私の手元に、2冊の興味深いロシア関係の本がある。
一冊は言わずと知れたノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンの「廃墟のなかのロシア」で、もう一冊はアンナ・ポルトコフスカヤの「プーチニズム」である。
後者のポルトコフスカヤ女史は、昨年の10月7日にモスクワの自宅近くで射殺された。その後、11月23日に、この殺害事件を調べていたと言われるロシアの元情報将校アレクサンドル・リトビネンコ氏が、亡命先のロンドンで毒性の強い放射性物質「ポルニウム210」により変死したので、その関係が取り沙汰されている。
ところで、ポルトフスカヤの「プーチニズム」であるが、ロシアのチェチェン紛争での政府の過剰な武力行使や人権抑圧について徹底的に糾弾ししており、プーチン大統領に対しては極めて厳しい論陣を張っている。
「私は時々思うことがある。プーチンは本当に血の通った人間なのであろうか。実は冷えた金属の彫像なのではないのか、と。もし人間だったとしても、とてもじゃないがそうは見えないから。」とまで言っている。
私に興味があったのは、ソ連が崩壊して長かった冷戦が終って、新しい時代が、丁度世紀末から21世紀にかけて始まったのだが、果たして、ロシアが如何に変わったか、民主国家への道を歩んで行けるのかどうかと言うことであった。
ポリトフスカヤは、旧ソ連時代には、「大抵の人には安定した職業とあてに出来る給与があった。どんな明日になるのか確信があった。病気を治してくれる医師も、ものを教えてくれる教師もいた。どこにも1コペイカも払わずにすんだ。」と言っている。
成長は止まり経済状態は疲弊していても、ソ連経済の全体としては均衡を保っていたと言うことのようである。
ところが、ソ連崩壊後は激変した。
第一に、個人レベルの革命を経験したが、ソビエトのイデオロギーも、安いソーセージも、お金も、クレムリンに親玉がいると言う安心感も、ありとあらゆるものが一瞬のうちに姿を消した。
第二に、1997年のデフォルト(債務不履行問題)によるロシア経済の崩壊に近い破綻で、その前に、民主主義と市場経済の復活で中産階級が生まれたが総て潰えてしまった。
第三に、ロシアの資本主義が、多くの自由な巨大資本とそれに使えるソビエトのイデオロギーが混在して大量の極貧階級を生み出し、同時に、かってソ連の暗黒時代を支配したエリート階層のノメンクラツーラ(特権官僚)が復活した。
法と秩序を盾にして、高級官僚達は、この法と秩序を逃れることに集中して、冨と権力を得た成金の「ニューロシアン」を目指して、共産政権時代にもなかったような贈収賄で汚職塗れだと言う。
経済的に疲弊困憊していたロシアが、石油や天然ガスなどのエネルギー価格の高騰によって立ち直りを見せて好況を謳歌し始めて、国際政治及び経済情勢が大きく様変わりしてしまった。
ロシアの産業構造が変わって経済が高度化した訳ではなく、近代的な工業化や知識情報産業社会の進展があった訳でもなく、単なる主力産業の石油や天然ガスの高値による好況に過ぎないのだが、この経済的な強みとエネルギーを切り札にして、ロシア流の「アウトロー資本主義」をごり押しし始めたのである。
典型的なのは、ビジネス・ベースで進んでいた「サハリン2」の持分を強引に外資企業から取り上げて主導権を奪い取ったことだが、西欧諸国も少しづつロシアの本性とその恐ろしさを感じ始めたのかも知れない。
ソ連の崩壊によって、一時は民主主義と市場経済の導入によって沸いたロシア経済社会が、無能な政府の舵取りによって徹底的に破壊されて生活が崩れてしまったロシア国民は、前述のポルトフスカヤの言が正しければ、かっての共産政権時代の安逸な生活に憧れており、経済が好況でロシアが強国であれば万々歳の筈で、プーチニズムでも独裁でも意に介さないのではなかろうか。
ところで、人権人権と言うアメリカが、ロシアの人権問題に殆ど沈黙しているのは、ロシアの国力を見くびっているのか、或いは、冷戦時代のトラウマが残っているからであろうか。
私は、中国とインドは、欧米の自由主義経済社会に近づいてくると思うが、ロシアはわが道を歩むであろう。
ある意味では、ロシアは、中東のイスラム世界などよりも遥かに脅威で、冷戦時代と同じ様な感覚で対峙すべき国だと思っている。
BRIC’sと一口で言うが、ロシアはある意味では政治的には一筋縄では行かない途轍もない強国であることを忘れてはならない。
