栗、拾ってます。
畑の側の栗の木、昨年の大風で幹がボッキリ折れてしまいましたが、生き残った部分が今年も実をつけてくれました。 |
普段はしぶしぶ通う畑なのですがこの時期は用がなくてもいそいそと出かけてしまいます。
で、栗を拾って、畑作業はちょぼちょぼ。
・誰かに頼まれた訳でもなく、
・ほか食べるものがない訳ではなく、
・冷蔵庫には前に拾った栗がまだ沢山ある、
というのに拾いに行くのをやめられません。
何かこう、脳内快楽物質が出てる気がする。
栗拾い依存症?
ていうか、本能か。
働きアリとかミツバチとか、一生蜜集めばかりで気の毒に、と思っていましたが、最近そうでもないかもと思うようになりました。
ミツバチ達もきっと、いい蜜をみつけて持って帰るときには、「やった~」っていう脳内快楽物質が出ていると思うのです。そういう神様からの贈り物がきっとあると思う。
で、私の栗拾いとの違いは、ミツバチ達の集めた蜜は、共同体の食料としても、また横取りする人間にとっても役立っているということ。
それに引き替え私は。
折角拾っても、さほど役に立つ訳ではないし(加工はするけれど、ダンナサマは特に栗Loveではないです)
仏教では畜生道は人間道の下におかれたりしますが、やっていて自分も嬉しい蜜集めをして、しかもそれがみんなの役に立って、むしろ私よりミツバチの方が「リア充」ってやつでは。
ミツバチに負けてるのかー、と思うと、青い空がいやにまぶしいですが、でも、また(何度も)拾いに行くんだろうな。
もし輪廻するのならば、天上道(※)で歌舞音曲三昧の天人よりも、採集系の動物になりたいかも。
(※)迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界(天道(天上道、天界道とも)、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)の一番上位。天道は天人が住まう世界である。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。