風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

海を望む

2017年12月09日 | 詩吟
  第31回 日本詩吟選手権大会 首都圏東京東部地区予選会

江東区亀戸 カメリアプラザホールにて、12月9日(土) 開催されました。

それにエントリーすることになったのは、私の中に意識改革があったからです。

だまし討ちだとか、策略に乗せられたとか、練習に力添えを頂いた池上吟詠サークルの先生がたに、とても失礼な言葉を発していましたが、その照れ隠しのような私の言いぐさにに腹を立てること無く、にこにこと見守ってくれた三人の仲間とご指導があってのことです。

おかげ様で首都圏決戦大会に出場認定(入賞)されました。
2月17日か3月4日のいずれかの日に出場するることになりました。

プログラム順に、2本 島根・ 石川 ・ 6本 窪田  
        8本 永田  ・ 3本 西村   
        4本 冨安  ・ 1本 鋳?@
        3本 白田 (敬称略)以上8名が、予選通過。

今回は、舞台上で、自分の吟詠をすることができるか「肝試し」と自分に言い聞かせて、その思いを同じくする初コンクール出場の方と励まし合って練習をしました。

お互いにリスペクトしあえる朋友に支えられ、知恵を頂き、自分の吟詠を追求する練習であったことは、何よりも幸せなことでした。

そして、いざ、舞台へ。
次の出番へと待っている時、実行委員の一人のある他流の先生が、かちんこちんになっている私の後ろ姿を見て、両肩へ一発、腰に強烈な一発の喝を入れて下さいました。

あのままだと、マイクの前にたどり着いたとき、舞い上がっていただろうなぁ。
おかげ様。

出だし、良し。
「晴れ」の頭高の発声、よし。

意外にも自分の吟詠を確かめながらの滑り出し。
そして、大山の揺り、「無人の」の低音部をきっちり支えること、良し。
そこまでは覚えているのだけれど、転句からは、今までの、野放図な吟詠であったのだろうと思います。

そして、結句は、緊張を思いだしてしまい声が震えて、締めがきっちりできませんでした。

その点については、点数と共に頂くコメントに、しっかりと「緊張、力みのためか硬さが目立つ、震え声になっている」とのご指摘を頂きました。

5人の審査員による得点は、439点でした。

「声量が豊かで、響きがある」とのコメントには、面目躍如。

他の方の吟詠をお聞きしても、結句で、力尽きたり、我慢不足だったりして、転句までの勢いがそがれている方がいました。
コンクールという場に大きなプレッシャーを感じているのは、私だけではないのだということがよくわかります。


今日の吟詠は、初めてとも思えるおほめの言葉を野田芦孝会長からも頂いて、ここ数か月のサメ[トを受けながらの練習で、磨きがかかったのだということがわかりました。


このコンクールは、指定吟題がありません。自分で選んだ吟題で出場します。
私は、学生の頃鈴木先生に習った「海を望む」が大好きで、何百回となく吟じ、事あるごとに、これを選び吟じてきました。

そして、モンゴルの草原で馬に乗ったときは、草原の小高いところで、休憩をしながら、草原を海に見立てて、海の波と言うものはね、「奔馬のごとく」押し寄せてくると説明をして、一吟すると、牧民さんや通訳さんたちの、やんやの喝さい。

その、さえぎるもののない青い大きな空は、水平線にかぶさるようにみえる白い雲のせいで、空が低く見えるのです。
そのモンゴリアンブルーに、体が染まる様な感じを心から楽しみました。

楽しい思いばかりの沁みついた私の「海を望む」は、言ってみれば、50年物の吟詠です。

付け焼き刃で練習した吟詠では、私には少しも自信を与えてはくれないのですが、「海を望む」のおかげで、うれしい体験をしました。
「海を望む」はこれからも私の大事な詩として側にいてくれることでしょう。

そして、池上教場での練習もかけがえのないものとなりました。
いつまで、続けられるのかなぁ。。。
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夢青葉

2017年12月08日 | 詩吟
新人さん登場。
歩いてこられる距離の男性です。
頼もしい限りですが、最終的に所属することになるのは、どこでしょう。

一吟聞かせていただきました。
とても正確な吟詠をなさいます。
そして、西のほうの先生であるということがよくわかりました。

これから、この方が、この地で、関東で、そして、芦孝会で詩吟を続けていくうえには、私が、経てきた道のりを、歩むことになるのか、初めに教えていただいた耳で覚えた吟詠を、そのまま続けることになるのか、悩むことになるのか、ならないのか、私が体験してきたことだからと言って、簡単に意見を言ってしまっては、いけないのだろうなぁ。
夢青葉に居らっしゃる限りにおいては、思ったことを言葉にして、ご自身でつかみ取ることしかできないことです。