一冊は言わずと知れたノーベル賞作家アレクサンドル・ソルジェニーツィンの「廃墟のなかのロシア」で、もう一冊はアンナ・ポルトコフスカヤの「プーチニズム」である。
後者のポルトコフスカヤ女史は、昨年の10月7日にモスクワの自宅近くで射殺された。その後、11月23日に、この殺害事件を調べていたと言われるロシアの元情報将校アレクサンドル・リトビネンコ氏が、亡命先のロンドンで毒性の強い放射性物質「ポルニウム210」により変死したので、その関係が取り沙汰されている。
ところで、ポルトフスカヤの「プーチニズム」であるが、ロシアのチェチェン紛争での政府の過剰な武力行使や人権抑圧について徹底的に糾弾ししており、プーチン大統領に対しては極めて厳しい論陣を張っている。
「私は時々思うことがある。プーチンは本当に血の通った人間なのであろうか。実は冷えた金属の彫像なのではないのか、と。もし人間だったとしても、とてもじゃないがそうは見えないから。」とまで言っている。
私に興味があったのは、ソ連が崩壊して長かった冷戦が終って、新しい時代が、丁度世紀末から21世紀にかけて始まったのだが、果たして、ロシアが如何に変わったか、民主国家への道を歩んで行けるのかどうかと言うことであった。
ポリトフスカヤは、旧ソ連時代には、「大抵の人には安定した職業とあてに出来る給与があった。どんな明日になるのか確信があった。病気を治してくれる医師も、ものを教えてくれる教師もいた。どこにも1コペイカも払わずにすんだ。」と言っている。
成長は止まり経済状態は疲弊していても、ソ連経済の全体としては均衡を保っていたと言うことのようである。
ところが、ソ連崩壊後は激変した。
第一に、個人レベルの革命を経験したが、ソビエトのイデオロギーも、安いソーセージも、お金も、クレムリンに親玉がいると言う安心感も、ありとあらゆるものが一瞬のうちに姿を消した。
第二に、1997年のデフォルト(債務不履行問題)によるロシア経済の崩壊に近い破綻で、その前に、民主主義と市場経済の復活で中産階級が生まれたが総て潰えてしまった。
第三に、ロシアの資本主義が、多くの自由な巨大資本とそれに使えるソビエトのイデオロギーが混在して大量の極貧階級を生み出し、同時に、かってソ連の暗黒時代を支配したエリート階層のノメンクラツーラ(特権官僚)が復活した。
法と秩序を盾にして、高級官僚達は、この法と秩序を逃れることに集中して、冨と権力を得た成金の「ニューロシアン」を目指して、共産政権時代にもなかったような贈収賄で汚職塗れだと言う。
経済的に疲弊困憊していたロシアが、石油や天然ガスなどのエネルギー価格の高騰によって立ち直りを見せて好況を謳歌し始めて、国際政治及び経済情勢が大きく様変わりしてしまった。
ロシアの産業構造が変わって経済が高度化した訳ではなく、近代的な工業化や知識情報産業社会の進展があった訳でもなく、単なる主力産業の石油や天然ガスの高値による好況に過ぎないのだが、この経済的な強みとエネルギーを切り札にして、ロシア流の「アウトロー資本主義」をごり押しし始めたのである。
典型的なのは、ビジネス・ベースで進んでいた「サハリン2」の持分を強引に外資企業から取り上げて主導権を奪い取ったことだが、西欧諸国も少しづつロシアの本性とその恐ろしさを感じ始めたのかも知れない。
ソ連の崩壊によって、一時は民主主義と市場経済の導入によって沸いたロシア経済社会が、無能な政府の舵取りによって徹底的に破壊されて生活が崩れてしまったロシア国民は、前述のポルトフスカヤの言が正しければ、かっての共産政権時代の安逸な生活に憧れており、経済が好況でロシアが強国であれば万々歳の筈で、プーチニズムでも独裁でも意に介さないのではなかろうか。
ところで、人権人権と言うアメリカが、ロシアの人権問題に殆ど沈黙しているのは、ロシアの国力を見くびっているのか、或いは、冷戦時代のトラウマが残っているからであろうか。
私は、中国とインドは、欧米の自由主義経済社会に近づいてくると思うが、ロシアはわが道を歩むであろう。
ある意味では、ロシアは、中東のイスラム世界などよりも遥かに脅威で、冷戦時代と同じ様な感覚で対峙すべき国だと思っている。
BRIC’sと一口で言うが、ロシアはある意味では政治的には一筋縄では行かない途轍もない強国であることを忘れてはならない。