです。
学びピアが取れなければ、そちらに取りに行くというタイミングでも、十分取れるので、ちょっと気が楽です。

それにしても、詩吟と言うと、場所取りが、これほど困難になるとは、思っていませんでした。
いつも、場所取りをしてくださっている方がたのご苦労を、思います。

さて、第三木曜日の、菜根譚とはじめの一歩の授業は、これからどうなるのでしょう。
主となる須藤先生の活動しやすい場所であれば、問題ないのですが、場所が変わることで、参加困難になる方が出るのは、申し訳ないけれど、仕方がないことです。


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夏休み最後

2015年09月01日 | こたろう語録
僕の涼しいところ探しは、終わって、出窓にてお昼寝が、復活。
急に、涼しくなって、夏でも毛皮着用の僕はうれしい。

「これでは、終わらないよねぇ、もう一度暑くなるよ。」の言葉に、たじたじとしている。

今年の夏は、こんなに暑かったのに、夏痩せをしない僕でした。
かあさん、とうさん、喜んで、偉いねぇこたろうちゃんと言っているよ。

今日から、甥っ子、姪っ子は、それぞれ小学校と幼稚園に登校、登園。
末っ子ちゃんは、久し振りに、ママとの二人っきりを楽しんだみたい。

それと、二歳半になった末っ子ちゃんは、トイレトレーニング。
手ぐすね引いていたら、三日目にして、完了したらしいよ。
断乳にしろ、トイレトレーニングにしろ、誰よりも遅いのだけれど、完了は、いつもあっという間に終了したよねえ。

最善のタイミングを選んだママの勝利ってとこかな。
お兄ちゃんとお姉ちゃんが、トイレで、応援している写真が届いたよ。

三人目は、何かと、兄と姉に干渉されるが、こんな時の応援もあるから良いんだねぇ。

ママと末っ子の二人っきり時間を楽しんでいるのは、ママだけかも。

もうすぐ、三年の育休が終わるので、保活(保育園活動)を始めたところだから、二人っきりの時間が、数えるほどしかなくなったから余計に思うよねぇ。

ばぁばも、あわよくば、夏休み中に孫たちともう一度。。という望みがなくなって、我に返った。

さぁ、しっかりしてよね。

涼しくなると、考えることが増えるみたいだけど、下手に思いめぐらすより、体を動かすのが、一番だよ。



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