且つて私が、体験したことをこれから彼は、感じて、悩むか、平気なのか、これからのおけいこの中で明らかになることでしょう。


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股関節の違和感

2017年12月07日 | 体を整える
先日のたるふじでの「素読と詩吟の会」で、須藤先生、山田先生、詩吟の仲間の三社が一堂に会することができました。

特に、まだ、吟仲間にご紹介してなかった山田先生を紹介できて、本当にうれしかった。

お稽古前にする体操は、山田先生のご指導の賜物で、先生と私とのやり取りの中から、私なりに作り、芦孝会のみなさんにもも受け入れられて、数年続いています。
芦孝会内部では、私の名前を付けた「○○体操」と呼んでくださっています。

山田先生が、実際にみなさんの前で一緒に行っている体操の様子を見たのは、その時が初めてです。
私からの説明は何度かしたとしても、みなさんがどのように受け止めているかが、私以上にとっても気にかけていてくださったようですから、またと無いチャンスでした。


今日は、その体操をもう一度チェックしてくださり、一つ一つの動きに、加えているコメントもすべて、聞いてくださいました。

先生は、そのコメントに驚かれていましたが、私としては、いつかどこかで、耳にして、体にストンと落ちた言葉たちですから、発信源は山田先生、あるいは、千駄ヶ谷のセミナーでの、講師の言葉たちです。

オリジナルのものでなく、体が受け止め、そして言葉にできるほどに、消化した言葉たちです。


耳が頼りで、口移しで、詩吟を習ってきた手法と、同じですねぇ。

頭で理解したとしても所詮絵空事、体にしっかり覚えたものは、相手に伝わりやすく、すぐに手に取って、身につけて暮れるものですから。


さて、今日の体操は、股関節のこりをほぐす体操です。

先生が添えてくれる手は、言葉以上のものが伝わってきて、すぐにわかった気になります。
せっかくの賜物を、忘れないように、思いだしやすいようにしていきます。



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今までにない

2017年12月05日 | 詩吟
伴奏に合わせた練習をしています。

まじめに、伴奏を聞き合わせるのは、これが初めてです。
今までは、伴奏に合わせるなんてと言う拒否感が、最初の出のところだけ、聴いて、あとは、マイペースの吟詠でした。

何か、身売りするような妙な感覚で始まった練習も回を重ねて、伴奏と吟詠がぴったりとあってくると、それは、それなりに快感がありました。

食わず嫌いでいたのが、想像とは違ったものに出会ったなぁと感じました。

しかし、まだ、どこかで拒否感が残っていて、入りこみすぎないための、それがちょうど良いブレーキになっているのかなぁとも、思います。

今日は、コンクール前の最後の練習日、伴奏曲を途中で変えて新しく合わせなおしたことは、出遅れにはならず、却って良い気づきがあり、心地よく合わせられるようになりました。
おかげさん。


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娘と

2017年12月04日 | 徒然に日々のことを
いつもは、あわただしく来て、さっさと帰ってしまうのだけれど、珍しく遅い夕食をする時間がありました。

週末餡と福を預かったので、迎えに来た時に出来たつかの間の娘と母の時間です。

いたずらっ子の餡ちゃんの様子、まったり派の福ちゃんの様子をひとしきり報告し、ついでにこたろうの様子も尋ね、久し振りの母の味は格別と喜ばせてくれて、帰り支度も整って、迎えの車を待っている間、自然にお花と詩吟の話になる。

ちょうど読んでいた本の「型」について、話題が及びました。

私の言葉選びと順番を間違えて、共感を得るには至らなかったのだけれど、娘のお花に対する考え方と、私の思いとが、それほど遠く隔たっていないことを感じました。


福ちゃんはいち早く、こたろうのお昼寝場所を奪って、こたろうが空けた穴を広げて、餡ちゃんのいたずらには加担せず、ゆうゆうたるもの。

今回のお預かりは、はじめから、餡ちゃんはゴロゴロ言っているし、福ちゃんは、足にすりすりしてちゃんと、おばあちゃんであることを認識している風で、喜ばせてくれました。
おじいちゃんにも、それなりに、親しみを見せて、ちゃんと覚えているってことアピールでした。

今度は、ゆっくり、お花と詩吟の話をしたいねぇ。


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2017年12月02日 | 徒然に日々のことを
宮下奈都著 「つぼみ」P53

基本を身につけるべき時に、何も考えないのでは進歩がない。型に沿って活けていくときに、型を信じ、その意味を考えさらにそこに自分の感性を足す。そうでなければ、活けても活けても成長はない。---高校生に花を教える講師のことば


同 p95~
いちばんを突き詰めていくと、これしかない、というところに行きあたる。それが型と言うものだと私は思っているよ。 ーーーお花を習う女子高生の祖母のことば 

同 p95~
型って、もしかするとすごいものなんじゃないか。たくさんの知恵に育まれてきた果実みたいなもの。齧ってもみないなんて、あまりにももったいないもの。今は型を身につける時なのかもしれない。いつか、私自身の花を活けるために。
 今は修行の時だ。そう思ったら楽しくなった。型を意識して、集中して活ける。型を身体に叩き込むよう、何度も練習する。型を自分のものにしたい。
いつかその型を破るときのために。 
    ---花を習う女子高生のことば
 


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