今夜、新日本フィルの定期公演で久しぶりにフランス・ブリュッヘンのシューマンとベートーヴェンを聴いた。
ヨーロッパに長く住んでいながら、何故か、彼の、そして、18世紀オーケストラのコンサートにも行く機会がなかった。
アムステルダムにいた時は、コンセルトヘボウの定期を3本も入れていて、他に外来のオーケストラやオペラに行っていたので行けなかったというのが正直なところで、ロンドンの時も、同じ事情であった。
久しぶりと言うのは、2年前の新日本フィルの定期で、確か、モーツアルトの「パリ」とシューマンの第2番等であった様な気がする。
素晴らしいコンサートで、ヨーロッパで十分に機会がありながらミスったのを後悔した。
今回は、シューマンの交響曲第4番ニ長調(初演版)とベートーヴェンのバレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43であった。
プロメテゥスの方は、一度ヨーロッパで聴いたような気がするが、何れにしろ私にとっては、全く馴染みのない曲だったが、非常に興味深い有意義な経験をして楽しかった。
シューマンの方は、ブラームスが良しとした初演版と言うことだが、何となくごつごつとした感じで、モーツアルトとは行かなくても、ベートーヴェンやブラームスのような歌うような美しさは全くなく、オランダ人のブリュッヘンには向いているのかも知れないと思って聴いていた。重厚な素晴らしいシューマンであった。
偏見かも知れないが、あの素晴らしいコンセルトヘボウでもシャイーに代わってからは少し明るくなった感じだったが、その前のハイティンクやドイツ系の指揮者が振った時には、地の底から唸りだすような凄みのある少し陰影を帯びた燻し銀のようなサウンドを聴いていたような気がする。
ところで、ベートーヴェンのバレエ音楽の方だが、物語がある素晴らしい交響詩を聴いているような雰囲気の音楽であったが、これでバレエが踊れたのかと一寸不思議な気がした。
ヨーロッパにいた頃、最初の頃は、小さかった娘を連れて良くロイヤルバレエに出かけたてチャイコフスキー等の流麗なバレエを見ていたので、それを思い出しながら聴いていると、むしろ、エグモントのように劇の付帯音楽に適しているような気がした。
ところで、第5番の、アポロがムーサ達に囲まれるパルナッソス山の場面だが、冒頭に美しいハープのソロが奏されて弦のピチカートをバックに華麗なフルートが奏でられる。ファゴットやクラリネットでミューズ達が加わる。
このハープは、ベートーヴェンの唯一のハープ音符らしいが、それに、木管のソロが美しく、昔から思えば、新日本フィルの管楽器部門の質の向上は目を見張るものがあると思っていつも聴いている。
第16番のフィナーレは、あの懐かしい交響曲第3番「英雄」の終楽章の変ホ長調のテーマが美しく奏されて楽しい。
この「プロメテウスの創造物」だが、あの岩の上に縛り付けられたプロメテゥスが、巨大な鷲に足で踏みつけられて内蔵を食い千切られている凄いドラクロアの絵を見た時には圧倒されて見上げていたが、これとは全く違った話になっているようだが、私のプロメテウスはこれである。
プロメテウスは天上から火を盗んで人間に与えたので、ゼウスが怒ってカウカサス山に岩山に縛り付けて、鷲に肝臓を食われ続けると言う劫罰を受ける、あのプロメテウスであるが、このベートーヴェンの音楽は、プロメテウスが無知な人間にマナーや倫理、音楽や芸術を教え導く崇高なる魂として描かれていると言う。
ベートーヴェンが、ボン大学の聴講生としてギリシャ古典文学の教養を摂取したと言うのが興味深い。
何れにしろ、ブリュッヘンのプロメテウスは大変な熱演で、観客の拍手が鳴り止まず、老齢のブリュッヘンの健康を慮ってコンサートマスターの崔文洙氏が席を離れてお開きとなった。
ヨーロッパに長く住んでいながら、何故か、彼の、そして、18世紀オーケストラのコンサートにも行く機会がなかった。
アムステルダムにいた時は、コンセルトヘボウの定期を3本も入れていて、他に外来のオーケストラやオペラに行っていたので行けなかったというのが正直なところで、ロンドンの時も、同じ事情であった。
久しぶりと言うのは、2年前の新日本フィルの定期で、確か、モーツアルトの「パリ」とシューマンの第2番等であった様な気がする。
素晴らしいコンサートで、ヨーロッパで十分に機会がありながらミスったのを後悔した。
今回は、シューマンの交響曲第4番ニ長調(初演版)とベートーヴェンのバレエ音楽「プロメテウスの創造物」作品43であった。
プロメテゥスの方は、一度ヨーロッパで聴いたような気がするが、何れにしろ私にとっては、全く馴染みのない曲だったが、非常に興味深い有意義な経験をして楽しかった。
シューマンの方は、ブラームスが良しとした初演版と言うことだが、何となくごつごつとした感じで、モーツアルトとは行かなくても、ベートーヴェンやブラームスのような歌うような美しさは全くなく、オランダ人のブリュッヘンには向いているのかも知れないと思って聴いていた。重厚な素晴らしいシューマンであった。
偏見かも知れないが、あの素晴らしいコンセルトヘボウでもシャイーに代わってからは少し明るくなった感じだったが、その前のハイティンクやドイツ系の指揮者が振った時には、地の底から唸りだすような凄みのある少し陰影を帯びた燻し銀のようなサウンドを聴いていたような気がする。
ところで、ベートーヴェンのバレエ音楽の方だが、物語がある素晴らしい交響詩を聴いているような雰囲気の音楽であったが、これでバレエが踊れたのかと一寸不思議な気がした。
ヨーロッパにいた頃、最初の頃は、小さかった娘を連れて良くロイヤルバレエに出かけたてチャイコフスキー等の流麗なバレエを見ていたので、それを思い出しながら聴いていると、むしろ、エグモントのように劇の付帯音楽に適しているような気がした。
ところで、第5番の、アポロがムーサ達に囲まれるパルナッソス山の場面だが、冒頭に美しいハープのソロが奏されて弦のピチカートをバックに華麗なフルートが奏でられる。ファゴットやクラリネットでミューズ達が加わる。
このハープは、ベートーヴェンの唯一のハープ音符らしいが、それに、木管のソロが美しく、昔から思えば、新日本フィルの管楽器部門の質の向上は目を見張るものがあると思っていつも聴いている。
第16番のフィナーレは、あの懐かしい交響曲第3番「英雄」の終楽章の変ホ長調のテーマが美しく奏されて楽しい。
この「プロメテウスの創造物」だが、あの岩の上に縛り付けられたプロメテゥスが、巨大な鷲に足で踏みつけられて内蔵を食い千切られている凄いドラクロアの絵を見た時には圧倒されて見上げていたが、これとは全く違った話になっているようだが、私のプロメテウスはこれである。
プロメテウスは天上から火を盗んで人間に与えたので、ゼウスが怒ってカウカサス山に岩山に縛り付けて、鷲に肝臓を食われ続けると言う劫罰を受ける、あのプロメテウスであるが、このベートーヴェンの音楽は、プロメテウスが無知な人間にマナーや倫理、音楽や芸術を教え導く崇高なる魂として描かれていると言う。
ベートーヴェンが、ボン大学の聴講生としてギリシャ古典文学の教養を摂取したと言うのが興味深い。
何れにしろ、ブリュッヘンのプロメテウスは大変な熱演で、観客の拍手が鳴り止まず、老齢のブリュッヘンの健康を慮ってコンサートマスターの崔文洙氏が席を離れてお開きとなった。