第31回 日本詩吟選手権大会 首都圏東京東部地区予選会
江東区亀戸 カメリアプラザホールにて、12月9日(土) 開催されました。
それにエントリーすることになったのは、私の中に意識改革があったからです。
だまし討ちだとか、策略に乗せられたとか、練習に力添えを頂いた池上吟詠サークルの先生がたに、とても失礼な言葉を発していましたが、その照れ隠しのような私の言いぐさにに腹を立てること無く、にこにこと見守ってくれた三人の仲間とご指導があってのことです。
おかげ様で首都圏決戦大会に出場認定(入賞)されました。
2月17日か3月4日のいずれかの日に出場するることになりました。
プログラム順に、2本 島根・ 石川 ・ 6本 窪田
8本 永田 ・ 3本 西村
4本 冨安 ・ 1本 鋳?@
3本 白田 (敬称略)以上8名が、予選通過。
今回は、舞台上で、自分の吟詠をすることができるか「肝試し」と自分に言い聞かせて、その思いを同じくする初コンクール出場の方と励まし合って練習をしました。
お互いにリスペクトしあえる朋友に支えられ、知恵を頂き、自分の吟詠を追求する練習であったことは、何よりも幸せなことでした。
そして、いざ、舞台へ。
次の出番へと待っている時、実行委員の一人のある他流の先生が、かちんこちんになっている私の後ろ姿を見て、両肩へ一発、腰に強烈な一発の喝を入れて下さいました。
あのままだと、マイクの前にたどり着いたとき、舞い上がっていただろうなぁ。
おかげ様。
出だし、良し。
「晴れ」の頭高の発声、よし。
意外にも自分の吟詠を確かめながらの滑り出し。
そして、大山の揺り、「無人の」の低音部をきっちり支えること、良し。
そこまでは覚えているのだけれど、転句からは、今までの、野放図な吟詠であったのだろうと思います。
そして、結句は、緊張を思いだしてしまい声が震えて、締めがきっちりできませんでした。
その点については、点数と共に頂くコメントに、しっかりと「緊張、力みのためか硬さが目立つ、震え声になっている」とのご指摘を頂きました。
5人の審査員による得点は、439点でした。
「声量が豊かで、響きがある」とのコメントには、面目躍如。
他の方の吟詠をお聞きしても、結句で、力尽きたり、我慢不足だったりして、転句までの勢いがそがれている方がいました。
コンクールという場に大きなプレッシャーを感じているのは、私だけではないのだということがよくわかります。
今日の吟詠は、初めてとも思えるおほめの言葉を野田芦孝会長からも頂いて、ここ数か月のサメ[トを受けながらの練習で、磨きがかかったのだということがわかりました。
このコンクールは、指定吟題がありません。自分で選んだ吟題で出場します。
私は、学生の頃鈴木先生に習った「海を望む」が大好きで、何百回となく吟じ、事あるごとに、これを選び吟じてきました。
そして、モンゴルの草原で馬に乗ったときは、草原の小高いところで、休憩をしながら、草原を海に見立てて、海の波と言うものはね、「奔馬のごとく」押し寄せてくると説明をして、一吟すると、牧民さんや通訳さんたちの、やんやの喝さい。
その、さえぎるもののない青い大きな空は、水平線にかぶさるようにみえる白い雲のせいで、空が低く見えるのです。
そのモンゴリアンブルーに、体が染まる様な感じを心から楽しみました。
楽しい思いばかりの沁みついた私の「海を望む」は、言ってみれば、50年物の吟詠です。
付け焼き刃で練習した吟詠では、私には少しも自信を与えてはくれないのですが、「海を望む」のおかげで、うれしい体験をしました。
「海を望む」はこれからも私の大事な詩として側にいてくれることでしょう。
そして、池上教場での練習もかけがえのないものとなりました。
いつまで、続けられるのかなぁ。。。
江東区亀戸 カメリアプラザホールにて、12月9日(土) 開催されました。
それにエントリーすることになったのは、私の中に意識改革があったからです。
だまし討ちだとか、策略に乗せられたとか、練習に力添えを頂いた池上吟詠サークルの先生がたに、とても失礼な言葉を発していましたが、その照れ隠しのような私の言いぐさにに腹を立てること無く、にこにこと見守ってくれた三人の仲間とご指導があってのことです。
おかげ様で首都圏決戦大会に出場認定(入賞)されました。
2月17日か3月4日のいずれかの日に出場するることになりました。
プログラム順に、2本 島根・ 石川 ・ 6本 窪田
8本 永田 ・ 3本 西村
4本 冨安 ・ 1本 鋳?@
3本 白田 (敬称略)以上8名が、予選通過。
今回は、舞台上で、自分の吟詠をすることができるか「肝試し」と自分に言い聞かせて、その思いを同じくする初コンクール出場の方と励まし合って練習をしました。
お互いにリスペクトしあえる朋友に支えられ、知恵を頂き、自分の吟詠を追求する練習であったことは、何よりも幸せなことでした。
そして、いざ、舞台へ。
次の出番へと待っている時、実行委員の一人のある他流の先生が、かちんこちんになっている私の後ろ姿を見て、両肩へ一発、腰に強烈な一発の喝を入れて下さいました。
あのままだと、マイクの前にたどり着いたとき、舞い上がっていただろうなぁ。
おかげ様。
出だし、良し。
「晴れ」の頭高の発声、よし。
意外にも自分の吟詠を確かめながらの滑り出し。
そして、大山の揺り、「無人の」の低音部をきっちり支えること、良し。
そこまでは覚えているのだけれど、転句からは、今までの、野放図な吟詠であったのだろうと思います。
そして、結句は、緊張を思いだしてしまい声が震えて、締めがきっちりできませんでした。
その点については、点数と共に頂くコメントに、しっかりと「緊張、力みのためか硬さが目立つ、震え声になっている」とのご指摘を頂きました。
5人の審査員による得点は、439点でした。
「声量が豊かで、響きがある」とのコメントには、面目躍如。
他の方の吟詠をお聞きしても、結句で、力尽きたり、我慢不足だったりして、転句までの勢いがそがれている方がいました。
コンクールという場に大きなプレッシャーを感じているのは、私だけではないのだということがよくわかります。
今日の吟詠は、初めてとも思えるおほめの言葉を野田芦孝会長からも頂いて、ここ数か月のサメ[トを受けながらの練習で、磨きがかかったのだということがわかりました。
このコンクールは、指定吟題がありません。自分で選んだ吟題で出場します。
私は、学生の頃鈴木先生に習った「海を望む」が大好きで、何百回となく吟じ、事あるごとに、これを選び吟じてきました。
そして、モンゴルの草原で馬に乗ったときは、草原の小高いところで、休憩をしながら、草原を海に見立てて、海の波と言うものはね、「奔馬のごとく」押し寄せてくると説明をして、一吟すると、牧民さんや通訳さんたちの、やんやの喝さい。
その、さえぎるもののない青い大きな空は、水平線にかぶさるようにみえる白い雲のせいで、空が低く見えるのです。
そのモンゴリアンブルーに、体が染まる様な感じを心から楽しみました。
楽しい思いばかりの沁みついた私の「海を望む」は、言ってみれば、50年物の吟詠です。
付け焼き刃で練習した吟詠では、私には少しも自信を与えてはくれないのですが、「海を望む」のおかげで、うれしい体験をしました。
「海を望む」はこれからも私の大事な詩として側にいてくれることでしょう。
そして、池上教場での練習もかけがえのないものとなりました。
いつまで、続けられるのかなぁ。。。